【読書考】「枢密院議長の日記」(佐野眞一 著 講談社現代新書)

読書

枢密院議長・倉富勇三郎という名を聞いても、現在では、ほとんど知る人はいないと思います。

本書は、その歴史上のB級人物といっても過言ではない人物の、膨大な「日記」をもとにした歴史解析の書です。それが実に面白く興味深いんです。

1.活躍したのは大正から昭和初期

本書によると、倉富勇三郎は1853年(嘉永6年)に生まれ、1948年(昭和23年)に96歳の生涯を終えた人物です。

倉富勇三郎は、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、宗秩寮総裁事務取扱、枢密院議長を歴任し、宮廷順位4位にまで昇進した宮廷官僚です。

主に活躍したのは大正期から昭和初期になります。

2.後世に残した膨大な日記

この現在ではあまり知られていない宮廷官僚が残したものが、297冊の膨大な日記です。

その執筆期間は、大正8年から昭和19年までの26年に及び、平均するとひと月にノート1冊分あります。1日あたりでは多い時には400字詰め原稿用紙で50枚を超えます。

まさに「世界最大最長級の日記」です。今だったらギネスブックに載るかもしれません。まさに驚嘆する日記なんです。

3.ちょっと読めない汚い字体

しかも、その内容は、ミミズがのたくったような判読不能の文字で書かれており、しかもそのほとんどは、死ぬほど退屈な冗長な繰り返しが多いしろものなのです。

それを解析して纏めた本書は、分厚い430頁もある本なんですが、コロちゃんは最後まで興味は尽きない思いで読み終えました。

4.上流階級の、身の下話しやゴシップ話し

この日記の内容には、綺羅星の如き皇族と華族の、日本近代史を代表する人物達が登場したりします。

そして皇室と家族に対する噂話やゴシップ、宮中の井戸端会議や立ち話の数々が書かれているのです。

どうでもいいような話も多いのですが、歴史資料には残らない、皇室にまつわる慣例や決まりごとがたくさん出て来るという、他には見られない貴重な資料となっています。

5.大正・昭和の歴史的事件の裏面話し

この日記には、大正10年の「宮中某重大事件」にまつわる宮中裏面の動きや、「朝鮮王家」の諸状況・それに関連する日韓併合裏面史等々が次々と登場します。

そして「柳原白蓮騒動」の詳細や、華族のスキャンダルの数々のどれも、興味深く面白いものです。

「宮中某重大事件」

大正10年に「宮中某重大事件」が起こります。ネーミングがスキャンダラスですが、正式な歴史呼称です。

現在ではほとんどの方が知らないと思いますが、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定していた久邇宮良子女王の家系に色盲の遺伝子があるとして、久邇宮家が婚約辞退を迫られた事件です。

時代が時代です。当時の元老山縣有朋の長州閥と薩摩閥を巻き込む大事件となりました。

倉富勇三郎は当時、皇族や華族の事務全般を主管する宗秩寮総裁代理。機微にわたる動きを細かく日記に記載しているのです。

その内容は、さながら「宮中井戸端会議」です。歴史上の事件の裏面でバタバタする面々を赤裸々に描いているんです。

「朝鮮王族の事件簿」

1910年に日韓併合がありました。それとともに大韓帝国は朝鮮と改められ、旧大韓帝国前皇帝を含めた皇族一族は「王族」、その近親者は「公族」と位置づけられました。

その後に、旧大韓帝国前皇帝の世子(皇太子)と日本の梨本宮の第一王女が結婚したのですが、そのカップルの後見人的役割を、倉富勇三郎は担っていたそうです。

前皇帝は、結婚式の4日前に急死し、毒殺が疑われました。その微妙な時期に瑣末な問題にまで腐心している倉富勇三郎の姿が日記に詳しく書かれています。

その日朝の架け橋となるべきカップルの子が、朝鮮への旅の中で不審死します。これも毒殺が疑われる中を倉富勇三郎は葬儀を淡々と手際よく進めたようです。

この日記には、朝鮮王族をめぐる当時の周辺事情が書き込まれており、倉富自身の朝鮮認識も素直に述べられているのです。当時の宮中の雰囲気と動向がよくわかります.

「柳原白蓮事件」「嫉妬に狂ったお殿様」「某男爵の老いらくの恋」「男爵家姉妹ドンブリ事件」「徳川家逹の秘め事」

なるべく多くの魅力的な内容を紹介したいのですが、この題名でお分かりいただけるように、あまりにも下世話な、身の下話しのスキャンダル事件のオンパレードです。

三流週刊誌さながらの内容なんです。

現代で言えば、イギリス王家のスキャンダルを、内部関係者が日記に全て記録していたようなものでしょうか。

公の歴史資料としての価値は余りないように思えますが、庶民としては誰しもが興味津々となるような記録なので、興味のある方は本書でじっくりお読み下さい。

6.日本の華族制度は根付かぬ花だったのか

本書で読む、当時の華族の堕落には呆れてしまいます。

日本で華族制度が生まれたのが1869年。倉富勇三郎のこの時代は1922年前後ですから、華族制度は生まれてから50年ほどで、この低落に堕していたということになります。

コロちゃんは、日本の華族制度とその社会的存在意義は1945年の終焉を待たずに、この時にすでに終わっていたのではないのかとの思いを持ちました。

7.真面目な記載が無いわけじゃない

「ロンドン海軍条約」についての詳細は、当時の日本の混迷する内部事情がよくわかる秀逸なものとなっていると思えました。

倉富勇三郎は、国粋的考えを持っていたようです。しかし枢密院議長としての立場上、締結に反対であっても、賛成反対の旗幟を鮮明にするわけにはいきませんでした。

そこでライオン宰相と言われた浜口雄幸と大時代的な応酬を繰り広げてやがて敗退するのですが、その政治的動きの詳細が全て記録されているのです。

枢密院で、軍縮条約であるロンドン条約調印の審査会をつくり、陰に陽に調印阻止を図るのですが、やがて敗退し、ロンドン条約は調印されます。

その攻防の裏面がわかる貴重な資料となっています。

歴史的出来事は、大体は結果のみしか知られていないものですが、この当時の政争の裏側の動きが詳細にわかるのです。

8.誰のための日記か

著者は以下のように、日記を読んで驚嘆したとの記載をしています。

「日記の送料は分厚い本にしてゆうに50冊は超える。仮にこの日記に習熟した人間が、1時間に400字3枚ずつ、1日8時間のペースで筆写としよう。年中無休で机に向かったとしても、全て書き移すのに丸6年かかる」

「さらに、倉富勇三郎は日記を書きっぱなしにしていたわけではない。至る所に後で追記した跡があり、そこで誤記や記憶違いを訂正していることでも明らかである」

もう、やや呆れ気味ですね。

 そして著者は、倉富勇三郎がこの長大な日記を「何のために書いたのか」を推測する楽しい発見をしているのです。

倉富勇三郎の夫人が、日記を読んでいたことがわかる記載を見い出したのです。

日記本文の「帷衣」という漢字の横に「ヲトモ」というルビが振られているんですが、その欄外に、ルビの「三字は内子が記入したるものにて」との倉富勇三郎の書き込みがあったのです。

内子夫人がこの日記を読んでいたことがこの記載で分かりました。

それで著者は、倉富は病弱な内子夫人に読ませるために、この日記を書き続けたのかも知れないと推測したのです。

もし、それが正しければ、本日記は「世界一長い愛妻日記」と言えるのですが、ちょっと微笑ましいですね。

9.神は細部に宿る

この言葉は、ドイツの美術史家アビ・ヴァールブックのものと言われますが、倉富勇三郎の日記には、この言葉がふさわしいと思います。

ここまで毎日、仕事やその中で見聞きしたことと感想、家庭生活や買い物等々のあらゆる事を日記に書き込んでいると、その本人の価値観や人間性もあらわになってきます。

「金銭に淡白なる人」では、曲がったことが死ぬほど嫌いなパーソナリティが伺われます。頑固なんですね。

「内子復た失神す」では、病弱だった内子夫人が倒れた時とその後の病状を事細かく紹介していますが、その内容からは強い愛情が読み取れます。

コロちゃんは、読後にひとりの人間を丸ごと知った気持ちを抱きました。

10.ノンフィクション作家佐野眞一の面白さ

そして、この膨大な「倉富ワールド」ともいえる難解な「日記」を面白いノンフィクションに仕上げた著者もまた凄いです。絶賛したいですね。

本書は、華族のスキャンダル等も面白く読みながらも、当時の歴史と社会の空気がいつの間にか頭に入ってるという良書であると思います。

歴史に興味がいささかでもある人にはぜひお薦めしたい一冊であると本書を高く評価します。本書を、ぜひ読むことをおすすめします。興味深いですよ。

著者の佐野眞一さんは、2022年9月に永眠されました。合掌。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

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