【闘病考】「小倉智昭さん」のコラムを読んで

闘病

おはようございます。コロちゃんのリアルタイムは、今午後の3時過ぎです。

さっきワンコとの午後の散歩に行ってきたばかりなのですが、今日はちょっと遠出をして「桜の木」を見に行ってきたのです。

ちょっと前に「東京で開花宣言」と聞きまして、コロちゃんのとこの「桜の木」はどの位咲いているかなと思ったのですよ。

ワンコを引っ張りながら、ペットカートをガラガラと押しながら、いつもの散歩コースと逆方向へ進みますと、桜の木があるため池の淵に出ます。

コロちゃんが見上げると「あー、やっぱりまだ咲いてないなー」とつぶやいたその時に、薄桃色に咲いた桜の花が一つだけ目に入りました。

たった1輪の花だけですよ。あとはみなつぼみですから、満開は来週ぐらいになりそうですね。コロちゃんは、「また来週にここに来よう」とつぶやきながら、ワンコと一緒に帰ってきましたよ。

下記にその1輪の花のフォトを添付しますね。どうぞ、花見をお楽しみくださいね。

今日は「小倉智昭さんのコラムを読んで」をカキコキしますね。

 

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「小倉智昭さんのコラムと、1970年代なかばのコロちゃん夫婦の生活」

☆「小倉智昭さんの闘病記と、コロちゃんの闘病記」

☆「まだまだお話をお聞きしたい」

1.「小倉智昭さんのコラム」

コロちゃんが新聞をバサバサ読んでいると、「小倉智昭さん」がコラムで「闘病記」を書いていました。

その「コラムの闘病記」についてお話しする前に、ちょっとコロちゃんの昔話をしてみますね。あとで必ず「小倉智昭さんの闘病記」をとりあげますから、お付き合いお願いします。

「小倉智昭さん」と言えば、多くの皆さんにとって「ニュースキャスター」のイメージしかないと思います。

しかし、コロちゃんにとっては「巨泉のクイズダービー※」というTVのバラエティ番組での「面白いアナウンサー」としての記憶が大きいですね。

(※TBSテレビ:1976~1992年:司会:大橋巨泉)

コロちゃんと今は亡き妻は、1970年代後半にこのTV番組を一緒に楽しく見ていた時代があったのです。

この1970年代という時代は、アナウンサーは原稿をそのまま読むことが当たり前の時代で、「小倉智昭さん」は、その時代的制約から大きく外れた初めての「お笑いキャラアナウンサー」だったのです。

この「巨泉のクイズダービー」は面白かったですよ。

今ではコロちゃんは、すっかりTVを見なくなっていますが、1970年代後半のころはまだ見ていたのですよ。

当時のこの番組では、司会の「大橋巨泉氏」が「小倉アナウンサーの語り」を弄るのです。

その「弄り」で出演者全員が大爆笑となり、「小倉アナウンサー」は一躍人気アナウンサーとなっていきましたね。

当時のコロちゃんは、今は亡き妻と二人暮らしのアパートの部屋で、この番組を大笑いしながら見ていた記憶が鮮明に残っていますよ

「小倉智昭さん」は、1947年生まれですから「団塊世代(1947~1949年生まれ)」の方ですね。コロちゃんよりは少し年上のお兄さんになります。

ただ、人生の流れと時代の流れを考えると、コロちゃんの少し先を歩いておられる方ですから、コロちゃんとしては共感するところも多い方です。

「小倉智昭さん」が、「情報番組のニュースキャスター」に抜擢されたのは1990年代後半のようですから、その頃にはコロちゃんはテレビをほとんど見なくなっていましたね。

コロちゃんにとって「小倉智昭さん」は、「ニュースキャスター」というよりも「巨泉のクイズダービー」の「面白アナウンサー」のイメージがほとんどです。

2.「1970年代なかばのコロちゃん夫婦の生活」

ちょっと蛇足で、この1970年代なかばのコロちゃん夫婦の生活を振り返ってみますね。

上記の「巨泉のクイズダービー」を見ていた1970年代の半ばの東京では、若い方の入るようなアパートにはほとんど「お風呂」はありませんでした。

この時代には、若い方は「銭湯」に通うのが一般的だったのです。

若かったコロちゃん夫婦も近くの「銭湯」にしばしば通っていました。一緒に入り口をくぐると銭湯は「男女別」に分かれています。

そこでコロちゃん夫婦は分かれて入るのですが、出て来る時間を決めないと一緒に帰ることができません。

コロちゃんは「30分後を主張」し、妻は「1時間後を主張」します。女性の風呂時間は長いのですよ。

そこで、いつも「45分後にしよう」と妥協することがコロちゃん夫婦の常でしたね。

当時世の中に流れていたミュージックは「神田川※」です。この曲は時代性があるというか、我が身を歌っていると感じましたね。

「♬あなたはもう忘れたかしら・・・一緒に出ようねって言ったのに、いつも私が待たされた♪」

(神田川:1973年:歌:南こうせつとかぐや姫:作詞:喜多城忠:作曲:南こうせつ)

コロちゃんも良く口ずさんだ曲ですが、この歌詞では「銭湯」の出口で女性が待たされるのですよね

コロちゃんは、「いつも待たされるのは男だよ、そんな長風呂の男なんかいるもんか」と思った事を思い出しますね。

その頃のコロちゃん夫婦は、二人とも20代の前半です。輝くばかりに「若く楽しい時代」でしたよ。

3.「小倉智昭さんの闘病記」

お待たせいたしました。ここから新聞で読んだ「小倉智昭さんの闘病コラム考」です。

この新聞コラムによると、「小倉智昭さん」は2016年に「膀胱がん」に罹患し、その後2021年にがんが肺に転移し、ステージ4となったと書いています。

フジテレビの「特ダネ!」のキャスターをしていた時だそうですから、「小倉智昭さん」はバリバリの現役の時です。ショックだったでしょうね。

そして抗がん剤のステロイド薬の副作用で「糖尿病」が悪化し、「三途の川を見た」と書いていますね。

父親と川のほとりで「じゃあそろそろ行くかという父親に『まだ行きたくない』と答えると、父親だけが橋を渡って花園に姿が消えた」と瀬戸際だったと記載していますね。

おそらく「小倉智昭さん」は、死をそれだけ身近に感じていたのでしょうね。コロちゃんも「大腸がん手術」のをした時には死をハッキリと意識しましたものね。

その後2018年に「小倉智昭さん」は「膀胱の全摘手術」と、2023年には「転移した腎臓も全摘手術」が続いたとしています。

その間には「抗がん剤」や「免疫チェックポイント薬」の治療も続き、経営する会社の新しい事業展開を考えている時に、コロナ禍と病気が襲ってきたとしています。

いやいや、これは大変だったを通り越していますよ。コロちゃんの「がん闘病」よりもはるかに重いように見受けられましたよ。

しかし、この「がんとの闘い」の中で「小倉智昭さん」は、しっかりとこのコラムで、以下の様に情報を発信なさっています。

○「老後にやろうはダメ」

コロちゃんが一番共感したのは、コラムの最後の以下の言葉です。

「体が動くうちに海外旅行をすればよかった。ワインのおいしいお店に行っても自由に飲めない。若いうちにやれることがあったらやったほうがいい。老後にやろうと思っていても、老後になるとできないことがあまりにも多すぎる」

コロちゃんは、この「小倉智昭さん」のコラムの最後の言葉を読んで、手を打って「まったくそのとおりだよ」と声をあげましたよ。

「小倉智昭さん」は、コロちゃんが記憶しているところでは「大橋巨泉さん」の会社に所属していたと思いましたが、その後は自分で「会社」を興したのでしょう。

「ビジネスの世界」に乗り出すと、「経営者」はほとんどすべての時間をつぎ込むことになりますよね。

「小倉智昭さん」は、テレビの華やかな世界で活躍していても、忙しすぎてやりたいことが出来ない生活となっていたのでしょう。

コロちゃんは、若い時から現在まで結構やりたいことをやってきましたから、今となってはさほど不満はありませんけど、「小倉智昭さん」はそうではなかったようですね。

コロちゃんは、人の人生は分からないものだと思いましたよ。

なお、この「小倉智昭さんのコラム」を読んでみたい方は、以下のリンクのクリックをお願いします。

小倉智昭さん、「老後にやろう」はダメ 闘病の末の本音 - 日本経済新聞
今の状態は理想の隠居じゃない。68歳で膀胱がんが見つかり、肺や腎臓に転移し、2023年12月に左腎臓を切除した。2月下旬から免疫チェックポイント阻害薬の投与を6週間隔で受けているところだ。経営する会社は新しい事業展開を考えて社員を増やしたところ、コロナ禍と自分の病気がダブルで襲ってきた。病床に伏せているとき、妻は資金の...

4.「コロちゃんの闘病記」

コロちゃんが「大腸がん」と判明したのは、ちょうど「60歳の誕生日」の2ヶ月後でした。2013年の事でしたね。

お仕事の方は、60歳となった時に「定年退職」となり、そのまま「嘱託契約」に変えていましたが、その変更の2ヶ月後の事でした。

コロちゃんの「大腸がん」はステージ3で、その後「手術と抗がん剤治療」に入りました。

「手術」後には、仕事には一旦復職したのですが、抗がん剤の副作用の激しさから2週間後に休職となりましたね。

コロちゃんは、この当時はまだまだ65歳までは働き続けるつもりでしたので、ちょっと残念でしたが仕方がありませんでした。

その後は結局「復職」することは出来ずに、そのまま会社を「退職」することになりました。

しかしその後の2015年に「血液のがん」である「悪性リンパ腫」に罹患し、再び「手術・抗がん剤治療」となりました。

これにはさすがのコロちゃんも参りましたよ。しかし、直ぐに立ち直りましたよ。コロちゃんは「闘う」ことはキライではないのです。

「闘う相手」がハッキリと居た方が、メンタルは保たれるのです。むしろジワジワ苦しむ方がつらいですね。

この「悪性リンパ腫」のステージは2でした。大腸がんのステージ3よりは軽かったですね。

しかし「抗がん剤の副作用」は、この「悪性リンパ腫」の時の方が辛かったですね。とにかく「一呼吸一呼吸」が苦しい思いをしましたよ。

コロちゃんは、当時はどうして二つも「がん」を抱えることになっちゃったのかなー? と考えましたが、これも運命と捉えるしかないと割り切り、あとの始末をいろいろ進めることにしましたね。

子どもたちに伝えて、近親者に連絡をして、家の中を整理して、身の回りを整理して、死後残される妻の生活への準備を進めて、おおかたが終わると、やっとそれから自分の心の整理です。

そして「覚悟」と「その後」が整ったころに「がんが治癒」しました。

2018年に「大腸がん治癒」、2021年に「悪性リンパ腫治癒」となりました。

「がん」は、だいたい「寛解※」5年後で再発率が大きく低下するために「治癒※」と見なされるのです。

(※寛解:病気による症状や検査異常が消失した状態)

(※治癒:病気が完全に治った状態)

しかしコロちゃんの「悪性リンパ腫の治癒時(2021年)」には、妻が「肺がん」に罹患していましたから、コロちゃんが自分の「がん治癒」を喜ぶ気持ちには全くなれませんでしたね。

このように振り返ると、上記で読んだ「小倉智昭さん」の「がん闘病記」と、コロちゃん夫婦の「がん闘病記」が、年代的に同じ時期だったことがわかります。

コロちゃんは、この「小倉智昭さん」の「闘病コラム」を、共感しながら読みましたよ。同じ「がんの闘病」という点では、さながら「戦友」のように感じましたよ。

5.「まだまだお話しをお聞きしたい」

この「小倉智昭さん」の闘病コラムを読むと、小倉さんの「闘病」はまだまだ続くのでしょう。

「がん」のステージ4は、「他臓器転移」があることが特徴です。しかし、コロちゃんとしては頑張っていただきたいですね。

「小倉智昭さん」は、決してエリートの出身ではありませんでした。獨協大学を卒業後に、文化放送、フジテレビのアナウンサーとしての入社試験に落ちて、東京12チャンネルに入社しています。

その後も「競馬中継」を担当して頭角を現したものの、上層部と衝突して退社し、フリーとなっています。

フリーランスとなった後も、仕事が入らず鳴かず飛ばずの時代が続いたとしています。結構苦労なさっているのですよ。

それを本で読んで知ったコロちゃんは、「小倉智昭さん」に一気に好感と共感を持ちましたね。

コロちゃんにとって「がんとの闘い」は、「大腸がん・悪性リンパ腫」の「治癒」を持って、一区切りとなりました。

しかし「小倉智昭さん」は、まだまだ闘い続けています。彼の生き方はコロちゃん世代からみると団塊世代の「成功物語」です。

まだまだお話をお聞きしたいとコロちゃんは思いましたね。

どうか今後もいろいろ「情報発信」していただいて、あとに続く「昭和世代」を元気づけていただきたいと思いますよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

NoName_13によるPixabayからの画像

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