【生活考】日曜版:「少年Kの1960年代」映画は娯楽の王様

生活

おはようございます。今日のコロちゃんは、天気が良さそうなのでアゲアゲの気分ですね。

やはり、コロちゃんは腰痛だということもありますが、暖かい方が過ごしやすいですね。

どうやら今日の最高気温は26℃との予報ですから、今日のコロちゃんは一日中気分が良く過ごせそうです。

だけど、ワンコが最近はエサの食いが悪いのですよね。もう歯がダメになりつつあるようですから、エサに牛乳をかけて、柔らかくしてあげているんですけどね。

それでも、なかなかワンコの食欲は回復しませんね。もう14歳ですから仕方がないのでしょうけど、元気になって欲しいなー。
(*ノ´□`)ノガンバレェェェェ

今日は日曜日ですので。「コロちゃんの清貧ライフ:日曜版」をお届けしますね。内容は、少年コロちゃんが活躍していた1960年代が舞台です。

1960年代が舞台と言っても「東京タワー※」はありません。小学生コロちゃんは、東北地方の田舎町に住んでいるのです。

(※東京タワーの完成は1958年)

1960年代の日本で、少年コロちゃんが元気に走り回っていた光景をどうぞお楽しみくださいね。

今日は「少年Kの1960年代:映画は娯楽の王様」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「1960年代という時代と、映画の1960年代」

☆「1960年代の映画館入場料と諸物価を見ると、キングコング対ゴジラの衝撃」

☆「映画上映中に響き渡るお姉さんの声と、お金の掛かる遊びは贅沢という少年コロちゃんの世界」

1.「1960年代という時代」

昨日の「コロちゃんの清貧ライフ:土曜版」では、1960年代の「テレビ」と「番組」などをお伝えしました。

そして、1960年代の「高度経済成長」なども見てきましたが、今日の「日曜版」では「映画は娯楽の王様」だったこの時代を見て行きましょう。

まずはその前に、この1960年代の「文化風景」をちょっと覗いてみましょう。

皆さんは「ヒッピー族」を言う言葉を聞いたことがありますか?

この「ヒッピー族」は、1960年代のアメリカで巻き起こった「既存の社会制度」や「価値観」を否定した社会運動です。

日本にはやや遅れて1960年代後半に盛んになり、新宿駅の東口前の芝生ロータリーなどで多くのヒッピーが寝そべったりしていましたね。

コロちゃんは、1970年ごろに東京に上京してきましたけれど、その時にも新宿駅前の数人のヒッピーがたむろしていたのを見たことがありましたね。

この「脱社会的行動」をとる若者たちの運動は、その後も形を変えて長く続くことになりましたね。

また若い女性の「ミニスカート」が流行したのも1960年代です。

「ミニスカート」を最初に発明(?)したのは、イギリスのデザイナーのマリー・クワントが1959年に生み出したとされています。

ただ「日本」での大流行には、イギリスのモデル「ツィッギー」の来日(1967年)が切っ掛けとなっていますね。

この「ツィッギー(小枝)」は愛称です。本名は「レズリー・ホーンビー」だそうですが、コロちゃんは今の今まで、「ツィッギー」が本名だと思っていました。

その愛称「ツィッギー(小枝)」どおりの細い足をミニスカートで歩く姿は、1960年代の日本の若い女性たちを魅了しました。

ただ「魅了した」のは、若い女性たちのみではなかったのです。それを知りたい方は、下記のエピソードをお読みください。

1969年に訪米した「佐藤栄作総理」に同行した妻の寛子夫人(当時62歳)が、ひざ上5㌢のミニスカートで羽田飛行場の飛行機のタラップで笑顔で手を振っていたそうですよ。
(@゚Д゚@;)アレマッ!

御年62歳のおばあちゃんですよね。マスコミが一斉に注目したことは言うまでもありません。

そしてこの時の「佐藤総理訪米」の目的は、当時のアメリカのニクソン大統領と「沖縄返還交渉」をまとめるためでした。

そうなんです。沖縄がアメリカ軍の軍政から日本に変換されるのは、この後の1972年です。

この「佐藤総理訪米」時点では、沖縄はまだ「アメリカ占領地」だったのですよ。

佐藤総理夫人(62歳)がかなり無理な「ミニスカート」を着用したのも、アメリカ世論を日本びいきにつけて「沖縄返還交渉」をスムーズにするためだったとするのは考えすぎでしょうか。

もう一つだけ、1960年代を象徴するお話しを書いておきましょう。

皆さんは「新井由実さん」が作詞作曲した「いちご白書をもう一度※」と言う曲をご存じですよね。

(※いちご白書をもう一度:1975年:作詞作曲:荒井由実:歌:バンバン)

この曲にある「いちご白書」は、1970年のアメリカ映画でその元ネタは1968年に「コロンビア大学」で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作されたそうですよ。

この「コロンビア大学」では、奇しくも現在イスラエルによるガザ侵攻に抗議する座り込みをキャンパスで繰り広げていて、つい先日の4月18日にも学生100人が警察に検挙されています。

「表現の自由」でいろいろな主張を学生たちが発する伝統は、未だにこのコロンビア大学では健在のようですね。

ざっとコロちゃんが知っている1960年代をちょっと覗いてみました。それでは、次からは今日のテーマである「映画は娯楽の王様」を見てみましょう。

2.「映画の1960年代」

皆さんは、最近「映画」を見たことはありますか? 恐らくほとんどの方は「映画」は見ているでしょう。

しかし「映画館に行ったことがありますか?」と聞かれれば、最近はあまり行っていないとお答えの方が大勢いらっしゃるかと思います。

しかし、1960年代では「映画」は「映画館」に行かなければ見られないものだったのです。そりゃそうですよね。ビデオもDVDも、ましてやネット視聴もない時代ですからね。

そして、他にあまり「娯楽」の種類もありませんでした。「ボーリング」も「カラオケ」も、始まりは1970年以降です。

当たり前のことですが「ネット※」も「スマホ※」もありません。

(※インターネットは日本では1984年開始:スマートフォンの始まりは1994年のIBMの「Simon」と言われる)

「登山」や「スキー」も限られた方しか遊ぶことはできませんでした。これらには、何しろ「道具を揃える」にも「技術を習得する」にもお金がかかりましからね。

そんなこんなで、庶民の手軽な娯楽として1960年代は「映画が全盛時代」を迎えていたのです。

下記の表をご覧ください。内容は下に書き出します。

映画統計
西暦 映画館数 公開本数 入場者数 興行収入
1955 5184 616 8億6891万人 546.6億円
1960 7457 763 10億144万人 728.0億円
1970 3246 659 2億5480万人 824.9億円
1980 2364 529 1億6442万人 1652.9億円
1990 1836 704 1億4600万人 1719.1億円
2000 2524 644 1億3539万人 1708.7億円
2010 3214 716 1億7536億人 2207.4億円
2020 3616 1017 1億0614億人 1432.9億円

(出典:日本映画製作者連盟ホームページよりコロちゃんが作成:4月25日利用)

上記の表は「日本映画製作者連盟ホームページ」の「映画統計」の一部です。

コロちゃんがざっと見渡して見ると、上記の表のピークは下記のようになります。

◎「映画統計:ピーク」

➀「映画館数:1960年:7457スクリーン」

➁「公開本数:2020年:1017本」

③「入場者数:1960年:10億144万人」

③「興行収入:2010年:2207.4億円」

上記のデータを見て見ると、2000年以前は1960年代が「映画館数・入場者数」のピークですね。

なにしろ「➀映画館数:1960年:7457スクリーン」と「③入場者数:10億144万人」ですからね。

特に上記の表で目に付くのは「1960年の映画入場者数10億144万人」です。この「入場者数」は、未だに上回る年は在りません。歴代1位ですね。

2010年の「映画入場者数」が1億614万人ですから、なんと1960年は2010年の10倍近くの「観客動員数」だったわけですね。

しかし、2000年代以降はミニシアターが全国で展開されたためと思われますが、「興行本数・興行収入」ともに2010年代の方がピークとなっています。

1960年の日本の人口は9430万人ですから、1960年には国民1人当たり10回以上「映画」を見たことになりますね。

映画は「1960年代」を通して「国民の娯楽No.1 」だったのです。

3.「1960年代の映画館入場料と諸物価を見る」

昨日のこのブログ「土曜版」で、1960年の「大卒初任給は1.3万円」で、今年2024年の「大卒初任給は22.6万円」ですから、だいたい17倍になりますとご紹介しました。

その時代のテレビのお値段と、現在の貨幣価値に換算した数字もご紹介しています。

下記にもう一度書きますね。

◎「テレビのお値段」

❶「カラーテレビ:1960年:52万円」⇒「現在の貨幣価値:約880万円」

❷「白黒テレビ:1960年:5.8万円」⇒「現在の貨幣価値:約99万円」

どうですか、なかなか庶民には手が届かなかったお値段とお分かりになるでしょうね。これが大量生産されると、どんどん価格が低下するのですから「資本主義」とはダイナミックなものですね。

そこで、本日のテーマ「映画館」の入場料を見てみましょう。

◎「映画代:1960年:119円」⇒「現在の貨幣価値:1825円」

なお、コロちゃんが最近の「映画館入場料」を調べましたところ、大手を中心にだいたい2000円前後になっていますね。

ただ1960年代当時の物価を見ると、納豆が15円、豆腐が18円となっていましたから、「映画館入場料」は、納豆8個or豆腐7個分となります。

現在では納豆3パックで90円くらいでしょうから計720円と、今の映画館入場料金2000円の半分以下となりますね。

これは現在の「納豆・豆腐が安い」のか、それとも現在の「映画入場料金が高い」のか、どちらかなのでしょうね。

上記のように、1960年代の「映画入場料金」は119円程度(現在価値1825円程度)だったみたいです。

この時代の少年コロちゃんは、普段のお小遣いは5~10円で訪ねる先は「駄菓子屋」でした。たまにある「お祭り」の時も貰えるお小遣いはだいたい20円だったように記憶していますね。

そのような少年コロちゃんの懐具合では、なかなか「映画館の入場料金119円(※)」は貰えません。

(※多分子ども料金で半額だったと思います)

しかし、その時にどうしても見たい「映画」が、少年コロちゃんの住んでいる田舎町の映画館で上映されたのです。

4.「キングコング対ゴジラの衝撃」

少年コロちゃんがどうしても見たかった映画は「キングコング対ゴジラ※」と言う怪獣映画でした。

(※キングコング対ゴジラ:1962年:監督:本田猪四郎:特撮監督:円谷英二:出演者:高島忠夫ほか)

この映画は、北極海で眠っていた「ゴジラ」が眠りから覚めて日本を目指して南下し、南の島で魔神としてあがめられていた「キングコング」が日本に運ばれて、富士山麓で戦うというストーリーでした。

最後は、闘いながら移動して共に海に沈み、キングコングは浮上して故郷の南の島に帰っていき、ゴジラはそのまま行方不明となるという、次の作品につなぎやすい結末となっています。

この「ゴジラシリーズ」は、1954年の第1作以来、2004年の第28作まで数多くの作品を公開しています。

しかし、この少年コロちゃんが見に行った「キングコング対ゴジラ」は、ゴジラシリーズ中では歴代1位となる1120万人の観客動員となる大ヒットとなっています。

少年コロちゃんが見に行った年ですが、「ロードショー公開」は1962年ですが、地方の映画館ではそれよりも後になることが、この時代には多かったですね。

そこの「映画館」では、いつも2本立ての「映画」を上映していました。

その時に少年コロちゃんが1人で見に行ったことを思うと、多分この時の少年コロちゃんは小学校4・5年生だったように思われますね。

ちょうど、今のコロちゃんの長男一家の「なーちゃん(9歳)」と同じ年ごろだったかと思われますね。

5.「映画上映中に響き渡るお姉さんの声」

なぜ、少年コロちゃんが1人で映画を見に行ったことを憶えていたかと言うと、その時に少年コロちゃんは、「キングコング対ゴジラ」を2回見ていたからです。

最初の1回は感動に震えながら興奮して見て、その後2本立ての別の映画を見て、その後も直ぐに帰らなかったのです。

その日2回目の「キングコング対ゴジラ」を、少年コロちゃんが、じっくり味わって見ていた時に、いきなり後ろの開閉ドアが開きました。

真っ暗な館内に、ロビーの照明がさーっと広がる中で「従業員のお姉さん」の声が響き渡ります。

「少年コロちゃんさーん! お迎えの方がいらしてますから、正面玄関までお越しくださーい!」

そうなんです。夢中になって興奮しながら、その日2回目の「キングコング対ゴジラ」を見ていた少年コロちゃんは、帰る時間をすっかり忘れてしまっていたのです。

当時の映画館は、観客の入れ替えは全くしていなかったですね。

家で少年コロちゃんの帰りを待っていた「かーちゃん」は、もう映画を見終わっている時間のはずなのに、いつまでも帰ってこない少年コロちゃんを、心配してわざわざ迎えに来てくれたのです。

「かーちゃん、面倒をかけたよね。忘れていてゴメンね」byコロちゃん

この「映画館内での呼び出し」のことはその後も長くコロちゃんの記憶に残っていましたが、その前後の様子は全く覚えていませんね。

このようにして1960年代の少年コロちゃんは、当時の娯楽の王様である「映画」を楽しんでいましたよ。

6.「お金の掛かる遊びは贅沢という少年コロちゃんの世界」

上記の少年コロちゃんの「1人で映画を見に行く大冒険」を読んで、なぜたかが50円~100円の費用を出せないのだろうと思われた方もいらっしゃると思います。

しかし、少年コロちゃんの1960年代では「子どもにはお金を使わせない」「子どもの遊びはお金を使うことはない」との意識が一般的(※)でした。

(※少年コロちゃんの周囲だけのことかもしれません)

今のコロちゃんの「金融知識」で考えると、この時代にはまだ社会に十分なお金が回っていなかったのでしょう。

要するに当時の「日本社会」には「マネタリーベース※が少なかった」のではないかと思われますね。

(※マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」)

社会に回ってるお金の量が少ないのですから、少年コロちゃんの様な貧しい子どもの手元にまではなかなか届かなかったと思いますよ。

確かに「この時代の日本」では、産業界にも十分な資金が流せなくて「日本興業銀行・日本債券信用銀行・日本長期信用銀行※」などが設立されています。

(※いずれの銀行も1990年代末の金融危機時に破綻・再編となる)

まあこのような見方は、当時の少年コロちゃんには別の世界の話しであり、ちょっとした遊びや、ちょっとした気づきに、一喜一憂しながら走り回っていたのが少年コロちゃんでしたよ。

ですから、「お金が無い・貧しい事」は今のコロちゃんにとっては、ちょっと不便かも知れませんが恥ずかしい事ではありません。

かつての貧しかった少年コロちゃんにまた戻るだけのことです。

そしてそのような貧しい生活の中でも、たまに1本の映画が見られたことに、大きな喜びを感じることは出来たのです。

これはコロちゃんだけの意識かも知れませんけど、コロちゃんはこのような価値観を未だに持っていますね。

1960年代とは、今から60年以上前の時代です。「物質的には貧しい生活」でした。

しかし、そこで生きていた人たちは驚くほど楽観的で、「明日は今日よりは良い日になる」と信じ込んでいました。

現在は、「物質的には、はるかに豊かな生活」をおくっています。しかし「常に不安」を抱えていて「将来への希望」が持てない社会が拡がっています。

コロちゃんは、昔が良かったとは言いませんよ。あんな「貧しい生活」はイヤですからね。しかし「これからの未来は明るいと思える社会」であって欲しいと思いますよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

8926によるPixabayからの画像

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