おはようございます。今朝のコロちゃんは、ワンコとの散歩に長袖の上着を羽織りましたよ。
毛皮のあるワンコは元気になってきましたが、腰痛を抱えているコロちゃんは、すっかり「寒がり」になっており、天気の急変は身体に応えるのですよ。
コロちゃんは、いつも朝の6時頃にワンコと散歩に行くのですが、その時間の気温は今朝は17℃でしたね。
何か今年は「真夏」から、一気に「晩秋」へと移動したように感じましたよ。さてコロちゃんは、これからは「風邪」をひかないように気を付けますよ。
皆さんも、外出した時には「うがい・手洗い」は忘れないようにしましょうね。コロちゃんは、ワンコとの散歩後には、必ず「うがい・手洗い」を励行していますよ。
今日は、昨日の続きの「コロちゃん悪性リンパ腫になる➁」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「コロちゃんを襲った三つの敵があったよと、抗がん剤の副作用は辛かったよ」
☆「もう一つの敵は家計収支だよと、がんとの闘いはメンタルの闘いだよ」
☆「力を尽くさないのは許せなかったよと、次は妻が倒れたよ」
1.「コロちゃんを襲った三つの敵があったよ」
この記事の冒頭のアイキャッチ画像は「ライムグリーンリボン」です。
この「ライムグリーンリボン」は、「リンパ腫のシンボルカラー」で、安らぎと新たな命の息吹を表しています。
国内外の「リンパ腫患者団体」で広く使用されており、「リンパ腫」の普及啓発や患者支援のために用いられていますよ。
さて、今日の記事は昨日の「コロちゃん悪性リンパ腫になる➀」の続きです。まだお読みでない方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
昨日の「コロちゃん悪性リンパ腫になる➀」では、「あごの下のしこり」から「悪性リンパ腫」と診断されるまでの経過を追いかけてみました。
そして「悪性リンパ腫」と言う病いの説明と、コロちゃんの「ファイティングポーズ」をご紹介しましたが、この時点でコロちゃんには三つの敵が目の前に立ちはだかっていました。
それは、以下の3つです。
◎「コロちゃんの三つの敵」
➀「抗がん剤の副作用」
➁「医療費+家計収支」
➂「メンタル」
昨日の「コロちゃん悪性リンパ腫になる➀」で、コロちゃんが「絶体絶命」と書いたのは上記の➀~③が一体となってコロちゃんに押し寄せて来たからでした。
以下に、この①~③の「三つの敵」の姿とコロちゃんの対処を、順次ご説明しますね。
2.「抗がん剤の副作用は辛かったよ」
まず最初の敵は、前回の「大腸がん」の治療でも行ないました「抗がん剤治療とその副作用」です。
この「悪性リンパ腫」の治療も「抗がん剤療法」を行ないました。「R‐CHOP療法」と言われましたよ。
治療の内容は、「3週間ごとに4コース」で点滴を行いました。最初の1コースのみは入院で、その後は通院という治療方法を指示されました。
「ステロイド剤」をつかうというこの治療は、頭の毛がすべて抜ける副作用がありました。覚悟はしていましたから動揺はしませんでしたね。
コロちゃんは、事前に頭を「丸刈り」にしてから「抗がん剤」の治療を始めましたよ。「抗がん剤」を投与すると、髪の毛、最初の1週間でほとんど抜け落ちました。
ちょうど季節は秋から冬に向かう時季だったので、1日中「毛糸の帽子」をスッポリ被って過ごしましたね。「ツルッパゲ」隠しですよ、頭がスース―しましたよ。
それよりも参ったのは、とにかく「苦しい」んです。
「息をする」のも「一呼吸一呼吸をやっとする」ありさまです。「一瞬一瞬」が過ぎるのがつらい。「大腸がんの抗がん剤」よりも、こちらの方がはるかに辛かったですね。
「もう、抗がん剤はやめた!」と言い出しそうになり、耐える。
o(´^`)o ウー
とにかく耐える。
( ´^`° )ウッ
耐える。
(。>_<。)ウ-💦
耐える。
グッo(`´メ)
そして「夜眠れない」、「睡眠剤」も効かない。
前回の「大腸がんの抗がん剤」と違って、手足の皮がボロボロに剥けたり、足の指の爪が剥がれたりはしませんでしたが、これは別格の辛さでした。
この時のコロちゃんは、ほとんど家の中でゴロゴロと転がっていた「廃人」でしたね。何も自分では出来ませんでした。
しかし、わが偉大な「妻」は、いささかの動揺も見せずに介護してくれましたね。この時点のコロちゃんは、「妻」が居なければ、とても一人では生きていられない状態でした。
その状態が半年ほど続きました。その後も長く「副作用」の影響は残りましたね。
今から振り返って見ると、この「副作用」から完全に回復したのは、この「抗がん剤投与時」から2年後でしたね。
3.「くしゃみで圧迫骨折をおこしたよ」
今回の「悪性リンパ腫」の「抗がん剤治療」で投与された「ステロイド剤」には、「骨粗しょう症」のリスクがあるとされています。
今回の「抗がん剤治療」が終わってから、2ヶ月ほど経ったある日の朝のことです。ちょうど冬の真っ盛りの2月のことでした。
コロちゃんは、いつものように「妻」とワンコ2匹(当時はママワンコ+黒ワンコが居た)と一緒に、散歩コースの中にある「公園内」を歩いていた時のことでした。
( ~д~)ハ・・・ハ・・ (o>Д<)o・”.::・ハックショォンッ!!
コロちゃんは、大きなくしゃみをしたのです。その瞬間に「魔女の一撃が!」。
∑ヾ(;゚□゚)ノイタイ!!
いきなりの「凄まじい痛さ」がコロちゃんを襲いました。
その後に「胸椎12番の圧迫骨折」と診断されました。背中の骨が「骨折」を起こしていたのですよ。痛いはずですよね。
人間には背骨が、上から順に「頸椎7個+胸椎12個+腰椎5個」と並んでいます。コロちゃんは、そのうちの「胸椎の一番下の12番」の椎間板がグシャッと潰れてしまっていたのです。
原因は、「抗がん剤治療」で使われた「ステロイド剤」の副作用による「骨粗しょう症」の発症です。
その後の「骨密度検査(レントゲン)」によると、コロちゃんの「腰椎」は、「同年代の骨密度の40%台」まで低下していたことが分かっています。
「抗がん剤」は、がん細胞を攻撃するには効果的なのでしょうけど、その副作用も強いものでしたね。
コロちゃんは、命と引き換えに「骨粗しょう症」と言う病いを、その後も現在まで抱えて生きることとなりました。
今もコロちゃんを悩ませる「腰痛」は、この時から始まったのです。
4.「もう一つの敵は家計収支だよ」
上記の「抗がん剤の副作用」と、全力で戦っていたコロちゃんでしたが、その主戦場以外に「兵站」と言う戦線もありました。
「兵站」とは、戦場に軍需品や食糧などを送る「軍事用語」ですが、コロちゃんのこの場合は、すでに退職して無収入となった「家計収支」です。
コロちゃんは、いちおう一家の「家長」でありますから「家計の維持」にも責任があります。
「大腸がん」が発症した1年目には「入院・手術等の医療費」もかかりましたが、「がん保険」に加入していましたし、休職中でも「傷病手当金」がありましたので、「年間収支」は黒字でした。
その後の2年目に「傷病手当金」の18ヶ月間の支給が終わり、会社を「退職」となり、それ以降は無収入となってしまいました。
そしてその「退職」の4ヶ月後に、この「悪性リンパ腫」の発症が判明したわけです。
コロちゃんが、今後の生活をどのようにして維持するのかに「不安と悩み」を感じるのは当然ですよね。
この様な時には、なかなか判明しない将来の収支を出来るだけ予測することしかありません。
コロちゃんは、この時点の「家計収支」を、以下のように考えていました。
➀「収入は年金しかないよ」
すでにコロちゃんは会社を退職していますし、その時点の身体は「抗がん剤」の副作用でほとんど「廃人」のようにぐったりしていて、とても働ける状態ではありませんでした。
そうなると頼りは、「すでに始まっていた妻の年金」と、「まもなく始まるコロちゃんの年金」です。
現在の「年金制度」は、1985年の法改正で「老齢厚生年金」の受給開始年齢が、60歳から65歳に段階的に引き上げられることになっており、コロちゃんの場合は62歳から支給されるとなっていたのです。
それを計算すると、2人の「年金」を合わせれば「生活は維持できそうだ」と計算しましたよ。
あとは「医療費負担金額」が不明でしたからその点がちょっと不安でしたね。
➁「医療費負担額は大幅に下がったよ」
コロちゃんの2回目の「がん」である「悪性リンパ腫」の医療費は、前回の「大腸がん」より大幅に安上がりになりました。
その理由は、ちょっと前に「コロちゃん大腸がんになる➁」でもお伝えした「高額療養費制度」の内容にあります。
この「高額療養費制度」とは、一定額以上の「医療費」が発生した時に、その「上限額を超えた医療費」が還付される制度です。
そして、その「上限額」は、「前年の所得」によって変わるのです。以下をご覧ください。
◎「高額療養費制度:所得区分」
➀「年収 :1160万円以上」
➁「年収:770~1160万円」
➂「年収 :370~770万円」
➃「年収 :~370万円」
⑤「住民税非課税世帯」
https://www.mhlw.go.jp/content/000333279.pdf
(出典:厚生労働省 厚生労働省保険局 高額療養費制度を利用される皆さまへより:9月25日利用)
上記の所得区分は「前年の所得」だという点にご注意ください。この時のコロちゃんの「前年所得」は、大幅に下がっていたのです。その理由は以下の通りです。
➂「傷病手当金(月給の6割)は所得ではないよ」
コロちゃんの、前年所得はそれ以前の年の「③年収:370~770万円」から、この年には「所得ゼロ」となっていました。
その理由は、コロちゃんが「大腸がん発症」から休職となって支給されていた「傷病手当金(月給の6割)」は「非課税所得」とされているのです。
「傷病手当金(月給の6割)」は「所得」ではないのです。
これは「傷病手当金(月給の6割)」の在り方が、「健康保険組合による助け合いの制度」だと言う理念からだと思われます。
コロちゃんの場合は、「悪性リンパ腫」と診断された前年所得は、全て「傷病手当金のみ(月給の6割)」でしたから「所得ゼロ」となります。
そうすると、それまでの前年所得の「③年収:370~770万円」から、この年のコロちゃんは「⑤住民税非課税」となりました。
そうなると、1ヵ月の「医療費負担の上限額」が大きく下がります。
「高額療養費制度の所得区分」の上限額は、「医療費」によって変わってきますから、あまりカッチリした数字は出ないのですが、ザックリした金額は以下の通りです。
◎「高額療養費制度:所得区分によるざっくりした医療費負担上限」(金額はコロちゃんの推定です)
➀「年収 :1160万円以上:25万円強」
➁「年収 :770~1160万円:17万円強」
➂「年収 :370~770万円:8万円強」
➃「年収 :~370万円:5万7600円」
⑤「住民税非課税世帯 :3万5400円」
https://www.mhlw.go.jp/content/000333279.pdf
(出典:厚生労働省 厚生労働省保険局 高額療養費制度を利用される皆さまへより:9月25日利用)
「住民税非課税世帯」となったコロちゃんの医療費は、上記のように「上限額」が「➂年収 :370~770万円:8万円強」から「⑤住民税非課税世帯3万5400円」に下がったのです。
「がんの治療費」で1ヵ月の治療費が大きくかかるのは、「手術と入院費と抗がん剤治療」です。
コロちゃんの「悪性リンパ腫」の場合では、「手術」は入院ナシで、その後の「抗がん剤治療」の最初のコースだけが1週間の入院があっただけで、あとの「抗がん剤治療」は通院でした。
さらにその後の「放射線治療」も、全て通院でした。
こうなると、コロちゃんの「悪性リンパ腫」の医療費は大幅に下がります。
「厚生労働省」の「医療給付実態調査(平成28年度)」によると、「悪性リンパ腫」の医療費は平均で「入院費用27万4788円+通院費用1万5609円=29万397円」となっています。
ざっと30万円程度ですね。
コロちゃんの場合は、「住民税非課税世帯」となっていたので、それよりは大分お安くなりましたね。
(※なお、現在のコロちゃんは妻の死去のためにおひとり様となっていますが、もう住民税非課税世帯ではありません。年金収入が1人分となり生活は妻が生きている時より低下しているのに・・・解せぬ?」
(´・ω・`) 解せぬ
結果的には、この年と次の年のコロちゃんちの「家計収支」は30~50万円の赤字で済みましたよ。
当時のコロちゃんは、上記のようなことをポチポチ調べながら、そして考えながら、「ダメージコントロール」の撤退戦を戦ってきたのですよ。
5.「がんとの闘いはメンタルの闘いだよ」
上記のように、コロちゃんは「悪性リンパ腫」においては、「抗がん剤の副作用」で一番大きなダメージを受けました。
「息をする」のも「一呼吸一呼吸をやっとする、一瞬一瞬」が過ぎるのがつらい、「もう、抗がん剤はやめた!」と言い出しそうになり、耐える。
夜眠れないで、錯乱状態になった時もありました。コロちゃんの人生で、初めてで最大の「知性の低下」でしたね。
ほとんど「被害妄想」のような事が、次々と浮かぶ。何事も悪い方へしか考えがまとまりません。
先に発症した「大腸がん」は病気でした。いきなり災害にあったようなものです。ですから、わけもわからず状況に流されていろいろ苦労しました。
しかし、この2回目の「悪性リンパ腫」は、不意打ちを食らった災害ではありません。もうこの時には「がん」の知識は相当得ています。
「災害」ならば対策をたてて元の生活に戻るために力を尽くすのみです。
しかし、「がんとの闘い」は戦場の戦いなのです。もう元の身体に戻ることを考えていたらばダメなのです。
たとえ元の身体に戻れなくとも、最悪死に進もうとも、目的は「闘う姿勢を維持すること」です。
そう考えをまとめると、立ち上がる気力がわいてきました。コロちゃんは、頭の中で再びファイティングポーズをとりましたよ。
そうしてコロちゃんは、この時の「抗がん剤の辛い副作用」を切り抜けてきましたよ。
6.「力を尽くさないのは許せなかったよ」
コロちゃんの人生を振り返ってみれば、そういえば「成功した」ことはほとんど思いつかないですね。
いつも何かと「闘っていた」のですが、そのほとんどは全力を尽くしても「敗北」に終わることばかりでしたね。
それでも、飽きずに懲りずにまた次の何かにチャレンジして、また敗北することを繰り返してきたように思いますね。
よく言いますよね。「やってしまって後悔する」のと、「やらなかったことを後悔する」かの選択のことを。
コロちゃんは、考えてみれば今までの人生の中では、そのような選択の時には、いつも「やって後悔」を選んできましたね。
しかし、「結果」については、いつも後悔しませんでしたよ。ただ「全力を尽くさなかった時には後悔する」と考えていましたよ。
コロちゃんは、以下の言葉が好きなのですよ。
「力及ばずして倒れることを辞さないが、力を尽くさずして挫けることを拒否する」
何事もコロちゃんは、「前進すること全力を尽くすこと」が好きなのですよ。
たとえ負けても「全力を尽くさないこと」は許せませんし、結果が悪くとも自身が納得する負け方をしたいのですよ。
この様に考えて、コロちゃんは「悪性リンパ腫」との闘いを進めてきましたよ。
7.「次は妻が倒れたよ」
上記のように「悪性リンパ腫」との闘いを続けたコロちゃんでしたが、季節は廻り翌年になっても、まだ体調は戻りませんでした。
そしてようやく体調が回復してきた翌年(悪性リンパ腫発症から3年後)になった年末に、コロちゃんの妻が倒れました。
コロちゃんは、子どもたちが独立してから、ずっと妻と二人で暮らしてきました。
思えば妻と生活を共にしたのは1970年代のコロちゃんたちが20歳代前半の頃からです。それ以来妻とは、ずーっと一緒に歩いてきました。数えてみれば既に50年近くになります。
そして「高齢者」となってからも、コロちゃんが病気に倒れてからも、当たり前のように「わはは」と大声で笑いながら、コロちゃんの面倒を見てくれました。
その病気をほとんどしたことのない妻が、年末にいきなり倒れたんです。
それが「妻が肺がん」を発症する始まりでした。
ここで「コロちゃん悪性リンパ腫になる➀➁」は、一旦終わりとします。この続きは「コロちゃん妻肺がんになる」を後日投稿しますね。
しかし、「人生は筋書きがないドラマ」とよく言われますけれど、正にそうですね。コロちゃんの60代はこの「がんとの闘い」で全て占められていましたね。
「こんなはずではなかった」と思うべきなのか、それとも「闘う相手がいて充実した人生となった」と見るのか、コロちゃんはこの両方の思いを今抱いていますよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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