【闘病考】コロちゃん妻、肺がんになる(その3)

闘病

妻は肺がん宣告を受け、コロちゃんが大腸がんと悪性リンパ腫の治療を受けた病院に入院しました。コロちゃんは、車いすを押しながら、家と病院を行き来する日々が始まりました。

(アイキャッチのフォトは、最後の旅行となった上高地高原です)

11.抗がん剤とウイッグ

担当医は、小細胞肺がんのステージは3。5年生存率は25%と宣告しました。言葉も出ません。

抗がん剤治療は「PE療法」と言って、3日間投与し、3週間あいだを開ける×4コースと言われました。最初は1か月入院で、その後は3日間の投与時のみ入院と指示されました。

妻のとって、ショックだったことは髪の毛が全部抜けたことだったようです。やはり女性にはつらいことですよね。

年内には、次男の結婚式もありますから、ウイッグを購入し慰めました。

12.放射線治療の4日後の結婚式

抗がん剤治療が終わると放射線治療がありました。10日間です。その最終日が、結婚式の4日前でした。

妻を結婚式に出席させるオペレーションは、コロちゃん一族の総力を挙げた大作戦となりました。

家族の全員が、妻を結婚式に「新郎の母」として出席させることに全力を振り絞りました。

長男一家には幼児と乳児がいます。妻も車での移動でないと、ちょっと無理ということで細かい打ち合わせを重ね、準備を入念にしました。

妻は、新郎の母親ですから、本人はなんとしてでも出席したいのは当然ですが、おそらく妻はその場を「自分の人生の集大成」と強く意識していたようでした。

結婚式の最後には、新郎新婦と両親が並んで、父親が出席者にお礼のあいさつをするのが定番です。

事前の準備で、妻が立っているのがつらいだろうと、息子たちが大きな椅子を手配してくれていたのですが、いくら進めても妻は座ろうとはしませんでした。

立ち振る舞いに覚悟がほの見えました。

コロちゃんは、そこに妻の矜持とプライドを見ました。妻は立派に花婿の母を務めあげた「心の強い女」でした。

13.がんの脳転移と抗がん剤治療再び

そして、半年足らずの時が流れました。脳神経外科の定期検査で、がんの脳転移が確認されました。抗がん剤治療の再開です。医師からは「余命1年」と宣告を受けました。

病院から、ちょっと行ったところに人造湖があります。抗がん剤治療で通院の途中に、おにぎりを持ってそこの駐車場で湖を眺めながら、妻と昼食をしばしば食べました。

コロちゃんも妻も、20代のころにハイキングで歩いたことのあった場所でした。

当時はハイカーであふれていましたが、今では寂れて廃墟となっているユースホステルが人造湖の中央にそびえています。

この場所でいろいろなことを語り合いました。どういうわけか、楽しかった日々や子どもたちの話しか出てこないんですよね。

穏やかな時間が流れた昼食でした。

14.緩和ケア病院の見学

妻が抗がん剤の点滴治療を受けているうちに、コロちゃんは担当医と相談支援センターの方と打ち合わせを行い、近隣の緩和ケア病院のお話を聞きました。

一ヶ所は家の近くの病院で、もう一ヶ所は現在治療を受けている病院の近隣です。どこも入院待ちの状態で、早めに相談見学はしといた方がいいと伝えられました。

そして緩和ケアには「通院・訪問・入院がある」と教えられました。

二人で一ヶ所は見学に行きましたが、なんとも現実感がなかったように覚えています。

結果的には、コロナ過の中で入院すると、もう面会できなくなってしまう状況となり、自宅でみとることになったわけですが、準備をすべてやり切ったことには一定の慰めがありました。

15.上高地への最後の旅行

時計の針が否応なく進んでいることが、誰も言葉にはしませんが、一族の全員がわかっています。

「みんなで温泉旅行に行こう」

コロナ過の中ですが、コロちゃん一族全員が旅行できるのは、もう最後の機会でしょう。

上高地に全員集合しました。上高地高原を満喫し、河童橋でフォトをとって、温泉に入って、部屋で全員が集まりトランプをし、大笑いし、大騒ぎをし、楽しい時を過ごしました。

楽しかったなあ(T_T)。

16.テグタン料理の伝授

コロちゃんちで、みんなが大好きだった料理があります。

牛テールを使った料理です。大鍋に牛テール肉とゼンマイ、ニラ、もやしを入れて、煮こみ、スープでもご飯にかけてでもおいしくいただけます。すり鉢でゼンマイとニラともやしをつぶすんです。

みなが集まった時に「食べたいよ」と言ったのでしょうね。

妻も、身体が動くうちにと思ったのでしょう。レシピをメモに書かせ、フォトに記録を撮らせて、そのあとでみんなで美味しくいただきました。

「やっぱりおいしいな!」と舌鼓を打つみんなの顔には、以前と同じ笑顔がありました。

この時には、まだ妻の体調はそんなに悪くなかったんですよ。

コロちゃんは、余命は告げられていても、信じられない思いと間違いなく時が刻んでいるという知識のはざまで、息が詰まるような思いでした。

ただ、それは顔には表せません。妻を悲しませたくないですから。

当時のコロちゃんは、妻が「知識と知性ではなく、キャラで達観している」と評価したことがありました。

17.緊急入院と余命宣告

ある日のこと、足もとはちょっと不自由ながら、日常生活を何とか過ごしてきた妻に、いきなり異変が起こりました。

立ち上がれなくなったのです。

緊急入院しての医師の診断は「症状は上下肢麻痺。原因は脳の転移がんが拡大したもの。

この時点で、今後抗がん剤治療をするのか、それともやめるのかの選択をしてください。何もしなければ余命3~6ヵ月、抗がん剤治療をすれば+4~6ヵ月です」との宣告。

コロちゃんは、妻をその場に読んで静かに話しました。

妻は「もう脱毛はやだな。もう(治療は)いいよね」と沈んだ声で言いました。その後二人でちょっと話をしました。

妻は「先に逝くけどごめんね」と言葉少なく語り、ふたりとも泣きました。

18.帰りの車の中の会話

帰りの車の中でコロちゃんは「子どもたちも立派に独り立ちしたし、私たちはよくやったよ。ここまで来たんだよ」言うと、妻は「そだよね」と泣きながらうなずいていました。

分量が長くなりましたので、4回に分けてお伝えします。
この続きは『【闘病考】コロちゃん妻、肺がんになる(その4)』で明日お伝えします。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

本稿は以下からの続編になります。
【闘病考】コロちゃん妻、肺がんになる(その1)
【闘病考】コロちゃん妻、肺がんになる(その2)

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