おはようございます。昨日のコロちゃんは、11年ぶりに「大腸がん」の診断が下った後の自分の行動を書いてみましたよ。
そして、下記ながら当時のコロちゃんの心の中に浮かんだ「不安・とまどい・信念」などを、すっかり思い出してしまいましたよ。
「追体験」とは、このようなことを言うのですね。何とも苦しくもあり、その中に希望もあった時期でしたね。
今日は昨日の続きの「コロちゃん大腸がんになる➁」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「がんとの闘いが始まったよと、手術は目が覚めてからが痛かった」
☆「抗がん剤治療で手足の皮膚がボロボロになったよと、結腸癌の5年生存率は71.7%だよ」
☆「年金事務所で妻の遺族年金を教えてもらったよと、傷病手当金制度に助けられたよ」
☆「薄れる副作用の先には全身が痛む後遺症と退職があったよと、無収入で病いもちの老人になりましたよ」
☆「コロちゃん絶体絶命か?そのとき妻は・・・と、コロちゃんの闘病記が皆さんのお役に立てれば嬉しいですよ」
1.「がんとの闘いが始まったよ」
今日のブログは昨日からの続きになります。前回をまだお読みになっていない方は、下記のリンクからお読みください。
上記の昨日のブログでは、「潜血便検査」から「大腸内視鏡検査」を経て、「大腸がん」と診断され、「手術後」から「抗がん剤治療」が始まったコロちゃんでしたが、これは長い戦いの始まりでした。
コロちゃんが、がん告知を受けたのは2013年の秋も深まった頃でしたが、その後全ての「がん」が治癒と診断されたのは2021年でした。12年間の闘いでしたね。
なんとコロちゃんの「60代の全期間」は「がんとの闘い」で終始したのです。何とも苦しく先の見えない闘いを強いられたものですよ。
今でこそ冷静に振り返れますが、当時は一つ一つの治療が初めての体験です。
「不安」もありましたし、「戸惑い」もありました。そして何よりも「現在の生活維持」と「将来の生活不安」とも対処しなければならなくなったのです。
それでは、まずは「大腸がんの手術」のところから見てみましょう。
2.「手術は目が覚めてからが痛かった」
コロちゃんの「大腸がんの手術」は、事前説明を聞く限りは単純な手術でした。
コロちゃんの「大腸がん」は、大腸の一番奥の部分(小腸より)に発生していました。その部分を周囲20㌢に渡って切り取り除くのです。
そして4個のリンパ節にも「がん」が転移していましたから、このリンパ節がある「腸間膜」は全切除となりました。
「内視鏡手術」ですから、腹部5箇所に穴を開けてそこから「ロボットアーム」のような機器を差し込んで、他の穴から空気を吹き込んで「腹部を膨らませて手術する」と言っていましたね。
コロちゃんは、この手術前の説明を聞いた時に「お腹が膨らんだカエルの姿」が頭に浮かびましたよ。
当然「全身麻酔」ですから、痛みは全く感じませんし、お腹が膨らんだカエルのような姿はコロちゃんは全く覚えていません。
最初に午前中に手術室に入ったのですが、その後気が付いた時はもう夜で真っ暗な中(多分集中治療室)で目が覚めました。
手術前には、家族の見守られて「手術室」に入ったのですが、その日の手術後は「面会謝絶」でした。
コロちゃんは、手術後の「麻酔」が覚めてからが痛かったですね。
看護師さんに「痛み止め」をお願いしたのですが、服用してもあまり効かずに「痛い痛い」と唸っていましたよ。
その後、医師からは「手術は成功しました」と報告を受けましたよ。入院期間は2週間弱でしたね。当初の予定より少し長くなりました。
コロちゃんは、もう「まな板の上のコイ」の心境でしたね。とにかくどうしようもないのです。
気持ちとしては「死へ向かうかも知れない降りられないエスカレータ」に乗せられていて、強引に移動させられている感覚ですね。
ただコロちゃんとしては、医師と話し合った「最善の治療」と思われる「治療」を、たんたんとこなすだけだと思っていましたよ。
やはり、一番大変なのは「メンタル管理」でしょう。どんな人間でも「死ぬかもしれない」と思えば冷静になれません。
コロちゃんは、「闘病」と言うファイティングポーズをとることにより、自身を鼓舞しましたが、これはあくまで「コロちゃん流」です。
どのようにして「メンタルの維持」をするかは人それぞれで違うと思いますよ。このようにしてコロちゃんは、次の治療の段階の「抗がん剤治療」に進みましたよ。
3.「抗がん剤治療で手足の皮膚がボロボロになったよ」
そして、その1ヵ月後から「抗がん剤治療」が始まりました。この治療は途中で体調の急変でもない限りは「通院治療」となっていました。
「ゼロックス療法」という治療で、「点滴椅子」に座っての治療です。1回の治療で3~4時間はかりましたね。
「抗がん剤」は、とても強い薬ですから、点滴スピードのスピードが上げられない様でした。
日によっては、待ち時間が長くなることもありましたから、1回の治療で6時間ほどかかった時もありましたよ。
この「点滴椅子」というものが優れモノで、椅子にテレビもついている優れものです。患者が飽きないように工夫されているのです。
コロちゃんは、だいたい毎回2冊の本を持ち込んで「読書時間」としていましたね。
この「ゼロックス療法」は1コース21日間、4コースでした。ですから、途中で休止期間が無ければ3ヶ月強で終わりますが、コロちゃんの場合は1回だけ延期した回がありましたね。
患者の体調次第で「抗がん剤投与期間」が変わることもあるのです。
そして「抗がん剤」を点滴すると、病院から出る頃にはもう副作用が出てきました。手足のしびれです。「抹消神経障害」というそうです。
コロちゃんは、車での通院は帰りが怖いので、電車とバスの交通機関を使用しましたね。
ちょうど「季節は冬」でした。この「抹消神経障害」は冷えると顕著に出てきます。以下のようなことが起こりました。
◎「抗がん剤副作用:末しょう神経障害」
➊「水に手をつけられない(痺れ・痛む)」
➋「ドアノブにさわれない(痺れ・痛む)」
➌「シャツのボタンが留められない」
➍「薬のパッケージが開けられない」
❺「手足の皮がボロボロ剥ける」
❻「足の爪が抜け落ちる」
上記のような「激しい副作用」が出ました。
手足の皮が全部ボロボロと剥けました。あとからあとからボロボロと剥け続けるのです。
そして、冷たいものに手が触ると「強い痺れ・痛み」を感じました。妻が家内のドアノブの全部を布カバーで覆ってくれました。
コロちゃんは24時間、家の中でも手袋を着用しました。足の爪がほとんど抜け落ち、その後生えてくる都度に3回抜け落ちました。
そして「強い倦怠感」です。とにかく起きていられず集中力が続きません。
コロちゃんは、読書記録を「ブクログ」というインターネット本棚に書き留めていますが、あれだけ読書好きのコロちゃんが、この時点から丸2年間本をほとんど読んでいません
このことは、あとから記録を見て驚きました。まったく身体に余裕がなかったんです。
さすがに辛かったのですが、「妻」がすべて面倒を見てくれました。ひとつひとつ全部何も言わずにやってくれたんです。
この時ありがたかったのは、文句も泣き言も励ましの言葉さえも、何ひとつ言わない「妻」の姿勢ですね。
本当に苦しい時には、励ましの言葉は重荷なんです。黙ってそばにいてくれれば、必ず一人で立ち上がりますから。
いい妻だったなー。
( ɵ̷̥̥᷄﹏ɵ̷̥̥᷅ )グチュッ…
4.「結腸癌の5年生存率は71.7%だよ」
コロちゃんが、最初に「大腸がん」と診断をされて時に、最初に考えたのは「あとどのくらい生きていられるか」でした。
当然ネットでいろいろ調べましたよ。そうしたところ「国立がん研究センター」の「がん情報サービス」などで、その時点のデータが分かりました。
ここでは、現在発表されている最新データを記載しますね。コロちゃんが10年前に調べた数値とあまり変わっていません。
まず「5年相対生存率」と言う概念があります。
この言葉は「がんと診断された人のうち5年後に生存している人の割合が、日本人全体で5年後に生存している人の割合に比べてどのくらい低いか」と言う数値です。
「100%に近いほど治療で生命を救えるがん、0%に近いほど治療で生命を救い難いがん」となります。
コロちゃんの罹患した「結腸がん」で、この「5年相対生存率」を調べると、最新データは以下のようになっています。
◎「部位別がん5年相対生存率:結腸がん:男性 2009~2011年」
➀「男性:72.8%」
➁「女性:71.9%」
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
(出典:がん情報サービス:最新がん統計より:9月21日利用)
この「結腸がん:72.8%」は、10年前にコロちゃんが調べた数値とほとんど変わりはなかったと記憶していますね。だいたい7割でしたよ。
ただ、もう少し詳しく見ると「大腸がんステージ3b:5年生存率:63.8%:大腸がん研究会2000~2004年症例」などもありましたので、ざっと見ると6~7割の5年生存率だろうなと思いましたね。
コロちゃんは、「5年後に6~7割が生きているのならば希望はある」と心強い思いを持ちましたよ。
なお、現在の「がん情報」で皆さんも知っていた方が良いと思える「最新データ」がありましたので、以下に書いておきますね。
◎「日本人が一生のうちにがんと診断される確率(2020年データ)」
➀「男性62.1%(2人に1人)」
➁「女性48.9%(2人に1人)」
◎「日本人ががんで死亡する確率(2022年データ)」
➀「男性25.1%(4人に1人)」
➁「女性17.5%(6人に1人)」
ねっ、結構「がん」と診断される方は多いのですよ。これをお読みの方も「人生設計」の参考にしてくださいね。
5.「年金事務所で妻の遺族年金を教えてもらったよ」
さて「大腸がん」の治療方針も決まって、家の「思い出整理と大掃除」も順調に進むと、「抗がん剤の副作用」は辛いですが、もっと気になるのは「残されることになりそうな妻の生活」です。
もちろんコロちゃんは、そう簡単には逝くつもりはないですよ。しかし「5年生存率は6~7割」ですから、その内の3~4割の方は逝くのでしょう。
だから「備え」は必要ですよね。コロちゃんは近隣の「年金事務所」に☎しました。
「もし私が亡くなった後の妻の年金額が知りたいのですが、教えていただけますか?」byコロちゃん
年金事務所のお姉さん
そのデータは、こちらにお越しにならないと教えられないことになっております。
ご予約なさいますか?
へー、そんな仕組みになっているんだ? 初めて知ったよ。
確かに普通は男の方が先に逝くから、わざわざ聞くのはなんかあると考えて、そういう仕組みになっているのかなー?
まあ、☎で教えられないのならばしょうがないですよね。コロちゃんは「年金事務所」に予約してから行きましたよ。
そうしましたら、以下のように教えてもらいましたね。
◎「夫死亡時の妻の遺族年金」
➀「妻が40歳以上となり65歳に到達するまでは『中高齢寡婦加算を含む遺族厚生年金』が支給される」
➁「妻が65歳以降は『老齢基礎年金』及び『遺族厚生年金』が支給される」
この時点では、コロちゃんが60歳で妻が63歳でしたから、コロちゃんが直ぐに死んだ場合には「①中高齢寡婦加算を含む遺族厚生年金」が支給されるはずですね。
だけど、さすがにコロちゃんは直ぐには死なないでしょう。
だから「②老齢基礎年金+遺族厚生年金」になりますが、コロちゃんの妻は自身の「厚生年金加入期間」も結構ありますから、どうなるのかを詳しく聞きましたよ。
「夫死亡時の妻の年金」は、自らの「老齢基礎年金」を受給するとともに、「報酬比例年金」については、下記の3つの方法から選択するとなります。
◎「夫死亡時の妻の年金の報酬比例年金の選択」
➀「夫の老齢厚生年金の3/4」
➁「妻の老齢厚生年金のみ」
➂「夫と自分の老齢厚生年金の合計額の1/2」
どうやら、上記の➀~③をそれぞれ計算して、一番高い金額だったところを選択するようになっているようです。
しかし、・・・わっかんねーよ。こんな複雑なことは。
┐(´д`)┌ワカリマセーン
そこでコロちゃんは、年金事務所の「係のお姉さん(実はおばさん)」に聞きましたよ。「結局妻はいくらもらえるの?」って。
(*´・д・)はて?
そうしましたら、「係のお姉さん(実はおばさん)」は、ポチポチ・・・、「月16万円ですね」と言いましたよ。
おー、結構もらえるじゃん!
( *¯ O¯*)おー
これならコロちゃんが死んでも、残された妻は1人でも大丈夫、充分暮せますね。
コロちゃんは一安心しましたよ。これで心置きなく逝け・・・いやいや逝っちゃダメでしょ!
((乂°∀°))ダメヨーダメダメ!!
6.「傷病手当金制度に助けられたよ」
この「がん」という病気で何が困るかというと、実は「医療費」よりも、働けなくなった時の「生活費」です。
コロちゃんは、現役で働いていましたので、まだまだ仕事を続けるつもりでした。「大腸がんの手術後」に1ヵ月間の休職はしましたが、すぐに職場に復帰しました。
しかし「抗がん剤の副作用」で、手の皮膚が全部ボロボロとなり、全身の「倦怠感」が強まってくると「休職」せざるを得なくなりました。
「休職」となると、会社からのお給料はでません。その時のために「傷病手当金」という制度があります。
➀「傷病手当金は月給の約6割が出るよ」
以下の表をご覧ください。内容は下に書き出します。
「厚生労働省 傷病手当金について」より
https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/000619554.pdf
出典:厚生労働省 厚生労働省保険局 傷病手当金についてより(9月21日利用)
上記の表は「厚生労働省」が発表している「傷病手当金について」です。
「健保組合・協会けんぽ・共済組合」に加入している雇用者には、病気で働けなくなった時に「傷病手当金」が支給される制度があります。
この「傷病手当金」は、最長で1年6ヶ月間、毎月の給料の約6割を受け取ることができます。支給は会社からではなく、「健保組合・協会けんぽ・共済組合」から行なわれます。
支給金額について、もう少し詳しくみますと「1日につき、直近12か月の標準報酬月額を平均した額の30分の1に相当する額の3分の2に相当する金額」です。
わかりにくい表現ですが、ボーナスを除いた毎月の給料のだいたい6割程度となっています。
コロちゃんは、この支給を最長の18ヶ月間受けて生活を支えました。大変ありがたかったですね。だって毎月の給料がもし30万円だったばあいには、その6割は18万円ですよ。
その18万円の18ヶ月分だと、なんと総額は300万円を越えます。コロちゃんが受け取った「傷病手当金」は、その金額を少し超えてましたね。
コロちゃんとしたら「健保組合様様」でしたよ。「生活苦」を気にしないで、「がんとの闘い」に専念することが出来ましたよ。
➁「多くのがん患者が働きながら治療しているよ」
上記のように「抗がん剤の副作用」で、残念ながら「休職」となったコロちゃんでしたが、年齢はまだ60歳でリタイアするには早いと考えていました。
コロちゃんは、バリバリに「復職する気満々」だったのですよ。
だって、多くの「がん患者」が「働きながら治療」を受けているのですからね。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「厚生労働省 仕事を持ちながらがんで通院している者」より
https://ganjoho.jp/med_pro/liaison_council/lc01/20201105/pdf/20201105_01-01.pdf
出典:厚生労働省 がん患者・経験者の治療と仕事の両立支援施策の現状について(9月21日利用)
上記のグラフは「厚生労働省」が発表した「仕事を持ちながらがんで通院している者」です。上のグラフが「男性」で、下のグラフが「女性」です。
これを見ると「仕事を持ちながらがんで通院している者」の数は、「男性18.6万人+女性26.2万人=44.8万人※」もいらっしゃいます。
女性の方が多い(26.2万人)のですね。
これは「生活のため」でしょうか、そこまでは書いていませんがコロちゃんは心が痛みますね。他人ごととは感じられないのですよ。
このデータは2019年のものですから、現在は更に多い方が「がん」に罹患しても治療しながら通院していると思いますね。
コロちゃんは、「抗がん剤治療」を受けていた当時には、ここまでのデータは知りませんでしたが、そもそも「退職・リタイア」するつもりは一切なかったのですよ。
「大腸がん」を「手術」で治して、「抗がん剤治療」で再発を防いだら、元のコロちゃんの身体に戻れるものとすっかり考えていたのですよ。
それが、そうではないとハッキリわかるまでには、この後「1年半の時の経過」が必要とされましたね。
➂「傷病手当金制度は国民健康保険にはありません」
この「傷病手当金制度」は、地方自治体の運営する「国民健康保険」にはありません(一部の国民健康保険組合にはある)。
「国民健康保険」は、元は「自営業対象の制度」だからという理由だそうです。
コロちゃんは、「傷病手当金」について調べていて、このことを初めて知りました。
がんに2人に1人がかかり、4人に1人が亡くなるといわれる時代に、「時代錯誤の制度」としか言いようがないと思いましたね。
一般に「非正規雇用」の方は、「国民健康保険」の方がほとんどです。「がん」という病は、会社員とか自営業とか非正規雇用とか、人を選んで発症はしません。
1年間にがんに罹患する患者数は「100万人※」にものぼります。当然その中には多くの「非正規雇用」や「自営業」とかで「国民健康保険」の方もいらっしゃるでしょう。
(※2020年:がんと診断された罹患数:男性53万4814人+女性41万238人=94万5055人:厚生労働省:令和2年全国がん登録罹患数・率報告より)
その方たちのセーフティネットは弱いです。
コロちゃんは「社会保険制度」を、誰でも「がんになっても安心して休める制度」に整えていただきたいと心から思いますよ。
7.「薄れる副作用の先には全身が痛む後遺症と退職があったよ」
コロちゃんの「抗がん剤治療」は、「1コース21日間」で「4コース」でした。3ヶ月間強で終了しました。
その終了後に、数か月たってから、全身に「痛み」が出てきました。
手を肩から上にあげると「筋肉が痛む」んです。「足のもも・ふくらはぎ」も痛みます。「生活の質・快適度」が極端に低下しました。
この原因と治療法は分かりませんでした。とりあえず「痛み止め薬」はもらうんですが、効きませんでした。全身の「倦怠感」もまだ残っていました。
そうこうしているうちに「傷病手当金」の最長期限18ヶ月となり、「退職」せざるを得なくなりました。
コロちゃんは「職場復帰」を目指したのですが、「傷病手当金支給の最長期限1年6ヵ月」が過ぎても、身体が回復しませんでした。
この全身の痛みには、1年半以上苦しめられましたが、その後徐々に薄れて消えていきましたね。
「抗がん剤の副作用と後遺症」は、コロちゃんの身体にそれほど強い衝撃を与えましたね。
しかし、これも「命と引き換えの副作用・後遺症」ですから、自らが決断して受け入れたものです。
コロちゃんは納得していますよ。
コロちゃんの「退職」は、ちょうど「がんで休職」してから1年6ヶ月後でした。
28年間お勤めした会社に「退職願」を提出しましたよ。悔しかったなー。
トボトボ…( ((ヽ´д`)ハァ~
8.「無収入で病いもちの老人になったよ」
「傷病手当金」の支給が終了し、仕事を「退職」すると収入がありません。
さぁどうしよう。「体調を回復したら何か仕事をしなきゃぁ」と考えたかというと、体力と思考力の低下でぐったり寝ていたというのが実情でした。
退職直前の「読書記録」をみると、少し読書数が出てきていましたので本の世界に逃げ込んで心のバランスを必死にとっていたのだと思います。
無収入というのは相当なストレスです。これからしばらくの間は、妻の「年金収入のみ」で生活することとなりました。
その後コロちゃんが62歳となって待望の「年金受給」が始まりました(※)から、コロちゃんちの「年金清貧ライフ」の出発となって少しホッとしましたよ。
(※年金支給年齢が60~65歳に変る経過措置として老齢厚生年金は生年月日によって受け取れる年齢が異なります)
コロちゃんの「無収入・無年金の期間」は、ちょうど6ヶ月間でしたね。
この期間に「家計収入」について、妻が何かを語った記憶が一切ありません。いやー、人間が大きい女性でした(身体はあまり大きくありません)。
(〃∇〃)テレテレ
そういう時に、ちょっとした検査でコロちゃんの「悪性リンパ腫」が判明したのです。退職してのち数ヶ月後でした。
まだ「大腸がん」の治療中ですよ。コロちゃんは「1難さってまた1難だ」と思いましたよ。
9.「コロちゃん絶体絶命か?そのとき妻は・・・」
「大腸がん」の治療が、「手術・抗がん剤治療」も一段落して、その後の「副作用」には苦しめられたものの、何とか乗り越えたかと思ったら、次には思いもよらぬ「後遺症」の「全身の痛み」です。
その痛みも少しずつ薄れて、いよいよあとは「がんサバイバー」になるだけかとおもったら、さらに「悪性リンパ腫」の宣告を受けました。
コロちゃん、絶対絶命か?
と思いましたが、その時そばにいた妻は、まったく平常と同じ様子で黙々とコロちゃんのお世話をしてくれるのです。泣き崩れるのでもなく、文句を言うのでもなく、まるで達観したように。
この時は、わが女房殿ですが尊敬しましたね。胆力がすごい(何も考えていなかったのかもしれません)。
(*゚0゚*)スッゴッイ!
10.「コロちゃんの闘病記が皆さんのお役に立てれば嬉しいですよ」
コロちゃんが、上記の「大腸がん」に罹患したのは今から10年前です。
その時には必死で1日1日を過ごしていましたが、今から振り返って見れば、よく今まで生きて来れたものだと思いましたよ。
コロちゃんが、当時に悩み苦闘しながらいろいろと調べて、そのデータを一喜一憂しながら見ていたことを思い出しますね。
コロちゃんの「がん闘病記」は、この後も「悪性リンパ腫闘病記」と更に「妻の肺がん闘病記」が続きます。
直ぐに連載とはなかなかいきませんが、準備が出来次第書いてみたいと思いますので、ぜひお読みくださいね。
これらの「コロちゃんの体験」が、少しでも皆さまの知識になってお役に立てればいいなと考えて、昨日今日と「大腸がんの闘病記」を書いてみましたよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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