【読書考】「ドキュメント通貨失政」を読んで

読書

コロちゃんは、一時「日本銀行」の金融政策について興味を持ち、その関係の一般書を読んでいました。

その中でそれまでに全く知らなかった「お金をめぐるマクロな事情」を知ることができたのですが、世の中を見渡す視野が、ちょっと広がったようにも思います。

今日は、その関係の本で読んだ内容を、ポチポチとお話します。

1.著者の本は、以前にも読んだよ

今回読んだ本は「ドキュメント通貨失政」という本ですが、著者は「西野智彦氏」です。

この方は、時事通信社で、日本銀行、大蔵省、自民党を担当した後に、TBSに移り「筑紫哲也NEWS23」や「報道特集」を担当した、ジャーナリストです。

そして「ドキュメント日銀漂流」という本を出版されています。

コロちゃんは、この本を読んで、とても興味深かったので、「読書考」で紹介しています。

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【読書考】「ドキュメント日銀漂流」と「日本銀行失策の本質」を読み比べる

この前回作の「ドキュメント日銀漂流」は、1995年の「松下総裁」から、2022年の「黒田総裁」までを扱っていましたが、今回作の「ドキュメント通貨失政」は、1971年~1974年の「佐々木直」総裁時代を取り上げています。

この期間は、言わずと知れた「高度成長」真っただ中の、日本の黄金時代です。その中で中東戦争が起こり「石油危機」が襲来します。

コロちゃんは、1971年のこの時には、まだ20歳前の初々しい青年でした(ホントかよ!)
( ∩_∩ )ゞ エヘへ

そして、この石油危機後には、日本経済は「高度成長」を終えて「安定成長」という名の「低成長の時代」へと変わっていったのです。

その転換期であったこの時の、政治と日銀の動きの舞台裏を、本書は実に迫真に迫る内容で描いています。

すでに当時から50年以上たっていますから、当時の関係者は鬼籍に入っている方も多いのです。

それを著者は、書き残した文書や著書、また財務省や日銀の史談録や、回顧録などを活用して、1971年に起きた日本経済の大混乱の様子を再現しました。

日本では、この手法の調査報道の本は少ないですね。

コロちゃんは、アメリカのジャーナリストの「ボブ・ウッドワード」の著作の「ブッシュの戦争」や「オバマの戦争」を読んで、調査報道の凄さを実感したことを思い起こしました。

あ、今日の【読書考】は、下記の「ブッシュの戦争」じゃないですよ。「調査報道」の例として出しただけです。

今日の【読書考】は、次の項から出てきます。

2.「ドキュメント通貨失政」(西野智彦 岩波書店 2022年)

ここからが、今日の【読書考】の紹介です。

1971年の日本の当時の、総理大臣は佐藤栄作、アメリカ大統領はニクソンです。

そのリチャード・ニクソン大統領が、1971年8月に突然「ドルと金の交換停止」というテレビ・ラジオ演説を行いました。

その持つ意味が、日本ではわからずに右往左往します。

当時のアメリカでは、ベトナム戦争の巨額の出費もあり、恒常的な財政赤字に悩まされており、対外債務に対する金保有量の減少に耐えられなくなったのです。

当時の国家間の為替相場は、金で裏打ちされた固定相場でしたから、海外に流出したドルは、金と「交換の要請」があれば応えなければならなかったのです。

当時の日本は、現在とは違って、経常黒字が続いているとはいえ、それは69年70年の2年間でしかなく、固定相場からの円の切り上げは、断固として阻止すると、政治も日銀も考えていたようです。

その時に起きていたのは、外為市場での、固定相場を維持するための、日銀の、大幅な円売りドル買いの動きです。

そこで、市場を閉鎖するかどうかで、関係者が動揺した結果、「待ち」で、そのまま市場を開き続けることになるドタバタの顛末が書かれているのです。

そして、アメリカの強い意向の下で、フロート(変動相場制)に移行するまでの、日本政府のろうばいを詳細に描いています。

日本では、政府の政治家も、日本銀行も、円高は日本経済の危機につながると思っていたようです。

しかし、コロちゃんは、本書のここを読んで思ったんですよね。

当時のドル円の為替相場は固定相場でした。

ですから、アメリカは、国際収支の大幅な赤字を、為替を円高ドル安に変更させて解決しようとしたとも言えますが、それはアメリカにとっても、短期的すぎる見方だったのではないでしょうか。

根本の原因は、アメリカが国際収支で巨額な赤字を垂れ流していることにあるわけですから、そこが変わらない限りは、どんなに為替が変動しても、いずれ同じ問題が出てくると思ったのです。

現に、その後の歴史は、アメリカの貿易赤字の対象が日本から中国に代わっただけで、貿易赤字と貿易摩擦はいまだに続いています。

3.変動相場制移行時の巨額の損失

8月16日の「ニクソン声明」から、8月28日の「フロート移行」までに、日銀が行なった為替介入の総額は46億ドル。当時としては巨額の介入です。

日銀がその損失を被ることとなりました。

当然国会でも追及されます。しかし、当時の日銀は1㌦360円を堅持するということで、銀行や企業を引っ張っていましたから、為替差損を民間に押し付けることはできなかったと言っています。

そうなると、1971年夏に、市場を開け続けたことが、歴史的失策だったというのが、その後の日銀内での定説となっていると書いています。

コロちゃんは、、ここを読んで、危機のときに「待ち」になる日本の指導者の傾向を感じました。先を読んで、思い切って決断ができない。

そのような例は日本の歴史では、いたるところにあると思いました。

4.フロート後の新たな基準レートの設定

変動相場制は、あくまでも暫定的な措置であり、1㌦360円に代わる新たなレート設定の交渉に入ります。

日本企業からは、「できるだけ小幅な切り上げにとどめて欲しい」と悲鳴が噴出します。

日銀総裁の佐々木は、第二次大戦前にロンドン駐在時に、金解禁と米国発の恐慌が戦争につながっていくプロセスを欧州の地で目撃していたそうです。

この当時の、日本の指導者層は、日本の昭和初期の深刻な不況を実体験していただけに、円切り上げへの恐怖が身に沁みついていたのだと思います。

本書は、日銀の外国局長の藤本巌三氏の言葉を借りて、以下のように書いています。

「佐々木(日銀総裁)の言葉の端々に国際収支の赤字に悩まされていたころの日本の残像があった」

「今思えば、認識を早めに改めるべきだった」

この章を読んで、コロちゃんは、以下のように感じました。

アメリカは当時の日本を「勃興する日本」と見て脅威を持ち、厳しい要求を突き付けてくる。

それに対して日本自身は「まだまだ小さなままのひ弱な日本」と自分自身を見ている。

そのような相互のギャップを感じました。

そのギャップが、アメリカと日本のこの時期の軋轢を招いたのでしょう。しかし、このような詳細な歴史の裏側を知ることができるとは、実に興味深いですね。

5.1㌦308円に決定

多角的通貨調整の終着点となるG10蔵相会議に臨んで、日本は1㌦315円(14.3%)に止めたいという方針で臨みました。

アメリカのコナリー財務長官は、事前に19%切り上げを要求していました。最後には、水田大蔵大臣とコナリーの差しの交渉です。

水田は「日本が1930年に金本位制に復帰した時の、円の切り上げ幅は17%だった。その時の大蔵大臣は暗殺されてしまった。だから17%は不吉な数字だ。俺は死にたくない」と、言ったと書いています。

その結果、1㌦308円(16.88%)で決着しました。

「水田三喜男伝」には、この時の心境が以下のように記されています。

「米国はけしからん。が、日本はその米国にもたれかかって居心地の良い惰眠をむさぼりすぎた。これからはそうもいくまい。けれども、果たして国民は理解してくれるだろうか」と心境を語っています。

この経験が、「円切り上げは恐ろしい」という恐怖心を日本人に植え付けたと本書は語っています。

コロちゃんは、ここを読んで、円高恐怖症は、その後もずっと日本社会では続いていたと思いました。そして、それはこれから始まったのかと知りました。

6.金融政策

この時代の金融政策は、日銀の専管事項ではありません。現在とは違って、政策金利は「公定歩合」という手段で決められていました。

「公定歩合」は、日銀によって検討され、大蔵省との調整を経て、正副総裁と理事による役員集会(通称マル卓)で、事実上決定されていました。

そして、この頃は、公定歩合と郵貯金利が別に決定される仕組みだったのです。日銀だけで金利を決定することができなかったのです。

円切り上げのスミソニアン会議を終えた後に、日銀は、公定歩合の0.5%引き下げを提示しましたが、郵政省がうなずかない。

その後、見切り発車で日銀は0.5%の公定歩合の引き下げを断行します。「低金利の時代」の始まりです。

これにより、いわゆる「過剰流動性」の萌芽が生まれたと本書は指摘しています。

7.円切り上げは絶対阻止

足元の経済力と照らし合わせた時に、どの程度の円ドル相場が適切なのかを判断する材料は、大蔵省も日銀も持っていなかったと書いています。

1㌦308円が不当な円高水準なのかはわからなかったのです。

日本全国に悲観論が広がる中で、日本の貿易黒字は増加の一途をたどり続けていました。

新平価を維持するための当局の円売り・ドル買い介入の結果、外貨準備高も上昇する中で、欧米の視線も厳しくなり、円の「再切り上げ論」が頭をもたげます。

こうした中で、内需拡大で黒字減らしを進めるために、一層の金利低下を図るべきだという意見が出てきます。

円切り上げの阻止という圧力の下で、追加利下げに向けた流れが加速していったとされています。

国内需要を増やすことにより、輸入を増やし、貿易黒字の削減をははかる「拡大均衡戦略」だったとされています。

ここを読んで、1974年の「狂乱物価」が、こうして仕込まれていったのかと嘆息しました。

あの物価上昇は、単に中東戦争の石油ショックによるものではなく、このように下地が敷かれたのかと、初めて知りました。

8.拡大均衡による黒字減らし

日本が大幅な貿易黒字を積み上げる中、欧米の「円切り上げ」の圧力が強まってきます。

それを阻止しようと、黒字減らしのために「公定歩合」を下げる道に進みます。内需を拡大して、貿易黒字を吸収しようとしたのです。

また、佐藤首相は、悲願である沖縄復帰が目前に迫っていました。

これを花道に退く意向を固めていた佐藤は、長期政権の総仕上げとして、追加利下げを断行し、景気回復をより確かなものにしようと考えていたと書いています。

そういう内部の動きを、本書は詳細に追いかけているのです。

9.田中総理誕生

1972年、田中内閣が誕生します。

中国との歴史的な「国交正常化交渉」を成立させた田中総理は、帰国時の記者会見で「円の再切り上げには、中小企業はとても対応できぬというのが現状であり、国内政策を行うべき」と発言します。

これは、「通貨高による輸出抑制」ではなく、「景気を刺激して輸入拡大」を図る戦略です。

この時の政治の世界では、「貿易黒字を解消するには経済基盤の拡大しかない」という考えから、「適度なインフレ」を起こそうと、財政のアクセルを踏み込んだとしています。

そして「日本列島改造ブーム」を背景に、土地の買い漁りが全国で広がり、実体経済が必要とする以上のカネが市中に存在する「過剰流動性」状態が、ついに出来上がったとしています。

コロちゃんも、この時のトイレットペーパーが全くなくなった騒動をリアルに体験していました。

当時は何もわからなかったのですが、本書を読んで、初めてこの時の「失政」の中身がわかりました。

日本の貿易黒字の拡大に対する、アメリカからの猛烈な圧力がありました。

それを背景として、何としても「円切り上げ」を避けたかった日本政府は、景気を吹かすことによって国内需要を増やし、それによって輸入を拡大する。

そうすれば、貿易黒字が減少して、アメリカからの圧力もなくなるという考えですね。

この「円高の恐怖」は、コロちゃんも、2011年民主党政権時の時のドル円79円と言う時の大騒ぎを憶えていますから、日本政府と企業には、身に沁みついた感覚なのでしょう。

しかしその結果が、その後起きた「狂乱物価」だったとは、何とも救いがありません。

10.インフレの萌芽の中で、遅れる利上げ

貿易黒字が増大する中で、アメリカからは「円の再切り上げ」の圧力が強まります。

その中で、政治の世界では田中総理が「円の再切り上げは避ける」という方針を堅持します。

物価が高騰し始める中で、日銀は公定歩合を上げることを模索しますが、「円の再切り上げ」を阻止したい方針は、田中総理・大蔵省ともに同じでした。

この当時の日銀は、大蔵省の監督下にあったのです。

日銀側からは、何回か利上げをしようとしたのですが、補正予算を組んでいる時や、総選挙前はとんでもないとか、政府側が受け入れなかったと書いています。

利上げの検討が始まってから、半年近くの時間が経過して、やっと0.5%の利上げが実施され、その後物価の上昇の対策として、次々と0.5%、1%と利上げが続きますが、すでに遅かったのです。

物価の高騰が止まりません。

そんな矢先に、中東戦争がはじまり、オイルショックが襲来します。

狂乱物価となります。1974年2月の消費者物価指数は、26.3%上昇。狂乱物価は止まらず、1年以上にわたって2桁インフレが続きます。

本書は次のように指摘しています。

「円の切り上げを恐れるあまり、政府・日銀は、通貨膨張を見過ごし、引き締めのタイミングを誤まった挙句、日本経済をインフレと不況が併存する未曽有のスタグフレーションへと導いたのである」

11.驚きと感動

コロちゃんは、本書を読んで驚きと感動を憶えました。

この時代は、リアルタイムに経験していましたが、この当時に政治と金融の世界でこのような動きがあったなんて、まったく知りませんでした。

その経過を、著者は、多くの資料から、まるでドキュメントのように再構成しているのです。

本書を読んでの驚きの一つは、この時代の狂乱物価の原因は、中東戦争によるオイルショックによるものではないということでした。

オイルショックは、狂乱物価の引き金にはなったのかもしれませんが、遠因は、ニクソン・ショック以来の為替管理政策の失敗にあるとしています。

そして、それ原因として「円切り上げ忌避」の空気がまん延していたことが挙げられているのです。

もう一つの驚きは、日銀が金利を上げようとしても、国会が開いているときはダメ、選挙がおわるまではダメと、政治からの制約で、思うように対応できなかったことです。

なるほど、その後の日銀が「独立性」を、絶えず希求していた理由にはこの経験があったからなのかと納得する思いを持ちました。

本書を読んで、「通貨政策」と「金融政策」は、普段は見えないし感じないものですが、実に経済に大きな影響をもたらすものかを理解できたような気がしました。

本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

NoName_13によるPixabayからの画像
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