おはようございます。今日はコロちゃんが読んで、興味深かった本をご紹介します。
お若い皆さんは「渡辺恒雄」という名前を聞いても「それ、誰?」つて言う方も多いかと思いますけど、コロちゃん世代にとっては、知らない人は誰もいないくらいに有名な方なんです。
その名を「ナベツネ」と皆から呼ばれた昭和の男なんですよ。
その方が、「独占告白」を語るのですから、どんなことを語るのか興味津々でした。
1.「ナベツネ」の名で知られた男
「渡辺恒雄」さんは、天下の「読売新聞」の代表取締役会長・主筆であり、御年96歳でありながら、今だ「現役」の方なんです。
その様な方ですから、70歳にも届かないでリタイア生活に入っているコロちゃんなんかには、到底足元にも及びません。まぁ、経歴も天と地ですけど。
その様な方ですが、昭和の政治史の、そのあちこちに影の様にちらほら動く、まるで妖・・・げふんげふん、黒幕のようなお方なのです。
コロちゃん世代からは、「ナベツネ」と呼ばれて、嫌われたというよりは、畏怖されたと表現するのがあっているように思えます。
コロちゃんは、以前にこの方の伝記を読んでいましたので、大方の足跡は知っていましたが、本書は「戦後政治」の影の部分に、だいぶ踏み込んで書いています。
普通ならば、「墓場まで持っていく」ような政治の裏の動きを、赤裸々に書いているのです。
コロちゃんは、本書を読んで、今までに知られていなかった「戦後政治」の裏面史を新たに知らされた思いを持ちました。
まあ、真偽は証明されることはないでしょうけど、こんなことがあっても不思議はないと思いましたね。
ということは、そのような過去の政治家の政治活動が、既に「歴史」に入っていることを示します。
「時間の経過」というのは、こういうものかと感嘆する思いを持ちましたね。
本書は、渡辺氏のインタビューを元に制作された、NHKの番組の取材をベースに書き下ろされたものだそうです。
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2.「独占告白 渡辺恒雄 (安井浩一郎 新潮社 2023年)」
まずは、渡辺恒雄氏の経歴と学歴から始まります。
太平洋戦争が始まったのは、中学校在学中と語ります。開成中学とありますから、名門校ですね。現在の岸田総理も開成中学出身です。
その中学校では、当時軍事教練がありましたが、それに反発した渡辺少年のエピソードが語られ、反骨精神旺盛な、鼻っ柱の強い少年像が浮かび上がります。
そして、旧制東京高校(現在の東京大学教養学部)に進学します。
当時の渡辺氏は、非戦の意識が強く構内の反軍国主義の中心的存在だったそうです。
その彼が1943年の「学徒出陣」によって、陸軍2等兵として徴兵されます。そこで理不尽な暴力に直面したと言います。
渡辺氏は語ります「ひどいもんだよ、理由なしに兵営の後ろに引っ張り出して、それで『ビンビン』と(平手打ちを)やるわけだ」
しかし、入隊から1ヵ月余りたった1945年8月15日に戦争が終わりを迎えます。
インタビューアーは尋ねます。「戦後、言論人としての渡辺さんの主張の根本には、戦争を繰り返してはいけないという思いがあったんでしょうか」
渡辺氏は答えます。「もちろん、もちろん。だって戦争中から反戦だったんだから・・・」
コロちゃんは、驚きました。渡辺氏は、この後に日本共産党への入党と除名の経歴があるのは知っていましたが、その後の生き方は違います。
渡辺氏は、自民党「党人派」の、いわゆる右翼的人士と親しいグループを形成していたと記憶していたからです。
そして、彼の政治記者として活躍した場所は、保守的傾向が強い「読売新聞」です。
本書で彼が本音をさらけ出したならば、もっと右寄りの発言があると思ったのですが、そうではありませんでした。
本書で描かれている渡辺氏の政治的立ち位置は、コロちゃんには、まるで中道左派のように感じました。
本書を読んだ感想からは、渡辺氏は1990年代ごろから、変わっていったのではないかと思いましたね。
3.青春を捧げた共産党活動
戦前は非合法化されていた「日本共産党」は、戦後は合法政党として復活します。その共産党に入党した渡辺氏は、大学時代を捧げるかのように没頭したそうです。
そして「日本共産党東大細胞」のキャップとして、活躍したそうです。
当時の「日本共産党東大細胞」とは、全国の大学生はおろか庶民までが、まさに仰ぎ見る存在です。
その200人のメンバーのキャップですから、やはり渡辺氏には、リーダーシップがあったのでしょう。
しかし、渡辺氏は、次第に個人よりも組織を重視する共産党の指導に、違和感を抱いてきたと言います。
その後、渡辺氏はあらたな組織の「東大新人会」を立ち上げます。党内で「主体性論争」という活動を行なったそうです。
当然にして共産党中央は「分派活動」と追及します。そして、渡辺氏は共産党から「除名処分」されたとあります。
コロちゃんは、渡辺氏が活動からドロップアウトするのではなく、組織内で別グループを立ち上げた能力に驚きますね。
共産党は「理論の組織」ですから、権威ある党中央に相対するだけの「理論」で対峙できないと、別グループの立ち上げなどできません。
共産党の理論は、マルクス主義の理論とレーニン主義の実践の長年の蓄積があります。
渡辺氏がいくら優秀でも、まだ20代前半の青年です。東大新人会のその後の活動は聞きませんから、共産党の「除名処分」でその活動は終わったのかもしれませんね。
その彼がこのような行動を起こせた理由は、戦前から戦後への急変化の中での、混乱した時代背景があったのではないかと、コロちゃんは思いました。
4.ジャーナリズムの道へ
その後、渡辺氏は「哲学では食っていけない。書くことは好きなんだ。ものを書いて食える商売はなんだろうと考えると、新聞記者しかないんだよ」と、1954年24歳で読売新聞社に入社します。
その記者活動で、危険を冒さないと特ダネはないと、奥多摩の「山村工作隊」に潜入取材を行なっています。
当時の日本共産党は、中国共産党をモデルとした武装工作隊での暴力革命を目指していて、全国の山岳地帯に「山村工作隊」と名打った軍事組織のアジトを設営していたのです。
そこに渡辺記者が突撃取材を行なったのです。まさに命がけです。
渡辺氏は当時を振り返って語っています。
「危なかったね。当時は無鉄砲で、おそれを知らなかったね」と。
その3年後の1955年に、日本共産党は武装闘争方針を大きく転換することになります。
この時期の渡辺氏は、週刊誌「読売ウィークリー」のヒラ記者です。
しかし、この潜入取材の特ダネが、スクープとして翌日の社会面のトップを飾る破格の扱いを受けます。
この記事が当時の政治部長の目に止まり、渡辺氏は読売新聞の政治部へ移動することとなったというのです。
コロちゃんは、人生何事にも転機というものがあるとは知ってはいましたが、この「政治部への移動」が、後の「読売新聞社の96歳の会長・主筆」を生み出したとは驚きです。
当時は、本人ももちろんとして、誰も夢にも思わなかっただろうと思いましたね。
5.永田町の現実
1952年26歳の渡辺氏が、政治記者として永田町に足を踏み入れて、最初に目撃した光景を生々しく覚えていると語っています。
「大きな風呂敷包がある。全部現ナマですよ。代議士が次々に来て、札束を新聞紙でくるんで渡すんです」
吉田茂や鳩山一郎の政治家の活動と紹介、それと交錯するように渡辺氏の見解や見てきた光景が、順次紹介されます。
また、自由党と日本民主党との「保守合同」などなど、コロちゃんにとっては、歴史書でしか目にしたことが無い数々の政治史の現場に、渡辺氏が立ちあっているのです。
そして、政治家大野伴睦と渡辺氏の付き合いです。
渡辺氏は、当時の自民党副総裁や衆議院議長を歴任した重鎮であり、40名以上の派閥を率いる領袖の大野伴睦に寵愛されたというのです。
渡辺氏は、単なる新聞記者ではなく、大野派の側近中の側近として、代議士よりも大野伴睦に距離が近くなっていたと言います。
単なる取材者としてだけではなく、軍師のように知恵を授ける関係にまでなっていたというのです。
この辺は、「事実」なのか「神話」なのか、今から証明できるはずはないのですが、そういう関係がありうるかもしれない時代だったと、コロちゃんは思いましたね。
少なくとも、そのくらいの影響力が無ければ、一介の記者が、後に所属する新聞社の社長・主筆まで出世できないとも思いました。
6.戦後政治史のエポックで影響か
コロちゃんは、昭和史も好きですから、戦後の政治史もいろいろ読んで知ってはいます。
その戦後政治史のほとんどの総理と、渡辺氏は、一介の政治記者以上の関係をつないでいるのです。
その一人一人との関係が、本書で書かれているのですが、実に興味深いと思いました。
「昭和の妖怪」と称された岸信介と安保闘争のリアルタイムの風景。
岸退陣の様子と、次の総理となった池田隼人。政治の季節から経済の季節への移行です。
その政治の動きにも、渡辺氏は新聞記者にもかかわらず、深くかかわっていたと言います。
そして、昭和、平成、令和にわたって日本政治を見続け、数々の名だたる政治家と昵懇の関係を結んできた渡辺氏が、名実ともに盟友関係を結んだのが中曽根康弘だったと言います。
本書では、その関係を詳細に紹介しているのです。
コロちゃんは、中曽根氏は自民党の幅広い政治傾向でも、特に右寄りだと思っていましたから、その盟友関係はそのようなつながりかと思っていましたが、本書ではそうではなかったと言います。
渡辺氏は、中曽根氏について取材で語ります「彼は・・『憲法改正の歌』を作って使っているんですから、自民党の中で一番右ですよ」
それにインタビューアーが突っ込みます。
「その一番右の中曽根さんの理念に、かつて共産党に所属された渡辺さんは、違和感を憶えなかったんですか」
渡辺氏はそれに対して答えます。
「だから、改革させた。とにかく基本的な哲学を持たないといかん」と。
コロちゃんは、ここを読んで大きな違和感を持ちましたね。本書で語る渡辺氏の言は、右というよりも、むしろリベラルです。
渡辺氏は、1990年代のどこかで(おそらく読売新聞社の社長になった頃に)、思想的に転換したのではないかと感じました。
読売新聞社は2005年に、渡辺氏が主導して「戦争責任検証委員会」を発足させ、満州事変から日中戦争、太平洋戦争に至る原因や経過の検証を行なっています。
そこで当時の政治・軍事指導者たちの責任についても検証作業を行ない、その後新聞紙面で発表し、書籍化もされています。
その本も、コロちゃんは読んでいますが、内容は決して右に偏ったものではありません。むしろ当時の政治・軍事指導者には厳しいものでした。
そうですね、この本は、中道左派かリベラルと言ってもおかしくはない視点だったと、コロちゃんは読後に感じた記憶がありました。
7.「日韓国交正常化」と「沖縄返還」
その後の「日韓国交正常化交渉」でも、渡辺氏は正式交渉の裏で活躍した様子が書かれていますが、真偽は全くわかりません。
その内容は、極めて興奮するような驚くべき内容なのですが、本書を読んでのお楽しみとしておいた方が良いでしょうね。
ただ、この時代は現代とは違って、極めてとんがった個性的な人間が活躍できる時代だったと思える内容です。
そのくらいに渡辺氏は、新聞記者としての枠を大きくはみ出して活動しています。まあこの内容が本当だったらですけど。
また本書で紹介される「沖縄返還交渉」についても、渡辺氏は「とにかく沖縄問題というのは、これはまた裏と表があって、表だけ見ているとわからなくなるね」と、詳細を語っています。
これも、現在の沖縄問題にまで尾を引いている興味深い内容ですから、ぜひ一度お読みになる価値があると感じました。
8.「田中角栄」と「中曽根政権」
ここでは、本書の内容の政治活動の内容をいちいち紹介しませんが、本書の記載を読むと政治家「田中角栄」と「中曽根康弘」が、どのような人間なのかがわかるように思えました。
渡辺氏が語る「田中角栄」と「中曽根康弘」のひとつひとつのエピソードが、実に具体的で人間性が見える内容なのです。
もちろん、渡辺氏の目というフィルターを通しての見方ですけど、コロちゃんも同時代人ですから、如何にもそうだろうなと思う内容なのです。
渡辺氏の関与した歴史を読みながら、政治家・指導者の人間がうかがえる内容は秀逸ですね。
9.本書の終章は「喪失されていく共通基盤」
渡辺氏は、自らを「戦争体験者の最後の世代に属する」と語っています。
そして「戦争を知らせないといかん」と言うのです
そして語るのです。
「もはや日本人にね、戦争経験を持たない人の方が多い。戦争のことはね、書き残さないといかんのだよ。しゃべり残し、書き残し。まだね、まだ伝えきれていない」
本書は、渡辺恒雄氏のインタビューを通して、昭和という時代の一面を鋭く切り取ったものだと思います。
そして、その切り口は戦後の政治史です。
その裏面も含めて、これが「昭和」だと、読者に突き付けているようにも読めます。
本書が最後に取り上げたのは、渡辺氏の証言から浮かび上がってきた「戦後」という時代の姿です。
戦後政治を主導した政治家と市井の人々が共通して持っていた戦争体験をもとにして、戦後日本が形成されてきたと言います。
昭和期は、政治家の多くが戦争体験をもち、戦争を忌避する感情は、保守・革新を問わず、共通したものであったというのです。
しかし、戦争から77年経過した現在、戦争の記憶は社会の中で薄れつつあるのだと書いているのです。
本書は、渡辺氏の証言をもとにして「昭和」を語ることにより、未来の日本の行先を考えさせてくれる本であると高く評価したいと思います。
本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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