【読書考】「歴史としての二十世紀」を読んで

読書

おはようございます。今のコロちゃんは、ちょうどお昼を食べ終わってまったりとコーヒーを飲んでいるところです。

えっ、「お昼には何を食べたの?」ですか。

そんなご馳走は食べてないですよ。今日のランチは、「ピザトースト」と「野菜スープ」それに「サラダ・ヨーグルト・牛乳」のセットですね。

あと食後に「フルーツ」のポンカンを付けました。

ね、とても簡素な昼食でしょ。この「ピザトースト」は、亡くなった妻のレシピで、生前に教えてもらっていたのですよ。

コロちゃんの乏しい「レシピメニュー」の中の大事な一つですよ。さて、お腹も膨れたことですから、そろそろ「ブログ」でもカキコキしましょう。

今日は「歴史としての二十世紀を読んで」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「歴史としての二十世紀と、戦争の世紀」

☆「恐慌と、あと4回の講演録」

1.「歴史としての二十世紀:高坂正堯:新潮社:2023年」

本書は1996年に亡くなった、「国際政治学者」であり「京都大学教授」であった「高坂正堯(こうさかまさたか)氏」の講演録を没後に刊行したものと紹介されています。

なにしろ、この著者が活躍した時代は「戦後日本」ですから、コロちゃんが「歴史書」を読み始めた2000年代以降とは時代の開きがありますので、この方の本は初めて読みました。

まず、本書の著者の紹介文がすごいです。

曰く「独創的なそして重厚な歴史観」、曰く「哲学的そして政治学的な思索を基礎とした壮大な歴史観を提示できる知識人」、曰く「知的巨人」。

なんとも大仰な紹介から始まった本書ですが、コロちゃんが読んでビックリ!

いやいや、正にその通りで、この大仰な紹介すら控えめと思われる「歴史書」でした。

本書は、バブル崩壊年である1990年に、新宿紀伊国屋ホールで6回に渡って開かれた「講演の記録」です。

ですから、学術書や歴史書ではありません。「歴史としての二十世紀」をどのように見るのかと言った「文明史」というのでしょうか。

「歴史的事実」を語るのではなく、「歴史的事実」をどのように見るのかと言った視点を聴衆に語ったものです。

どこまで本書の内容が伝えられるのか自信はありませんが、とにかくカキコキしてみましょうね。

2.「戦争の世紀」

本書の最初の1回目の講演では、「二十世紀の二つの戦争」をテーマとしました。

「第1次世界大戦」と「第2次世界大戦」の二つですね。この戦争の「戦略・戦術の変遷の歴史」は扱っている他の本はいくらでもあります。

機関銃や塹壕、戦車や航空機の出現によって、戦争の戦略や戦術が変わっていったのは、既に多くの方がご存じのことと思います。

しかし本書は、第1次大戦が初めて「銃後」を創り出したと語ります。

戦争が全線での戦闘で終わらなくなり、全社会が戦争遂行のために一致団結した努力を続けると、人々の頭に段々血がのぼってきたというのです。

「総力戦」となると、「戦争の質」が全く変わってしまったというのですね。

そうなると「外交的決着」が不可能になり、全体戦争で力尽きた方が負ける結果となったとしています。

そして著者は言います。第一次大戦時の軍人は「自信満々」だったが、政治家はそれ以前の平和の中で「平凡」になっていたと。

そうなると「頭に血が上った民衆」+「自信満々の軍人」+「平凡な政治家」、そのどれも「戦争を防ごう」とはしなくなったと言うのです。

誰も「ブレーキ役」が居なくなったというのですね。

その上で、それまでの「平和と平等の時代」がもたらした「平凡な政治家」が、戦闘がヨーロッパ全土に拡がっていった最大の理由としています。

コロちゃんは、ここを読んで「平和な時代」は「平凡な優しい政治家」をつくり、「戦争の時代」には「野心があふれた悪人顔の政治家」をつくるのだろうと思いましたよ。

そう考えると、戦後日本では長い平和が続きましたから(終戦から78年経過)、今の政治家が「平凡で優しい政治家」なのは、当然で止むを得ないのかもしれないと思いましたよ。

そして「第2次世界大戦」については、「第1次大戦のかわいらしい政治家」と様変わりして、「権力意思の強い政治家」が、戦争を指導したとしています。

この描き方で面白いのは「チャーチルは軍部を掌握するために、軍人のアドバイスに従うが、作戦に成功したらあっさり首を切る」と描写していることですね。

何とも面白い人物描写で、普通の「歴史書」では絶対に出てこない書き方です。コロちゃんは、この部分を読んで「チャーチル」の人となりが頭に浮かぶように感じましたよ。

第2次大戦は「チャーチル・ルーズベルト・スターリン」と冷徹な打算で動いているような政治家が軍人を抑えて自ら戦争を指導していたとしているのです。そういえば確かにみんな「悪人顔」ですね。

そして例外は「日本」のみだと言い放ちます。

これも「日本」の場合は、「軍人」に国家が引きずられましたからね。確かにそうでしたよ。

日本の戦時内閣の総理大臣の「東条英機」なんかは、真面目一徹のみの軍人だったらしいですから、「悪人顔の政治家」とは全く真逆の人だったように思えますね。

この様に「戦争」を、政治家と軍人の戦争指導という視点で見た「歴史」は、コロちゃんは他で読んだことがなかったので、特に新鮮に読みましたね。

また、この時代のエピソードとして、当時「ドイツ」がヨーロッパで軽蔑されていたと言います。

時計に「メイド・イン~」と書くようになったのは、「ドイツ製」とあれば安物だからやめておこうと思うためのイギリス人の知恵だったと書いています。これもコロちゃんは初耳でしたね。

そして、未だにドイツ人はこれを恨んでいて、3年前(1990年講演)の「ドイツ銀行」の広告にこの話が載っていたと語っています。

何とも「ドイツ人」の執念深い事ですが、このような歴史書に出てこないエピソードは、各国国民の当時の感情が読み取れるので興味深いですね。

3.「恐慌」

1929年にアメリカから始まった「恐慌」は、1939年ごろまで10年近く続いたとしています。

この間に「アメリカ」の名目GNPが半分になる凄まじい不況です。失業率は25%(1933年)と、なんと1/4が失業するという高さです。

この「恐慌の原因」ですが、本書では、今でもよくわかっていないとしています。もちろん考えられる理由として三つあげてはいるのです。

➀「みんなが貧乏になったから商品が買えなくなった」

②「政策が間違っていた」

③「貧困層の増大で需要が不足した」

著者は、たくさんの説がある場合、本当のところはよくわからないと言っていますね。コロちゃんは、財政均衡主義で不況なのに金融引き締めをしたと聞いたことがありますけどね。

そして「アメリカ外交」が難しい理由は、他国と結んだ条約は上院で批准しなければならないが、上院議員の2/3が賛成しなければ条約が結べないという条項があるからとしています。

その根底にあるのは、「疑わしいものは結ぶな、外国と付き合わんでよろしい」という考え方があるとしています。

そしてもう一つ、アメリカの憲法には、輸出に税をかけてはいけないという条項(※)があったと言います。

(※1930年代に大統領に授権する貿易法案が成立)

その条項が産まれた理由は、建国時に遡り連邦をつくる時に差別待遇はどの州にもしないを条件に、建国13州がまとまったという理由があり、アメリカの貿易政策を面倒なものにしていると言っています。

コロちゃんは、もともと「アメリカ」には「孤立主義」があったと知っていたので、その根拠に遡ることは興味がありましたね。

最近のアメリカ大統領選挙での世論調査でも、アメリカ国民の最大の関心事は「内政・経済」ですからね。

あの国はもともと「孤立しても生きていける」「国内だけを見ていれば良い」という感情が国民にあるのでしょう。

その他にも、女性が化粧するようになったのや小型のハンドバックが流行るのも、第1次世界大戦後からだと言います。

その理由は、戦後勤労女性が増えて、皆がお化粧するようになったとか、本書は「社会文化」のエピソードにも詳しいのです。

そして当時の問題として「英仏」の「対米債務」というのがあり、当時のアメリカ人の国際関係における理解不足を指摘しています。

アメリカは借金の棒引きをしなかったので、イギリス・フランスはドイツに対して「賠償金」を請求します。

しかし、ドイツも産業が復興しなければ借金は払えないので、アメリカがドイツにお金を払い、それがイギリス・フランスに渡り、アメリカへと返済されることになります。

本書は、これを「メリーゴーラウンド」と呼び、最初からやらない方が良かったかもしれませんと言っています。

コロちゃんもそう感じましたよ。何よりもこの経済の国際間の流れによって、ドイツではヒトラーが選挙でのし上がってきたのですからね。罪が重いと思いましたよ。

他にもこの項では、「不況の根本的原因」として「経済構造の転換」を取り上げています。

戦争需要により製鉄、造船と言った旧来の産業が活性化し、その雇用者による購買力の増加で、電機・航空機・自動車の需要に繋がったとしています。

とにかく「民間経済への不介入」がアメリカの魂であり、本当に可哀そうなら助けてもいいけど、依怙贔屓はいけないというのがアメリカの信条なのだというのです。

その「民間経済の不介入」の原則によって、それまでアメリカでは政府主導の「産業構造の転換」が出来なかったのが、「戦時経済」によって始めて可能になったと、本書は言うのです。

そしてその「産業構造の転換」が進んだことにより、アメリカは「恐慌」から抜け出せたと言っていますね。

そして、アメリカの「恐慌」の教訓として、以下の3点を上がています。

❶「アメリカ人が勤勉・謙虚になった」

この❶は、アメリカは建国以来トントン拍子に順調に来たが、恐慌を境に人間の知恵には限界があると悟るようになったというのです。

❷「公共の精神をある程度重視する気風が生じた」

また❷は、アメリカはもともと個人主義で、何事も個人が頑張れば良いという気風だったが、恐慌後は少し変わったとみているようですね。

❸「通商政策に関してアメリカ議会の制度が変わった」

❸は、上記で取り上げた「アメリカの貿易政策を面倒にしている」法律ですが、この交渉権限を大統領が握ったことにより、「アメリカ」は戦後世界のリーダーになれたとしていますね。

コロちゃんは、アメリカの歴史についてはほとんど知りませんでしたが、1930年代の「世界恐慌」の時の「日本の悲惨さ」は読んだことがあります。

その当時の日本の東北の寒村では、娘の身売りが横行していたと歴史では語られていましたよ。

その「世界恐慌」の影響は、「日本」が満州に進出した背景となったのですから、コロちゃんは何とも悲惨なことだと思いましたよ。

そのような視点から、当時のアメリカ経済を見ていると、大恐慌は「アメリカ資本主義」に欠陥があったと思いたいのですが、本書でも未だにその原因の解明は終わっていないようでした。

4.「あと4回の講演録」

ここまで書いて、コロちゃんは本書をうまくまとめきれないと感じました。

読んだ時には面白く、読後には分かったような気になっていたのですが、今上記の様に書いてみると、講演内容の感動を全然書けていません。

上記でご紹介した以降の、あと4回のテーマは以下の通りです。

③「共産主義とは何だったのか」
➃「繁栄の25年」
⑤「大衆の時代」
⑥「異なる文明との遭遇」

③の「共産主義とは何だったのか」は、20世紀を語る際には必ず出て来るテーマでしょう。

何しろ1917~1991年のソビエト連邦の、壮大な「歴史的実験」の失敗をどうとらえるのかという課題です。

次の➃の「繁栄の25年」は、第2次世界大戦戦後の25年間を見つめています。

この講演時の1990年は「ジャパン・アズナンバー1」の日本が絶頂期の時でした。そして1991年のソビエト崩壊の1年前の時点です。

その中で「市場経済が無批判にいい制度という考えは捨てた方が良い」とか、「資本主義と大衆民主主義の組み合わせは共産主義と同じぐらい問題が多い」とシニカルに評しています。

⑤⑥では、アダム・スミスから、池田隼人まで幅広い人間観を語っています。

この「高坂正堯」が講演した1990年は、もうすぐ20世紀が終わろうとした時代です。

その時点で過ぎ去ろうとしている20世紀を俯瞰して、次に迎える21世紀を展望しようとして語ったのが本書だと思います。

コロちゃんは、面白く興味深く夢中で読み終わりましたが、歴史というものはいつ何があったことよりも、その背景には何があったのかの方が、より重大だということがわかりましたね。

それが「歴史観・文明論」なのでしょう。

本書は、歴史をより立体的に見るようになることが出来る良書だと、コロちゃんは思いましたよ。

本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします。

冒頭でご紹介した本書を、下記にもう一度記載して置きますね。是非皆さんにもお読みいただきたい1冊ですよ。

ここまでコロちゃんがカキコキして、6500文字・3時間30分でした。なかなか短時間できれいに纏めるのは難しいですね。またチャレンジしてみましょう。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

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