0.「今日の記事のポイント」

コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「アメリカが自由と民主主義の国ではなくなったって?と、民主主義の世界史的な退潮が進んでいるよ」
☆「日本の民主主義は機能しているのか?と、日本は自由と民主主義のプリンシプルを突き進め」
☆「コロちゃんと飯場の生活」

1.「アメリカが自由と民主主義の国ではなくなったって?」
コロちゃんが、朝コーヒーを飲みながら新聞をバサバサ読んでいると「米『自由民主主義』地位失う/トランプ政権下、過去50年で初」との見出しが目に入りました。
コロちゃんは、「1950年代の戦後生まれ」の「現在70代のおじいちゃん」です。
つまり「戦後日本」がアメリカから輸入した(あるいは押し付けられた)「戦後民主主義」の中で育ってきた世代なのですよね。
ですからコロちゃんは、これまでは「アメリカ」はいろいろあっても「自由と民主主義の国」だと思っていましたよね。
それが「ついにここまで変わってしまったのか?」と驚きましたよ。
記事では「スウェーデンのV-Dem研究所」の「民主主義レポート2026」から、「米国の自由民主主義指数は179ヵ国・地域のうち51位で、前年の20位台から大きく下がった」と報じています。
そして「自由民主主義指数のランキング」を以下のように記載していますよ。
◎「自由民主主義指数ランキング」
(これは一つの指標であり絶対評価ではない)
①「デンマーク 」
②「スウェーデン」
③「ノルウェー 」~
㉔「日本 」~
上記のように「自由民主主義指数ランキング」の「ベスト3」は全部「北欧の国」です。「日本は24位」ですね。
それで肝心の「アメリカ」ですが、前年の20位台から急落して「51位」となっています。このポジションは「自由民主主義ではない分類に入る」とされています。
この「自由民主主義指数」は、以下の4つに分類されています。
◎「V-Dem研究所の民主主義指数の分類」
①「自由民主主義」(日本はココ)
②「選挙民主主義」
③「選挙権威主義」(アメリカはココに移行)
④「閉鎖権威主義」(中国はココ)
上記を見ると、「アメリカ」は前年の「24位で①の自由民主主義」から、今年の2025年には「51位」と落ちて「③の選挙権威主義」に2ランクダウンしていますね。
記事では「米国の自由民主主義指数」について、以下のように記載しています。
◎「米国の自由民主主義指数」
①「2017年:0.85」第一次トランプ政権
②「2021年:0.73」第一次トランプ政権
③「2024年:0.79」第二次トランプ政権
④「2025年:0.57」第二次トランプ政権
うーむ、上記を見ると「米国の自由民主主義指数」は「第一次・第二次トランプ政権の下」で急落していますね。
( ̄へ ̄|||) ウーム
その結果、かつては「自由と民主主義の旗手だったアメリカ」が、今では「4つのカテゴリー」のうちの3つ目の「③選挙権威主義」に落っこちたというわけですよね。
だけど、この「③選挙権威主義」には「ロシア」も入っているのですよね。まさか「アメリカ」が「ロシア」と「同じカテゴリーに入る時代」が来るとはなー。
( ゚д゚) マ、マサカ・・・
( っд⊂)ゴシゴシ
コロちゃんは、若い時代には「ベトナム戦争」などの「アメリカへの嫌悪」もありましたが、「ジーンズ」や「ミュージック」などの「アメリカ文化」には「憧憬」もあったのですよね。
それがとうとう「権威主義国家」に仲間入りしたとは、なんとも「情けない国になった」と嘆きたくなりましたよ。
ただ、こうなると「戦後アメリカの後を追いかけてきた日本」が、今後どう進むのかが気になりますよね。
「日本」も「権威主義国家」へと向かうのか、それとも「アメリカ」がどう変わろうとも、「戦後民主主義の道」を進むのか、ちょっと考えてみましょうね。
なお、この「日経新聞」の「米『自由民主主義』地位失う/トランプ政権下、過去50年で初」との見出しの記事をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。


2.「民主主義の世界史的な退潮が進んでいるよ」
さて最初は、記事で紹介された「スウェーデンのV-Dem研究所」の「民主主義レポート2026」をコロちゃんは探して読もうとしたら・・・全文が英語なのですよね。
しかも52ページもあるし、ちょっとコロちゃんでは「Google翻訳」を使って全文を読むことは断念しましたよ。
その代わりに、以下に「世界における民主主義・権威主義の割合」を書き出しますね。これは「英文のグラフ」でしたから、このぐらいは読めましたよ。
◎「世界における民主主義・権威主義の割合」
(指標は人口ベース)
①「世界人口に占める民主主義国家の割合」
・「2005年:50%」
・「2025年:26%」
②「自由民主主義国家に住む世界人口の割合」
・「2005年:17%」
・「2025年: 7%」
③「民主化が進む国に住む世界人口の割合」
・「2005年:11%」
・「2025年: 5%」
④「独裁国家に住む世界人口の割合」
・「2005年:50%」
・「2025年:74%」
⑤「権威主義化する国に住む世界人口の割合」
・「2005年: 9%」
・「2025年:41%」
https://www.v-dem.net/documents/75/V-Dem_Institute_Democracy_Report_2026_lowres.pdf
(出典:V-Dem研究所 民主主義レポート2026より:3月20日利用)
うーん、上記を見ると、明らかに「世界中」で「民主主義」の後退と、「権威主義の台頭」が始まっていますよ。
「①の世界人口に占める民主主義国家の割合」は、「2005年の50%」から「2025年の26%」まで半減していますね。
その逆に「⑥の権威主義国に住む世界人口の割合」は、「2005年の9%」から「2025年の41%」まで「4倍以上」に増えています。
これって「民主主義の退潮」と「権威主義の増加」は、「世界史的な流れだ」とコロちゃんは感じましたよ。
一時の「アメリカのトランプ大統領のキャラクターのせい」では、これは説明がつきませんよね。
この「民主主義レポート2026」では、「アメリカが2024年から2025年にかけて最も大きな民主主義の低下を示している項目」として、以下の項目をあげています。
◎「アメリカの民主主義の低下項目」
❶「行政の制約」
❷「法の支配の制約」
❸「個人の自由の制約」
❹「表現の自由の制約」
❺「メディア環境に関する制約」
ふーむ、もしこの「民主主義の退潮」が「世界史的流れ」だとすると、上記の「❶~❺の項目の制約」が今後「日本」でも始まっても不思議はないとなりますよね。
( ̄へ ̄|||) フーム
コロちゃんは、この上記の「民主主義の退潮と権威主義の増加」を頭に置いて、今後「日本の様子」をじっくりと見ていこうと思いましたね。
なお、この「民主主義レポート2026」をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
https://www.v-dem.net/documents/75/V-Dem_Institute_Democracy_Report_2026_lowres.pdf

3.「日本の民主主義は機能しているのか?」
上記では「日本」は、「民主主義と権威主義の4のカテゴリー」の中ではまだ「最上位」の「①自由民主主義」に分類されていましたが、それでは「日本の国民はどう感じている」のでしょうか?
「言論NPO」が、2024年に実施した「日本の民主主義に関する最新の国民の世論調査」を見てみますね。下記でしたよ。
◎「Q.日本の代議制民主主義は機能しているか?」
(小数点以下切り捨て)
①「機能している」
・「2%」
②「どちらかといえば機能している」
・「20%」
③「どちらかといえば機能していない」
・「32%」
④「機能していない」
・「16%」
https://genron-npo.net/media-file/document-file/955e3541865b6fd1380b95e60a1b3df9.pdf
(出典:言論NPO 日本の民主主義に関する最新の国民の世論調査より:3月20日利用)
ふーむ、「①機能している2%+②どちらかといえば機能20%」=「22%」と少ないですよね。
(´ヘ`;)フーム…
その逆の「③どちらかといえば機能していない32%+④機能していない16%」=「48%」と、半分近くが「機能していない」とネガティブに見ていますよ。
うーん、「世界的」には日本はまだ「最上位ランク」の「民主主義国」なのですが、「国民の視線は冷たい」ですよね。
(´ヘ`;) ウーン
この「世界と日本国内の民主主義に対するギャップ」をどう考えるかなのですが、コロちゃんは「日本人は理想が高い」のではないかと感じているのですよね。
つまり「政治家への期待値が高い」のではないでしょうか。何しろ「戦後アメリカから導入した民主主義」は、「悲惨な戦争中」と比較されて「光り輝いて見えた」と思うのですよね。
そして、今では「お師匠様のアメリカ先生」を「日本」が追い越してしまったとコロちゃんには思えるのですよね。
もう1つ「政党・政治家に課題解決を期待できるか?」を見てみましょう。下記でしたよ。
◎「Q.政党・政治家に課題解決を期待できるか?」
(小数点以下切り捨て)
①「期待できる : 2%」
②「やや期待できる :13%」
③「あまり期待できない:50%」
④「期待できない :23%」
https://genron-npo.net/media-file/document-file/955e3541865b6fd1380b95e60a1b3df9.pdf
(出典:言論NPO 日本の民主主義に関する最新の国民の世論調査より:3月20日利用)
あららー、皆さんは「政党・政治家」を頼りにならないと思っていますね。
(゚Д゚)アララー!
上記を見ると「①期待できる2%+②やや期待13%」=「15%」に対して、「③あまりできない50%+④できない23%」=「73%」と、7割以上の方が「期待」していませんよね。
しかし、この「政治家に期待できないが73%」が、今後「権威主義的な強いリーダーを望む方向」にすすんだら、「日本」も「権威主義的な国家」に進むのかも知れませんよね。
うーん、そういえば現在の「高市総理」には、どこか「強いリーダーの匂い」が漂っていますよね。
(´ヘ`;) ウーン
これって「世界的な権威主義の潮流の1つ」なのかどうかは、まだまだ見ていかないと分からないと思ったコロちゃんでしたよ。

4.「日本は自由と民主主義のプリンシプルを突き進め」
ここでちょっとコロちゃんの考え方を書きますよね。
コロちゃんは、最近新聞を読んでいて「国益の為なら原理・原則はどうでも良い」との主張が増えてきたように感じているのですよね。
上記でも書きましたが、コロちゃんは「戦後生まれ」で「戦後民主主義の時代」にどっぷり浸って成長してきました。
だから今でも「自由と民主主義」は大好きですよ。
特に「いつでもどこでも何を言っても良い自由がない社会」など想像もつかない「イヤな社会」に見えていますね。
今の世界では、どうやら「権威主義の大波」にどの国でも襲われているようです。
そんな「世界」では、「言いたいことも言えず」に「強いものに忖度する姿」が堂々と見られますよね。
コロちゃんは、そんな姿を見て「カッコ悪い、醜い」と思っていますよ。
コロちゃんは、以前読んだ本で「白洲次郎 占領を背負った男」と言うのがありました。この項の最後にこの本のフォトを添付しますね。
この「白洲次郎」は、戦後「GHQの占領下」で吉田茂の側近として独立に奔走した方ですが、本書には「プリンシプル」と言う言葉が出てきます。
この「プリンシプル」とは「原理・原則のこと」を言いますが、「ぶれない生き方」をも差します。
「白洲次郎」は、当時ほとんどの日本人がひれ伏した「GHQの占領軍」に対して、「誰に対しても対等・筋を通す生き方」をしたと言われていますね。
コロちゃんは、「強い者にへつらって権力にすり寄る姿」はキライですよ。
この本を読んだ時にコロちゃんは、「戦争直後の日本人でもこのような人間がいた」と感動したことを思い出しますよ。
はっきり言いますね。コロちゃんは「権威主義」はキライですよ。好きなのは「限りなく自由で民主的な社会」ですよ。
ここまで書いて来て、どうやら「現在の世界」は「権威主義」へと流れていると知りましたが、そんな時こそ「プリンシプルな日本であって欲しい」と思ったコロちゃんでしたよ。
だって「強い者に媚を売る姿」を見て誰が尊敬できますか。そんな時こそ、大切なのは「変わらない姿・プリンシプルな姿」だとコロちゃんは思っていますよ。
5.「コロちゃんと飯場の生活」
今日のテーマは、「権威主義の台頭と民主主義の後退」を「民主主義レポート2026」の内容から考察してみましたよ。
だけど、コロちゃんがちょっと人生を振り返ってみると、コロちゃんって「若い時から権威主義を嫌っていた」のですよね。
コロちゃんの出身は、東北地方の「田舎町」でしたけれど、当時は「家庭内」では「最年長者の男性」が「権威・権力」を一手に握って君臨していましたよね。
そして、周囲には「親族共同体」が強固なつながりで「生活に逐一口出し」をしていました。
1950年代の「東北地方の田舎町」は、まだそんな「戦前の権威主義的な制度」が根付いてていたのですよね。
コロちゃんは、そんな「田舎町」に嫌気がさして「東京」へと上京しています。時代は1970年代でしたよ。
その頃の青年コロちゃんは、たちまち「生活に窮していました」よ。
だけど、そのような「お金がない苦労」よりも、むしろ「限りない自由」を謳歌していた記憶が残っていますよ。
その当時のコロちゃんは、1度だけ「1週間の飯場の生活」をしたことがありました。
この時代では、「建設工事」での「重機械」はまださほど使われていませんでした。ちょっと大きな「建設工事現場」や「道路工事現場」では数多くの「労務者」が使われていたのです。
それらの「労務者」は、工事現場の横に建てられた「プレハブの宿泊施設」で寝泊まりをして、毎日隣の「工事現場」で働いていました。
この時の「工事現場」では全部で「100人近くの労務者」が働いていましたね。場所は、確か「千葉県」だったように思われますね。
その「工事現場」の「プレハブの宿泊施設」が「飯場」ですよね。当時の世の中には「フォークソングの山谷ブルース(※)」が流れていましたよ。
「♬今日の仕事はつらかったー、あとは焼酎をあおるだけ―♪」
(※山谷ブルース:1968年:作詞作曲歌:岡林信康:日本ビクター)
ここの「飯場」にはおばちゃんがいて「1日3食の食事」は「飯場」の食堂スペースで食べることができました。
そしてお酒は「一人お銚子2本まで」と決められていましたね。泥酔してケンカになることを警戒していたのでしょうね。
また「食堂」には「帳場」があり、そこで日常の必要品も購入できるようになっていましたね。
それらの支払いは、後日「日当」の支払い時に清算できるように、全て「ノート」に書き込むシステムになっていました。
要するに「裸一貫」で「飯場」に飛び込んできても、働ける限りは何とか食べていける制度が出来ていたのですよ。
この当時は、1円も持たなくとも「飯場」で働けるような、そんな仕組みがあったのです。
そんな「昼間」は働き、「夜」は飯場で食事をする生活を過ごしていたコロちゃんでしたが、ある夜の食事のメニューが「混ぜご飯」だったのです。
「上京」してきて以来、美味しいものなどを食べたことがなかったコロちゃんは、思わずこの「混ぜご飯」を丼に「山盛り」に盛ったのですよね。食べ盛りの年頃だったのですよね。
その時、後ろに並んでいた「おじさん」がいきなり「オイ! みんながまだ食べてないんだゾ! てめえばかり食うんじゃねー!」と怒鳴ったのですよね。
青年コロちゃんは、その場でそのまま「固まり」ましたよ。まだ「東北弁が抜けないコロちゃん」は、人前で話すことは苦手だったのです。
そうしましたら、この「おじさん」は続けて「おめえは、昨日の夜も寝ていて咳をゴホンゴホンとうるさかったぞ、はた迷惑だよ!」と言いはじめたのです。
要するに「気にいらない若いヤツに因縁を付けてきた」のですよね。
周囲の「労務者」はみな「40~60代」が多く、おそらくコロちゃんはこの中で一番若かったと思われますよね。
この時には「青年コロちゃん」は、どうしたら良いのか分からずに「黙って立ち尽くしていた」ら、後ろから「年配の労務者」が出てきました。
「おい、それぐらいにしてやれよ。兄さん、気にしないでメシを食べちゃえよ。若いんだから、もうこんなところにこないほうがいいぜ」by年配の労務者
青年コロちゃんは、すぐに頭をちょこっと下げてから、急いで「メシ」をかき込むように食べ終わると、もう2階の寝場所にそそくさと移動しましたよ。
この「飯場」で働いていた労務者は、みな「年配のおじさん・おじいちゃん」ばかりで、多くは「地方からの出稼ぎの労働者」と思われましたよ。
しかし、今振り返ると「地方からの出稼ぎの最後の世代」だったように思えますね。
この時代から後の「工事・建設現場」では、「建設現場の機械化」と「地方都市での雇用創出」の影響で「現場」に多数の労務者相手の「飯場」を設置することがなくなっていますね。
当時の青年コロちゃんは、この「飯場」で「世の中には因縁をつける人間もいるけど、助ける人間もいる(何でも言える自由がある社会)」を身をもって知ることができたと思いましたね。
青年コロちゃんは、この時に「多様で剥き出しの人間模様」を実体験することができたのですよ。
今振り返ると「飯場での生活」などは「普通では経験できません」から、若さの勢いで飛び込んだから得られた「貴重な体験だった」と思いましたね。
1970年代のまだ若かった「コロちゃんの青春の一コマ」でしたよ。
だけど、普通の「混ぜご飯」がそんなに食べたかったコロちゃんって、この時期の「普段の食生活がよほど貧しかった」からですよね。
今は「清貧コロちゃん」ですけれど、若い時のコロちゃんは「極貧コロちゃん」だったのかな?
ʅ(。◔‸◔。)ʃ…ハテ?
あんまり今と変わっていないような・・・。
今日の「コロちゃん話」は、「コロちゃんと飯場の生活」を書いてみましたよ。
「コロちゃんは50年経っても進歩がなかった」と、どうぞ皆さん笑いながらお読みいただければ嬉しいですよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします。
(^_^.)
おしまい。






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