おはようございます。今朝のコロちゃんは、ちょっと気がかりなことがあるのです。
それは、コロちゃんちのワンコがエサを食べてくれないのです。今朝のエサを入れようとして、ワンコの「エサ入れ」を覗くと、昨日の朝に入れたエサがまだ残っているのですよ。
ワンコは、一昨日もあまり食べていませんでしたから、最近はエサの食いが細っていますね。
それで、そのワンコが今どうしているかと言うと、長座布団を3枚重ねた上で「グッタリ」と寝ています。
このワンコは、すでに15歳を過ぎましたからね。もうそろそろ寿命なのかもしれませんけど、まだまだ生きていて欲しいなー。
おいワンコ、コロちゃんをおいて逝くんじゃないよ。コロちゃんを連れてってくれても困りますけどね。
(;´д`)ゞ困ッタ…
そんな「心配事」を抱えたコロちゃんですが、今日は健気に「渋沢栄一とコロちゃん」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「渋沢栄一とコロちゃんと、渋沢栄一記念館とコロちゃん」
☆「渋沢栄一は子だくさんと、明治の若者の進んだ道」
☆「コロちゃんと妻の月に1回のお出かけと、コロちゃんと温泉」
☆「コロちゃんと妻の思い出」
1.「渋沢栄一とコロちゃん」
皆さん「渋沢栄一」をご存じですよね。言わずと知れた「日本資本主義の父」と言われた、明治日本の巨人です。
つい先日の7月3日から「新1万円札の顔」となっています。皆さんは、その新しい1万円札を手に取ったことはありますか?
コロちゃんは、まだ見たことはありません。しかし、そのうちに回ってくるだろうと思ってますね。
今日のテーマは「渋沢栄一のお話し」ですが、コロちゃんは「渋沢栄一」の親戚でもありませんし、もちろん知人でもありません。
ただ、コロちゃんは10年ほど以前に「妻」と一緒に「渋沢栄一記念館」を訪れたことがあっただけです。
今日は、その時の話から始めたいと思いますね。
2.「渋沢栄一記念館とコロちゃん」
コロちゃんと「妻」が、埼玉県深谷市にある「渋沢栄一記念館」を訪れたのは、もう10年ほど前のことでした。
ですから「新1万円札の顔」で耳目を集めている現在とは違って、ほとんど注目されていない頃でしたね。
そのようにしてコロちゃんと「妻」は「渋沢栄一記念館」を訪れたのですが、なんと入館者が他に誰も居ませんでした。
「ガラガラ」の館内を、コロちゃんと妻はゆっくりと見て回っていたのですが、入り口にあった事務所にいた職員のおじいさんが、ついて来ていろいろ説明をしてくるのです。
コロちゃんは、頼んだわけでもないのについて来て「説明してくれる職員らしきおじいさん」に戸惑いましたよ。
よほどヒマだったのでしょう。
そこでコロちゃんは「渋沢栄一の子どもは何人いるの?」と聞きましたところ、その「職員」の説明が急に歯切れが悪くなったことを憶えていますよ。
コロちゃんは、内心笑っちゃったのですが、その理由は次をお読みください。
3.「渋沢栄一は子だくさん」
コロちゃんの趣味は「読書」ですが、その好みのジャンルに「幕末から明治の歴史」があったんです。
一時コロちゃんは、「図書館」の「歴史コーナー」で本を読み漁った時期があったのです。そうですね「幕末から明治期の歴史の本」は、100冊以上は読んでいるかと思いますね。
それで「幕末から明治期にかけての渋沢栄一」も、ある程度は知っていたので「渋沢栄一記念館」への興味もあったというわけです。
それによるコロちゃんの「渋沢栄一の知識」によると、「明治期の企業の設立・運営に尽力し、約500もの企業群を創り出した」というものでした。
しかしコロちゃんの下世話な関心は、「渋沢栄一の多数の妻妾と子だくさん」にもありました。
「渋沢栄一」は68歳の時に最後の子どもを認知しています。
凄いですね。今のコロちゃんの年齢の2年前ですよ。コロちゃんは2年前にはもうそんな元気はありませんでしたよ。
更に「多数の妻妾と子どもたち」と同居して暮らし、生涯に持った子供の数は50人とも100人とも言われているそうです。何と子どもの数が分かっていないのですよ。
そして「渋沢栄一」の人間らしいところは、それらの娘たちの結婚先として、見所がある部下を選んでいたというのですから、コロちゃんもどう判断したらよいのか首を傾げてしまいましたね。
これは「渋沢栄一」が、娘を大切にしていた評価するべきなのか、それとも、社長の娘を押し付けられた社員に同情すべきなのか・・・?
σ( ̄^ ̄)はて
なお「渋沢栄一」と言うと「論語とそろばん※」が有名ですが、この「論語」には、「聖書」の「姦淫する勿れ」のような「性道徳の記載」は一切ないそうですね。
コロちゃんは、思わず笑っちゃいましたよ。
(※論語:古代中国の孔子の言葉:儒教の経典)
(※そろばん:利益を追求する経済活動)
(論語とそろばん:利潤と道徳を調和させる経営哲学)
この「渋沢栄一の身の下事情」を、コロちゃんから問われた「渋沢栄一記念館」の職員のおじいさんの歯切れがとたんに悪くなった理由も、これでお分かりになったかと思いますよ。
しかし、子どもの数が50人~100人なんて信じられないですよね。コロちゃんは2人ですから、恥ずかしくて「渋沢栄一」の前には出られませんね。
まあ「渋沢栄一」と比べたら、世の中のほとんどの人はかないませんけどね。
なお、この「渋沢栄一記念館」にご興味のある方は、以下のリンクのクリックをお願いします。
4.「明治の若者の進んだ道」
コロちゃんが、「幕末・明治期の若者たちの生き方」を見ていて、一つ気が付いたことがありました。
「幕末」に、幕府の海外渡航禁止を破って、イギリスに渡航していた「薩摩・長州の若者」たちがいました。
「長州ファイブ」と「薩摩スチューデント」です。その「留学後」の生き方を簡単に見てみますね。
まずは「長州ファイブ」とは、「長州藩」から1863年にロンドン大学に秘密留学した5人の若者を指します。
その5人は以下ですね。後ろにその後進んだ道を書いておきますね。
◎「長州ファイブ:5人」(その後に進んだ道)
➀「伊藤俊輔(伊藤博文)」(政治家)
➁「井上聞多(井上薫)」(政治家)
➂「遠藤謹助」(工部卿・工業の父)
④「山尾庸三」(造幣局長・造幣の父)
⑤「野村弥吉(井上勝)」(鉄道庁長官・鉄道の父)
上記のように、幕末にイギリスに秘密留学した5人の若者たちは、その後に➀➁の2人は「政治家」となり、後の➂~⑤の3人は「テクノクラート」に進んだのです。
次は同じ時期にロンドンに留学した「薩摩藩」の「薩摩スチューデント」は16人も居ますから、後に有名になった3人だけをご紹介しましょう。
◎「薩摩スチューデント:16人中3人」
➀「寺島宗則」(政治家)
➁「五代友厚」(大阪商工会議所初代会頭)
➂「森有礼」(政治家)
上記の様に「幕末」にいち早くイギリスに留学した「長州ファイブ」と「薩摩スチューデント」は、当時世界1位であったイギリスの「先進文明」を「明治日本」に持ち込む先駆者となっていますね。
なおこの頃の「長州と薩摩」は、「日本国内では仇敵」でしたが、ロンドンで出会った「長州ファイブと薩摩スチューデント」は交流をしていたそうですよ。
当時の20代前後の若者たちですから、頭も考え方も柔軟だったのでしょうね。
そして、その多くはその後の「明治日本」で「政治家」か「官僚・テクノクラート」として活躍をしています。
さて「渋沢栄一」ですが、徳川幕府の最後の将軍の「徳川慶喜」の家臣となり、1987年には慶喜の異母弟である徳川昭武の随員としてフランスに渡航しています。
そうなんですよ。「渋沢栄一」は留学ではなく随員としてフランスへ行っていたのですよ。当然当時のフランスの「実業界・産業界の様子」は学んで来たでしょう。
そして、1年半後の帰国後は、一時明治政府に仕えますがその後には「実業家」へと転身していますね。
コロちゃんは、この「幕末・明治の若者たち」が、明治の各界で活躍する姿を本を、とても面白く興味深く読みましたよ。
だって、当時「運が良く留学出来た人間」が、帰国後にほとんどは「明治政府」の政治家や官僚になっていったのですからね。
例えば「伊藤博文」などは、今では「初代の総理大臣だった」ぐらいしか知られていませんよね。
それが、イギリス留学してわずか半年後の1863年に「日本で四カ国連合艦隊の下関攻撃」が近づいていることを知って帰国するような「熱血の若者」だったのですよ。
このような歴史は、読んでいくと「生き生きとした青年の姿」が頭に浮かんできます。
これらの「長州ファイブ」と「薩摩スチューデント」の多くは「政治家や官僚」に進みましたが、この中から「実業界」には「五代友厚(薩摩)※」が進みましたね。
(※五代友厚:大阪商法会議所設立者)
そして「幕府の随員」としてフランスへ渡航した「渋沢栄一(幕臣)」も、その後「実業界」へ進んだのです。
かつて「司馬遼太郎」は、その数多くの著作の中で「明治の若者が一心に坂の上の雲を目指す姿」を魅力的に描いていますが、歴史書を読んでもその息吹をコロちゃんは感じましたよ。
5.「コロちゃんと妻の月に1回のお出かけ」
上記のように10年ほど前に「渋沢栄一記念館」を訪ねたコロちゃんと妻ですが、当時は毎月1回どこかへ出かける習慣がありました。
コロちゃんは「大腸がん」で会社を「休職⇒退職」となっていましたが、いつも抗がん剤の副作用があった訳ではありません。
体調が良い時には、毎月1回はコロちゃんちから車で1時間ぐらいの所へお出掛けして「美味しいラーメン」を食べ歩いたり、観光スポットを回るなどをしていたのです。
上記の「渋沢栄一記念館」を訪ねたのもその1日ですね。
他にも「行田市の田んぼアート」なども何回も行きましたね。これは、田んぼの中に「ちがった種類の稲」を植えて、その稲穂の色から「アート」を浮かび上がらせるイベントです。
直ぐ近くにある「展望塔」から、一面に見ることが出来ます。
コロちゃんと妻は、「食べログ」で美味しいラーメン店を調べて、途中でお昼を食べながらいろいろなところを見て回ったりしていたのです。
なお、この「田んぼアート」は毎年行なっていますから、行ってみたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
6.「コロちゃんと温泉」
コロちゃんは、今でも「温泉」は好きなのですが「妻」も好きでしたね。よく2人で近隣の「日帰り温泉」に行きましたよ。
ここで皆さんに、コロちゃんと妻がもう30年以上前からよく行っていた「群馬県藤岡市」にある「桜山温泉」をご紹介しようと、ネットでサイトをみてみたら・・・なんと「休業中」となっていました。
いやー、ここに最後に訪れたのはもう10年以上前だったと思いますけど、もうだいぶ施設が古かったからもう閉めたのかも知れませんね。再開するのかなー?
この温泉は近くの「桜山の寒桜」が有名でしたんね。
コロちゃんの記憶では、近隣にやたら「日帰り温泉」が増えてきたのは、1990年代の末ごろからです。
どうやら「掘削技術の進歩」で、この頃から深い地下を安く早く掘り当てることが出来るようになったからのようですね。
以前は、まだそんなに「日帰り温泉施設」がありませんでしたから、コロちゃんと妻は時々の「温泉通い」は、ちょっと遠くへ出かけるドライブも兼ねた手軽な「娯楽」として行っていたのです
上記の「桜山温泉」が休業でご紹介できませんから、もう一つの「深谷花園温泉」をご紹介しましょう。ここも良くコロちゃんと妻が気持ちよく通った温泉ですよ。
お知りになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いしますね。
7.「コロちゃんと妻の思い出」
今日のブログでは、ちょっと趣向を変えて、かつて訪れたことのある「渋沢栄一記念館」の事を取り上げてみました。
その「渋沢栄一記念館」の事を書いていると、思い出すのが「妻」のことですね。なにしろ一緒にあちこちを巡った記憶があるのですからね。
そこで「行田市の田んぼアート」や「温泉巡り」を続けて書きましたが、コロちゃんが思うのは「妻」のおかげで、コロちゃんの幅が広がったという認識です。
広がったのはコロちゃんの「横幅」じゃないですよ、「価値観と認識の幅」です。
もともとコロちゃんは、家の中で静かに「読書」していれば満足していた人間なのですよ。
それが「妻の趣味」の温泉を一緒に回ったり、あちこちの「農産物専売所」で買い物をする中で、外出してあちこちを巡るのも結構楽しいと思うようになりましたね。
そして「妻が楽しむ顔を見たいから出かける」というインセンティブもありました。
コロちゃんと「妻」は、キャラクター的には真逆の人間でしたが、それが良い方向に作用したと思っていますよ。
そりゃ「温泉」に入れば、身体がスッキリ・サッパリはしますよ。しかし、それよりも一緒に車に乗っている時もいろいろ会話をするじゃないですか。
その「お互いの意思疎通・価値観のすり合わせ」が、ちょっと楽しいのです。
何しろ、妻とコロちゃんは「キャラクターが真逆」ですから、違った価値観を知ると新鮮なんですよね。
そのような「喜び・楽しみ」が「温泉や訪問地」の良さと相乗効果があったように思えますね。
今コロちゃんは、ひとりになってしまって、もうあちこちを一緒に回って「楽しむ妻の顔」が見れなくなってしまいました。
今後は、今は亡き妻に「しっかりしてろよ」と後ろから蹴飛ばされないように、めげずに生きて行こうと思っているコロちゃんでしたよ。
今日は、「高齢者夫婦の日常生活の一コマ」を切り取って書いてみました。
初めての試みですので面白いか興味がないか全く見当が付きませんが、これもコロちゃんの姿ですよ。詰まらなかったらごめんなさいね。
d(>∇<;)ゆるちて♪
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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