【経済考】労組はデフレの「共犯」だったの?

経済

おはようございます。コロちゃんは昨日に毎月1回通っている「ペインクリニック」に行ってきました。

コロちゃんは「腰痛の痛み」を抑える為に、毎月「痛み止め」のお薬をもらいに通っているのです。

そのお薬は「トリプタノール」というお薬なのですが、先月までは「1日6錠」を服用していたのですが、今月からは「1日5錠」に減らす指示を受けていたのです。

コロちゃんは、「減らしたらば痛みが酷くならないかなー?」とちょっと不安でしたが、「1日5錠」に減らしてみたら、「何となく少し痛みが強いかな?」という感じでしたね。

それに「副作用の朝の眠気」もやや改善しましたので、今月から「トリプタノール:1日5錠」に減らすことになりました。

今でもコロちゃんの「腰痛」は、朝起きた時には「10の内2~3の痛み」があります。

しかし、よーく昨年の今頃はどうだったのかを思い出してみると、昨年は夜寝ても「上向き」では痛みが強くて「横向き」でしか眠れませんでした。

それが今では「上向き」に寝ても、腰がやや痛む程度にまで改善していますから、長期的にはいくらかは良くなっているように思われますね。

コロちゃんは、病状はいつもポジティブに考えるように心がけていますよ。このまま「腰痛」がもっと楽になるといいなー、と先を楽観視しながら生活していますよ。

その方が「今後悪くなったらどうしよう」と思うよりは、はるかにメンタルに良いですからね。皆さんも悩んだ時には「楽観」を心がけた方が良いですよ。

今日は「労組はデフレの共犯だったの?」をカキコキします。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「労組がゴメンナサイと、デフレの共犯の犯行現場」

☆「デフレの風景と、ベアゼロ・非正規雇用の風景」

☆「千載一遇のチャンスなのかと、コロちゃんの1970年代」

1.「労組がゴメンナサイ」

コロちゃんが新聞をバサバサ読んでいましたら、「労組がデフレの共犯だった」との見出しを見つけました。

この記事は「連合副会長・JAM会長の方のインタビュー記事」ですね。

「連合」は皆さんもご存じの通り、組織人員686万人の「全国の労働組合のナショナル・センター」です。

そして「JAM」は、昔「全国金属機械労働組合」と言っていた機械・金属製造業の中小企業にて働く労働者を組織する「産業別労働組合」ですね。こちらは現在組織人員が約34万人います。

この「JAMの会長さん(連合の副会長でもある)」の安河内賢弘氏が、新聞インタビューで以下のように語ったのです。

「バブルが崩壊し、組合はリストラを選ぶか賃金を我慢するかの二者択一を迫られた。私たち組合は雇用を守る方を選んだ。」

「雇用を守るために非正規雇用・賃下げ・最終的にはリストラも受け入れた。本当に守ろうとしたのは何だったのか?」

「労働組合がデフレに陥った戦犯だったとは思わないが、共犯であることは間違いがない。(今振り返れば)デフレの時代においても『自分たちの生活は苦しい』という組合の基本的な主張を忘れるべきではなかった」

コロちゃんが、これを読んで「全国紙の新聞紙上で労組のトップが自己批判したのは初めて見た」とビックリしましたよ。

それと「労組がデフレの共犯」と認めるならば、それでは「デフレの主犯は誰か?」とも思いましたね。

次から、この「労組トップの方」がおっしゃられている「デフレの共犯の時代(2000年代初頭)」の風景を見て確認してみましょう。

2.「デフレの共犯の犯行現場」

コロちゃんが思ったのは、「労組トップの方」が「デフレの共犯を自白」しても、この「犯行現場」は既に20年以上も昔になりますから、今の若い方にはよく「犯行状況」がわかりにくいでしょう。

そこで、「犯行現場」である「デフレ・賃上げ・非正規雇用の風景」を確認してみたいと考えました。それに「共犯」だったら、必ず「主犯」もいるはずですよね。そこも見てみましょう。

3.「デフレの風景」

まず「デフレとは何か?」ですが、デフレーション(Deflation)の略で「物価が下がり続けてお金の価値が上がり続けること」を指します。

ただこの「物価が下がり続けている」と認定するのが難しく、1990年代末には物価下落が一時的なものなのか、それとも継続しているのかをなかなか決められずに「デフレ認定」は遅れています。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。

「内閣府 消費者物価指数の前年比の長期推移」より

https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je13/h05_hz010222.html
出典:内閣府 平成25年度 年次経済財政報告より(5月23日利用)

上記のグラフは、1970~2012年の「消費者物価指数の対前年比の長期推移」です。

赤ラインが「日本」ですが、1980年代後半から既に「物価上昇率」はゼロ近辺に落ちています。

その後は一時的に上昇はしていますが、この上昇は1989年の「消費税導入(3%)」、1997年の「消費税引き上げ(5%)」の要因によるものと思われます。

この「消費者物価指数」の指数を見ると、1999年~2003年は対前年比でマイナスとなっています。この時点ではもう完全な「デフレ」ですね。

しかし「政府のデフレ認定」は「2001年3月の月例報告」が最初でした。

この様に「デフレ認定」は、どうしても数値を確認してからになりますから、認定も対策も遅れましたね。

コロちゃんも、1990年代後半に「経済学者・エコノミスト」が「デフレか、そうではないか」の論争をしていたのを記憶しています。

「世界銀行・IMF」は、景気判断とは切り離して「少なくとも2年間の継続的な物価下落」をデフレと認定しています。

「日本」では旧経済企画庁が「物価の下落を伴った景気の低迷」をデフレの定義としていましたが、2001年より「持続的に物価が下落している状態」と定義を変更しています。

しかし、この「デフレ」が「物価下落」以外にどのような意味を持っているのかは、当時は誰もわかっていなかったと思いますね。

まさか「経済の悪循環※」が始まっていたとは、誰一人想像できなかったと思いますよ。

(※コロちゃんが考えた経済の悪循環は以下です)

◎「経済の悪循環」

❶「物価が下落」⇒

❷「物価下落で企業売り上げが減少」⇒

❸「企業売り上げが減少し企業利益が減少」⇒

➍「企業利益が減少してベアゼロ・非正規雇用拡大」⇒

❺「ベアゼロ・非正規雇用拡大で消費が減少」⇒

❻「消費が減少して物価が下落」

〇「❶に進みループする」

コロちゃんは、これを書きつつため息が出ましたよ。日本の優秀な官僚や経済学者やエコノミストが誰も、これを予想しなかったのかなと思いましたね。

いやいや、それはコロちゃんが知らないだけかもしれませんよね。

ひょっとしたら誰かが「オオカミが来たぞ!」と叫んでいたのかも知れませんけど、寡聞にしてコロちゃんは知りません。

もし、どなたかご存じでしたら、ぜひコロちゃんにお教えください。

この「デフレの悪循環」が1990年代後半に、既に分かっていた方がいらしたら、コロちゃんは尊敬しますよ。

だってその当時のコロちゃんは、2001年の「吉野家牛丼並盛¥250円」と2002年の「マクドナルド・ハンバーガー1個¥59円」などを喜んで歓迎していたのですからね。

その時代の多くの方たちが、コロちゃんと同じに「価格破壊」を喜んでいたと思いますよ。まさかそれが「経済の悪循環」のピースの一つだったとは誰も考えていませんでしたよ。

4.「ベアゼロ・非正規雇用の風景」

上記の「デフレ(物価下落)」が始まったきっかけは、バブルによる「企業の三つの過剰(雇用の過剰、設備の過剰、負債の過剰)の巻き戻しです。

この処理に「日本企業」はだいたい10年強を費やしています。しかし、「三つの過剰」の処理を終えても、それ以前の経済に日本は戻ることはありませんでした。

一度始まった「デフレ経済」は、次々と玉突きをするようにより悪い方向へと進みました。

まずは、今日のブログのテーマの「労組はデフレの共犯だったの?」ですね。もし労組が「デフレの共犯」だとすると「主犯は経営者」になります。

➀「経営者はベアゼロを選んだ」

この「物価が下落」する状況の中での、「経済学的処方箋」はおそらく「消費を増やすこと」、そのために「賃上げをすること」だと思いますが、経営者は「ベアゼロ」で回答します。

日本の春闘で「ベアゼロ」が広がったのは、2002年の「トヨタの春闘」がきっかけでした。

2002年の「日経連(のちに経団連と統合)の奥田会長(当時トヨタの会長でもあった)」が、「雇用維持」のため「ベア見送り、定期昇給の凍結にも踏み込む」姿勢を表明したのです。

当時1兆円の利益を計上していたトヨタが、奥田会長の「まだ100円玉を積み上げる交渉をしているのか!」との一喝で、「ベアゼロ」となりました。

当時はこれを「トヨタショック」と呼んで、たちまち世の中に拡がりました。

「あのトヨタさんがベアゼロなのに、うちなんかがベアアップできるわけない」と、それ以来の「ベアゼロ」は多くの企業で2014年まで10年以上も続きました。

2002年から2014年頃までは「ベアゼロ」を多くの経営者は推進し、労働組合もそれを容認していたのです。

➁「労組はベアゼロを容認し雇用を守った」

この時に労働組合は、「賃上げ」を放棄して「雇用確保」を選択したのです。

ここで上記の「JAMの安河内会長」の、新聞インタビューをもう一度みてみましょう。

「バブルが崩壊し、組合はリストラを選ぶか賃金を我慢するかの二者択一を迫られた。私たち組合は雇用を守る方を選んだ」

「雇用を守るために非正規雇用・賃下げ・最終的にはリストラも受け入れた。本当に守ろうとしたのは何だったのか?」

「労働組合がデフレに陥った戦犯だったとは思わないが、共犯であることは間違いがない。(今振り返れば)デフレの時代においても『自分たちの生活は苦しい』という組合の基本的な主張を忘れるべきではなかった」

このように「経営者のベアゼロ方針」は、「労働組合の容認」の下で進められたのです。

③「経営者は更に非正規雇用を選んだ」

「経営者」は、「ベアゼロ」だけではなく「現役労働者」の雇用を守りつつ、「定年退職者」の後補充に「非正規雇用者」を増やし始めました。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。

「厚生労働省 正規雇用労働者と非正規雇用労働者の推移」より


https://www.mhlw.go.jp/content/001234734.pdf

出典:厚生労働省 「非正規雇用」の現状と課題より(5月23日利用)

上記のグラフは1984~2023年の「正規雇用者数と非正規雇用者数」です。

「黄色の棒グラフ」が「非正規雇用者数」です。上記のグラフの1999年以降に大きく増加している様子が見られます。

それはこの時期から、「経営者」がベアゼロと同時に「定年退職者」の後補充に「非正規雇用」を採用し始めたのです。

そして更には「正社員」のお仕事を「非正規雇用」でもできる職務内容に置き換える人事政策を進めました。

その時に「労組」は、それを容認する代わりに「正規雇用組合員」の雇用を守ったことが、上記の「JAMの安河内会長」のインタビューでよくわかります。

この様に見て行くと、「デフレ」に陥ったことの「戦犯」は「企業経営者」であり、「労組」は「共犯だった」との自白はまさにその通りだと言えますね。

直近の数字では「非正規雇用者数」は、「2131万人(37.2%)※」まで増えていますね。

(※総務省統計局:労働力調査:2024年(令和6年)3月分より)

今から考えれば「物価が下落」する状況の中で必要だったことは、「賃上げして消費を増やすこと」だったのでしょう。

しかし、現実は真逆の方向へと「日本」は進んでしまったと言えると、コロちゃんは思いましたよ。

5.「千載一遇のチャンスなのか?」

コロちゃんはここまで書いてきて、素人のおじいちゃんのコロちゃんですら分かった上記のことが、現在の経済学者やエコノミストの「専門家の方々」が分からないはずはないと思いましたよ。

現に「JAM労組会長」を務めている方ですら「自白」しているわけですから、その内容が間違っていたら、そもそも「新聞」にこのインタビュー記事が掲載されるわけはないですよね。

おそらく「新聞記者」や「論説委員」のプロの方たちも、その見方に賛成か、あるいは一定の説得力があると考えていたから、この「戦犯・共犯」の内容が「新聞紙面」に掲載されたのでしょう。

そのように考えていくと、現在「賃上げ」を強力に進めている「十倉経団連会長」は、過去の罪を償うという免罪意識があるのかも知れないと、コロちゃんは思いましたよ。

だって2002年に「日経連会長※」が先頭に立って「ベアゼロ」を進めたのですからね。

(※2002年に日経連と経団連は組織統合され新会長はトヨタ会長でもあった奥田氏)

そして、「経団連」が2002年以後の「ベアゼロ」の歴史を拭い去るために「5%以上の賃上げ」を進めるならば、あと残るのは「正規雇用」を減らして「非正規雇用化」を進めた「黒歴史」になります。

この「非正規雇用」の「正規雇用化」は、なかなか難しそうですね。

コロちゃんは、「非正規雇用の増加」も「デフレの大きい要因の一つ」だと考えますが、これに手を入れるとなると「産業構造」を揺さぶることになりかねませんから、どうなるでしょうね。

「内閣府」は、今年2024年2月に発表した「2023年度日本経済レポート」の中で、以下のように記載しています。

「四半世紀の間達成し得なかったデフレからの脱却に向けた千載一遇のチャンスが到来している」

果たして、この「千載一遇のチャンス」を「岸田総理」と「日本経済」はつかみ取ることができるかどうか、コロちゃんは興味津々で見つめていますよ。

6.「コロちゃんの1970年代」

コロちゃんの「非正規雇用」の記憶というと、1970年代初頭に東京に出てきてすぐにアルバイトとして、凸版印刷の工場で「1日」働いたことを思い出します。

当時は「青年コロちゃん」でしたね。東京へ出て来て、何も分からない田舎者のお兄ちゃんが、知り合いに声をかけられてアルバイトに行ったのです。

当時の凸版印刷では、朝窓口へ行くと「日中は1日8時間労働¥1250円・夜間は夜12時間労働¥2500円」を日払いで直ぐ受け取れるアルバイトを募集していました。

時代なんですね、その日に訪ねると「受付」をして、仕事が終わると直ぐに「支払」をしてくれました。

今から思うと、「緊急の労働需要」に対処する安上がりな「労働力確保方法」だったのでしょうけど、当時の「職業安定法」では禁止されていた「労働供給」にあたっていたかもしれませんね。

そしてその「凸版印刷の工場」で、どのようなお仕事をしたのかというと、「パレット」という板の上に山積みされていた印刷物を、刷り上がったところから別の場所に移動するような簡単なお仕事でしたね。

ある時に、同じぐらいの年代の女の子と一緒の場所で、刷り上がった本を積み上げる仕事を丸1日、しゃべりながら行なっていると、彼女の給料がコロちゃんよりも安いことを知りました。

なんとアルバイトの給料が「男女」で数百円も違っていたのですよ。その日のお仕事は彼女とコロちゃんは向かい合って、全く同じ仕事をしていたのにですよ。

コロちゃんが、就業現場で「露骨な男女差別」を初めて知った時でしたね。コロちゃんは「理不尽だ!」と思いましたよ。

この当時は「ラーメン1杯¥96円」です。コロちゃんのアルバイト料「1日¥1250円」でしたら、「ラーメン」と一緒に「餃子」も食べられた時代でしたよ。

そういえば、この頃のコロちゃんの御馳走は「ラーメン+餃子+ライス」でしたね。よくこんなにいっぱい食べられたものですね。

コロちゃん、若かったなー・・・。
(○ ̄~ ̄○;).。oO(想像中)

そして1970年代初頭のこの時代は「正規労働者:3000万人」に対して、「非正規労働者」は、10%もいません、200万人台だったようです。

この程度の人数・割合ですと、「日本経済」全体をデフレに進ませるようなおかしな影響はなかったのでしょうね。

この時代のコロちゃんの記憶からは、現在の「非正規雇用者数:2131万人(37.2%)※」がまったく別の国の出来事のように思えますよ。

(※総務省統計局:労働力調査:2024年(令和6年)3月分より)

だけど、あの頃の「ほとんどが正社員」だった時代の方が、みんなが幸せだったように感じるのは、コロちゃん(昭和世代)の「昔は良かった」というような追憶なのでしょうか?

いやいや、ここまで「非正規雇用が増えた」のは、たかだか20数年前の2000年代初頭からだったのですよね。

それを考えると、コロちゃんは「過ちては改むるに憚る(はばかる)こと勿(なか)れ※」の言葉を思い浮かべますね。

(※過ちを犯したら、ためらわないで改めよ:論語:学而より)

2000年代以来の「デフレの失敗」も「過ちては改むるに憚る(はばかる)こと勿(なか)れ」とあって欲しいものだと、コロちゃんは思いましたよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

KanenoriによるPixabayからの画像
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