おはようございます。今朝もコロちゃんはワンコとの散歩で1日が始まりましたが、このブログのカキコキも、もう丸2年を越えました。
今までにどのくらい書いたのかを、ちょっと見てみたら、なんと「872話」にもなっています。もちろん記事の内容は「玉石混交?」・・・だよね。
ひょっとしたら「石石ばっかり」・・・なんてことも・・。
ヽ(; ゚д゚)ノ ギョッ!!
まあ「記事の質」はともかく、「量」だけは実現しているということにしておきましょう。
そういえば「量は質に転嫁する※」と言う言葉もありましたよね。
(※量質転化の法則:量を積み重ねていくと質的な変化が起こるというもの)
コロちゃんの記事の場合は、この「量質転化の法則」が当てはまるのかどうかはzyu分かりませんが、最近のコロちゃんは、時間さえかければ9000字程度の原稿は書けるようになってきましたよ。
あとは、勝手に「量が質に転嫁する」のを待つだけ・・・、ホントに「質に転化する」のかなぁ?
ʅ(。◔‸◔。)ʃ…ハテ?
まあ、コロちゃんの原稿が「質に転化すればいいなぁ」と言うことにしておきましょうね。
今日は「中曽根元総理とリベラル?」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「中曽根元総理は、知られざるリベラルだったの?と、コロちゃんの知る中曽根康弘氏」
☆「リベラルと保守の垣根が溶解?と、リベラルと保守の目指す地点が世界観から損得に変ったよ」
☆「含蓄のある中曽根氏の日本社会観と、なぜ理想の将来より足もとの現実を見るようになったか?」
☆「リアルな現実を見るしかないよと、コロちゃんとバブル末期の思い出」
1.「中曽根元総理は、知られざるリベラルだったの?」
コロちゃんが、朝コーヒーを飲みながら新聞をバサバサ読んでいると「中曽根元総理の知られざるリベラルな側面」と言う小見出しが目に入りました。
この記事は「日経新聞」の「私の履歴書」という連載で、毎回「著名人の一生の自叙伝」を連載しています。
コロちゃんは、「有名な財界人」や「大企業の社長・会長さん」の「貧しい子ども時代」などの連載を、いつも興味深く読んでいたのです。
今回は「ジェラルド・カーティスコロンビア大学名誉教授」の連載⑯でした。この方は「日本政治学の学者さん」なのですよ。
この日の連載には、「カーティス教授」と「中曽根康弘元総理」の交友の内容でしたが、その内容にはコロちゃんが興味深く注目する内容が記載されていたのですよ。以下ですよ。
「強く印象に残るのが憲法改正をめぐる考え方の変化だ。2013年2月のインタビュー時にこう発言した」
『中曽根元総理発言』
「憲法の改正はだんだん遠ざかる。一般の人たちはそれほど改正の必要を感じない。憲法の独自性とか・・・我々の時代には非常に強かったが、時間が立ってみたら、そのような意識はほとんどなくなって、・・・そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」
『中曽根元総理発言』
「A級戦犯の合祀やアジアへの侵略戦争を正当化する神主(※)には激しい言葉も投げかけた」
(※1978年にA級戦犯を合祀した靖国神社神主の松平永芳氏のことと思われる)
さらに、以下の様に記載を続けています。
『中曽根元総理発言(文中)』
「2011年、恒例の『今年の漢字』が『絆』だと公表されると残念がった。理由を尋ねると『日本には絆による悪いしがらみも多くある」と述べ、個人を過度に縛る家族や反社会勢力の絆を挙げた」
コロちゃんは、これを読んで驚きましたよ。だって「中曽根元総理」と言えば、若い時からバリバリの「右翼的言動」で「自民党」の一角に存在感があった方ですからね。
このインタビューは、2013年と書いてありますね。「中曽根元総理は1918年生まれ」ですから、御年94歳時点のご発言となります。
コロちゃんは、この「私の履歴書の中曽根元総理の発言」を読んで、高齢になった後の「考え方の変化」とみるのか、それとも「政治的な思想の転換」なのか、ちょっと考えましたよ。
なお、この「日経新聞」の「ジェラルド・カーティス 私の履歴書(16)中曽根康弘氏」をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
2.「コロちゃんの知る中曽根康弘氏」
コロちゃんの知る「中曽根康弘氏」は、1970年代に総理の椅子を争う「三角大福中※」と呼ばれた「日本政治史」の大物の1人です。
(※三角大福中:三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘:全員が総理大臣となっています)
当時の「中曽根康弘氏」は、旧海軍の主計少佐出身で、自民党内でも最右派の「青年将校」と呼ばれていましたね。
そして1970年代には「自民党内」に「青嵐会」と言う「保守を掲げる政策集団」を立ち上げるなどを行なって、後の1982~1987年まで「総理大臣」に就任しています。
退陣後も、「保守層」の代表格として息長く時々存在感を示す「生きる戦後史」みたいに、コロちゃんは見ていましたよ。
コロちゃんの「中曽根康弘氏」のイメージは、「しゃべる言葉は過激だけど現実政治は柔軟な、したたかな政治家」ですね。
それと特徴に「議論に強い」がありました。とにかくよくしゃべる政治家でしたよ。まず論戦になると負けない人でしたね。
晩年も、2015年の97歳の時に、読売新聞に「戦後70年にあたっての長文の寄稿文」を行なったりしていたとされていますね。
このお方は、高齢になっても「頭のキレ」は健在だったようですよ。
3.「リベラルと保守の垣根が溶解?」
コロちゃんが、この「中曽根康弘氏」の晩年のインタビュー記事の「知られざるリベラル(カーティス教授の表現)」に注目した理由は、最近コロちゃんも同じように感じた事例が増えているからです。
例えば「選択的別姓制度」は、今では「経団連」も主張していますし、「自民党内」でも「菅元総理」や「野田聖子議員」なども「賛成」の立場と聞きます。
また「年金制度」の「専業主婦の年金である第3号被保険者制度」については、今では「経済同友会と連合」が、12月12日に「懇談会」をもち「廃止を求めることで一致した」と報じられています。
今までは「会社員と専業主婦の家族のあり方」は、保守層には「日本の守るべき伝統」と言われていたように思われますが、どうやらそれも変化してきたようですね。
コロちゃんの目には、今の日本社会では「リベラルと保守」の境目が溶解してきたように見えているのですが、皆さんはどう見られているでしょうか?
4.「リベラルと保守の目指す地点が世界観から損得に変ったよ」
ネットでポチポチと「リベラルと保守」を調べると、以下の様な分類が出てきました。
◎「リベラルと保守」
➀「リベラル」
・「憲法改正に消極的、原発ゼロ、選択的別姓に賛成、個人の自由や多様性を尊重」
➁「保守」
・「憲法改正に積極的、原発推進、選択的別姓に反対、伝統的な家族形態を尊重」
皆さんは、上記を見てどのようにお考えでしょうか?
コロちゃんは、自分を「リベラルじいさん」だと思っていますから、上記のように「政治課題」を並べられるとどっちかというと「➀リベラル」の方を選びます。
しかし、これらの分類は今の社会ではあまり大きな意味を持たなくなっているようにも感じているのです。
前項の終わりにコロちゃんは「リベラルと保守の概念が溶解してきた」と書きましたが、コロちゃんは過去の1970年代ごろと現在を比べてしまうのです。
その「1970年代の頃(コロちゃんが20代の頃)」は、「リベラルと保守の目指す地点」は「世界観の違い」だったのですよ。
それぞれが「自己完結した世界観の違い」でしたから、目線は「将来のあるべき社会像」に向かっています。
当然対立は激化しました。
ところが、最近の「保守とリベラルの目指す地点」は、「現在の個別課題の損得」になっているのではないでしょうか。
目線が将来ではなく足下になっています。
これは「リベラル・保守」のどちらかが「損」で、片方が「得」になったということではないですよ。
多くの方の考える「目指す地点」が、「リベラル・保守の世界観」から「個別事案の損得」に変って来たと思えるのですよ。
コロちゃんの目には、今の多くの方々は自分の考えを「リベラル・保守」と区分けしないで、その都度個別課題に反射的に対応しているように見えるのですよ。
5.「含蓄のある中曽根氏の日本社会観」
ここで、最初の「中曽根氏の言葉」を振り返ってみましょう。上記で「中曽根氏」は、以下の様にかたっています。
「憲法の改正はだんだん遠ざかる。一般の人たちはそれほど改正の必要を感じない。憲法の独自性とか・・・我々の時代には非常に強かったが、時間が立ってみたら、そのような意識はほとんどなくなって、・・・そう悪くないじゃないかと、そういう過程に入ってきている」
今の多くの国民は「将来の国家像である独自の憲法を持つこと」よりも、「このままでいいじゃないか」を選択していると言っているのです。
「将来の国家像」と言う観念よりも、今が困らないなら別に構わないと、この考え方は「目線が現在」にありますよね。
そして、もう1つは以下ですね。
「2011年、恒例の『今年の漢字』が『絆』だと公表されると残念がった。理由を尋ねると『日本には絆による悪いしがらみも多くある」と述べ、個人を過度に縛る家族や反社会勢力の絆を挙げた」。
これは「親を子どもが守る美しい家族関係(保守像)」と言う将来へ向かっていた観念的視線が、今では「介護しなければならない親は邪魔な存在(現実)」との、足下の現実を見始めたとも言えますね。
「中曽根氏」の言われた「個人を過度に縛る家族の絆」には、現在の日本社会の実態を赤裸々に抉り出しているとコロちゃんは感じましたよ。
そこには「保守・リベラル」と言う世界観は見えませんね。
6.「なぜ理想の将来より足もとの現実を見るようになったか?」
コロちゃんは、上記のように「1970年代」は、多くの方が「将来の世界観(保守とリベラル)」をめぐる議論を戦わせていたと思っています。
それに対して「現在」では、将来よりも「現在の利益」となっているのではないかと感じているのです。
その理由として、コロちゃんが考えたのは、以下の「日本の経済成長率の推移」です。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「独立行政法人 労働政策研究・研修機構 実質GDPの増加率」より
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0001.html
出典:独立行政法人 労働政策研究・研修機構 早わかり グラフでみる長期労働統計より(12月17日利用)
上記のグラフは、独立行政法人:労働政策研究・研修機構」が発表した1955~2021年の「実質GDP増減率の推移」です。
大きく上下にジグザグしていますので、一定期間の成長率は見にくいですが、以下に纏めますね。
1955年~2021年の「実質GDP成長率の推移」は、大きく言うと3つの期間に分かれます。下記ですね。
◎「実質GDP成長率推移」(後段のカッコ内はコロちゃんが勝手に付けました)
➀「1956~1973年度:平均9.1%」
(高度成長期)
➁「1974~1990年度:平均4.2%」
(一億総中流時代)
➂「1991~2022年度:平均0.8%」
(失われた30年)
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0001.html
(出典:独立行政法人 労働政策研究・研修機構 早わかり グラフでみる長期労働統計より:12月17日利用)
コロちゃんが20代だった1970年代とは、「➀1956~1973年度:平均9.1%」と「1974~1990年度:平均4.2%」の高い成長率を実現していました。
高い「経済成長率の時代」に生きていた人たちは、将来もこのまま成長を続けるだろうと信じていました。
当然目線は「遠い明るい将来の日本」に行きます。
より良い「日本の将来像」を巡って、今激論するのは多くの「国民の利益」になることと考えていたのです。
それに比べて「➂1991~2022年度:平均0.8%(失われた30年)」の時代は、成長がほとんどありません。
考えられる今後の将来も現在とは変わらない社会です。目線は、将来はどうせ変わらないのですから、現在を見据えることになります。
だったら、今利益を得なければ「将来もずっとこのままになってしまう」と考えても、それは「合理的判断」と言えるでしょう。
その結果、望むのは「保守・リベラルの理想の国家像」ではなく、現在の損得のみとなってしまった。
これがコロちゃんが考えた、「現在リベラルと保守の垣根が溶解していること」の理由なのですけど、いかがでしょうか?
7.「リアルな現実を見るしかないよ」
「失われた30年」とか「成長できないニッポン」とか言われていますが、「政府」は「2024年の財政検証」で、以下の「4つの成長予測」を発表しています。下記ですね。
◎「経済の前提」
➀「高成長実現ケース :+1.6%」
➁「成長型経済移行・継続ケース:+1.1%」
➂「過去30年投影ケース :-0.1%」
④「1人あたりゼロ成長ケース :-0.7%」
https://www.mhlw.go.jp/content/001270476.pdf
(出典:厚生労働省:令和6(2024)年財政検証結果の概要より:12月17日利用)
上記の資料は、今年2024年7月に発表されたものなのですが、その後の12月10日に発表された「厚生労働省年金部会」での資料には、「経済の前提の試算」が二つしか記載がありませんでしたよ。
以下の二つです。
◎「年金改定額の影響」
❶「成長型経済移行・継続ケース」
❷「過去30年投影コース」
https://www.mhlw.go.jp/content/12401000/001350052.pdf
(出典:厚生労働省:基礎年金のマクロ経済スライドによる給付調整の早期終了/マクロ経済スライドの調整期間の一致/について②より:12月17日利用)
もちろん、この「経済予測コース」の記載の欠落に意味があるのかは、コロちゃんにはわかりませんよ。
下の「年金改定額の影響」の方は単にスペースの関係で2種類にしたのかも知れませんしね。
だけど、コロちゃんが言いたいのは、将来の日本の経済成長率は「➁成長型経済移行・継続ケース:+1.1%」か「➂過去30年投影ケース:-0.1%」の間に収まる可能性が高いことですよ。
この「+1.1%~ー0.1%程度の成長率」では、コロちゃんたち庶民には「経済成長の実感」は滴り落ちない可能性が高いと思いますよ。
だからこれからの日本は、「低い成長率」を前提とした「政治・経済政策」を進めた方が良いと言うのがコロちゃんの考えですよ。
8.「コロちゃんとバブル末期の思い出」
今日は「中曽根元総理」の話しから、「リベラルと保守」についての考察を拡げてみましたが、この「中曽根元総理」が総理大臣だった期間は、1982~1987年でした。
今から振り返ってみると、「日本経済」が絶好調だった「一億総中流の1980年代」ですね。「ジャパン・アズ・ナンバーワン※」ともてはやされた時代でしたよ。
(ジャパン・アズ・ナンバーワン:1989年:著者:アメリカの社会学者エズラ・ヴォーゲル)
その「中曽根総理」の任期の、最後の年の1987年が「バブル経済」の最初の年でした。
「バブル経済」は、その1987年の前年1986年の12月から始まったと言われています。
その後のバブルの終焉は1991年と言われていますから、丸4年間の「バブルの饗宴」でしたね。
当時は「皇居の土地だけでアメリカのカリフォルニア州が買えた」とか、「東京都の土地でアメリカ全土が買える」とか言われていましたね。
その「バブルの戦犯」が、実はこの「中曽根総理」なんですよね。
彼は当時「貿易赤字に悩むアメリカ」の要求に屈して「内需拡大を国際公約」をしたのです。
その結果「公共事業を拡大し、低金利・輸出拡大を進めて、バブル経済を招いた」とされていますね。
その頃のコロちゃんは、もちろんそんなことは分かりません。当時のコロちゃんは、妻と2人の幼稚園児を抱え、それまで勤めていた会社から転職し、新会社で力を振り絞ってで働いていましたよ。
コロちゃんは、その頃の強烈な記憶がありますよ。
確かバブル末期の1991年頃のことだと思われますが、コロちゃんは仕事で夜更けに「東京の芝浦ふ頭」の近くの会社の事務所を訪ねたことがあったのです。
今では「芝浦」と言うと、多くの「タワーマンション」が立ち並ぶ新都市の景観になっていますが、1990年頃はほとんど全体が「倉庫街」です。
周辺には、商店も住宅も1軒もないような、「港と倉庫」しかない地域でした。
コロちゃんは、当時その「倉庫街」を通り抜けようと車で走行していたのですが、人っ子一人いない倉庫街の一角に煌々と光る光源がまぶしく輝いていました。
周囲は真っ暗な、街路灯すらいくらもないような「倉庫街」ですよ。
その「まんまん中の煌びやかな光り」とは「ジュリアナ東京」というディスコだと知ったのは、後からですよ。
当時のコロちゃんは、あんな「倉庫街」にディスコなんか作っても誰も来ないだろうなと思っていましたよ。
世の中で「バブルとジュリアナ東京」が知られるようになったのは、そのすぐ後でしたね。
まさか、あんな辺鄙なところのディスコが話題になるとは、とても考えられなかったコロちゃんでしたよ。
なお、この「ジュリアナ東京」は、1991~1994年の3年間で閉館となりましたね。その後は「東京ポートボール」と言う「ボーリング場」になっていますね。
コロちゃんは、「バブルや当時の中曽根元総理」と聞くと、今でもあの夜の「ジュリアナ東京」の煌々とした灯りが頭に浮かびますよ。
今日は「中曽根総理とリベラル」と題しまして、最後は1980~1990年頃のコロちゃんの思い出を書いてみましたよ。
どれか一つでも、皆さんの興味がある話題があったら、コロちゃんもうれしいですよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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