【闘病考】コロちゃんの人生観

闘病

今回は、コロちゃんが、がんで自分の死を意識した時に何を考えていたのかを、思い出しながら書いてみたいと思います。

1.あとは振り返らないという生き方

コロちゃんは、ここ10年近く自らの大腸がんと悪性リンパ腫と戦い、その後妻の肺がんの戦いを支え、生きてきました。

コロちゃん自身は、流されるようにその都度その都度、進む道を選択してきたつもりですが、今から振り返ってみるとそれなりの生き方があらわれていたように思います。

ちょっと振り返ってみるのもいいかなと思いました。ここで反省するのも、自己確認するのも一興です。

誰でもそうかと思いますが、人生には転換点というものが必ずあります。

就職の場合もあるでしょう。結婚の場合もあるでしょう。転職や転居、居住場所の移転などがきっかけになることもあるでしょう。

コロちゃんも、何回か生き方を変えてきました。その時の行動なのですが、決して後を振り返りません。悔いは持たない。モノも持たない。すべて捨てて移動します。

常に、新しい世界に全身全霊を投入する。その時、中途半端では済まさない。すべてを賭ける。そうすることが新しい世界でのそれなりのポジションの獲得にもつながります。

その行動のメリットは、大きな満足感です。自分の人生のシナリオを新しく自分で描いていくという満足感は何物にも代えがたいものです。

しかし、その反面大きなリスクのデメリットもあります。だいたいそのようなリスキーな選択は失敗する場合も多い。ですから、その時は「力を尽くして戦った」ことに満足することにしています。

失敗は短期的には損害もあるでしょうが、人生は長い。

その後の人生を考えると、多少の損害よりは得られる認識や満足感の方が大きいというのが、コロちゃんの価値観です。

今回の、がん闘病でもこの生き方を踏襲しました。自分のがんには全力で戦うが、ちから及ばずして倒れる時には、力を尽くして戦ったことに満足して消えてゆくことを念頭に生きる。

予想外の妻の肺がん罹患も、嘆くのではなく、総力を挙げることがコロちゃんの生き方だと自分を鼓舞することで悲しみを追いやり生きてきたといえるでしょうね。

人間、生きる価値観はそう変わるものではありません。最後まで自分に忠実な生き方を続けられればいいなと思っています。

2.一つに全力を投じるという生き方

コロちゃんは、バランスの取れた配慮とか、いろいろ他方面を考慮とかができません。いつも関心があるのはただ一つのことだけです。

子どもをもってからは、ながいこと、この一つは家族を維持することでした。結構大変なんです、これが。

家族を維持し、それなりの教育を整え、子たちの旅立ちを見送るのはコロちゃんの身に余る大事業でした。

子たちを自立・独立させる。

その意識がコロちゃんと妻にはずーっとありました。そのためには、かなりの努力と資力を傾注しなければできません。妻の全面的な支援の下、無事完遂できたと思っています。

いや、それは妻の支援ではありませんね。妻自身が望んで進めた事業でもありました。これについては、妻はコロちゃんと同じ志をもつ存在だったのです。

ですから、コロちゃんも全力を投ずることができて、完遂できたといえるでしょう。この一つをやり遂げたというだけで、妻も満足だったと思います。

3.前だけを見るという生き方・・・・できるだけね

コロちゃんの心象世界に感傷は向きません。常に前だけを見つめて生きたいです。

そう言い切りたいのですが、やはり人間ですから、いくらかの記憶と思い出は引きずります。今回、断捨離で、いろいろ思い出の残るモノや本を一斉処分したのですが、いくらかの本は残しました。

過去のひとときに、ひたすら耽溺した本です。

数百冊を処分したのですが、処分するにはあまりに忍びない本だけは残しました。

だって人間だもん(^_^)

4.何かを残すという生き方

コロちゃんは、中年になりつつある子ども世代と、可愛い盛りの孫世代に何が残せるのかをいつも考えています。

お金は残せません(^_^)

「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲、1965年)という曲があります。

ベトナム戦争反戦歌と言われ、高石ともやや森山良子とたくさんの歌手が歌っていますが、コロちゃんの好きな曲で、今でも口ずさむことがあります。哀愁とペーソスがこもっているんですよね。

何が残せるのか? コロちゃんの最後の課題です。

コロちゃん妻が立つことができなくなって、しばらくしてから、コロちゃんが腰の圧迫骨折を起こした時のことです。コロちゃんは、あまりの痛みに呻吟しました。

妻の介護はしなければならない。しかし、立ち上がるだけでも30分ぐらいかかりました。凄まじい痛みが持続します。

つかまり立ちしながら、よろよろ歩きながら、子らと多くの方のサポートを受けて何とか介護を務めたのですが、その時に頭の中をリフレインしていたのは「生き様を見せるんだ」という言葉でした。

子ども世代には、何事にも力を尽くしていたとの後ろ姿を見せたいと思いました。そして、言葉ではなく、生きる姿勢で伝えたいと思いました。

人生に成功物語はいらない。充実感があればいいんだと。

何も残せない…それもまた悪くはないんです。コロちゃんは庶民ですから。

しかし、その生きる姿勢を子ども世代に見せることにより、その価値観が引き継がれて、孫世代の充実した生につながる小さな力になればと夢想したりしました。

最後の課題を胸に置きながら、終活を淡々と進めたいと思っています。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

本稿は以下からの続編になります。

【闘病考】コロちゃん、悪性リンパ腫になる(その1)
【闘病考】コロちゃん、悪性リンパ腫になる(その2)
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