かつて1980年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた日本には、代表的産業の御三家がありました。
「電機・自動車・半導体」です。今でも健在なのは「自動車」だけとなってしまいました。
その一角であって、その後凋落した「電機産業」の内部からの「敗戦の弁」がこの本です。コロちゃんは、興味津々で本書を手に取りました。
1.「日本の電機産業はなぜ凋落したのか」(桂幹 2023年 集英社新書)
本書の著者は、TDKの「記録メディア事業」の幹部として、カセットテープやCD-Rを世界中に売りまくっていました。
著者は、TDKの最盛期と凋落期を、最前線の幹部として経験してきたのです。
当時の、アナログ時代のカセットテープでは、ソニー・マクセル・TDKの日本企業の御三家が、世界市場の8割を押さえていたとあります。
それが、2007年には、TDKは大部分の「記録メディア事業」をアメリカ企業に売却することとなります。
その日本の電機産業の「栄華」と「衰退」を、著者は、事業の最前線ですべて体験してきて、その「失敗の本質」を本書で開陳しているのです。
本書の冒頭は、2015年に「事業撤退」を部下に言い渡す場面から始まります。まさに断腸の思いだったでしょう。
その教訓と考察は、これからの日本経済を考えるにあたっても、多くの示唆を与えてくれるものだと、コロちゃんは思いました。
2.五つの大罪
著者の父親は、同じ電機業界のシャープの副社長として、日本電機産業の最盛期のトップマネジメントをけん引した人物だそうです。
著者は、自らの経験と、その父との対話を通して、日本企業の衰退の原因を「五つの大罪」としてまとめています。
①誤認の罪
1980年代の最盛期から、その後の凋落まで、世界で何があったかというと「デジタル化」です。
アナログ時代の主役は、レコードとカセットテープでした。それが「デジタル時代」になると、CDやCD-Rに置き換わります。
その対応の違いで、高付加価値・高性能・高品質に走った日本と、安価でほどほどの製品を量産した台湾・韓国との違いを具体的に記載しています。
そして、本書では、ブルーレイディスクや半導体メモリーの開発の例を挙げ、「日本企業が、ニーズ(市場での需要)より、シーズ(新しい技術)を優先した誤り」としています。
日本企業が「デジタル化の本質」を見誤っていたのだと断言しているのです。
コロちゃんは、この著者の主張は、今から振り返ってみれば全くその通りだと思いました。
ただ、この「誤認の罪」については、本書では、日本が「デジタル化を誤認」して、台湾・韓国が「デジタル化の本質」を最初から認識していたように書いています。
しかし、それはちょっと違うのではないかと、コロちゃんは思いました。
事業構造として、量産品からチャレンジしていくのは、新興国がキャッチアップする時の定番のやり方です。
先行国と同じ製品概念で競争すれば、後発国は勝てませんから、違うコンセプトで製品開発することも、日本がかつての1960年代からの高度成長期に行なってきたことでした。
第一次世界大戦後の世界市場における日本製品の評判は「安かろう、悪かろう」だったといいます。
日本製品が「高品質」になったのは、高度成長以降だいぶ経ってからです。
そう考えると、この著者の考える「誤認」は、確かに結果的にはあったのでしょうけど、たとえ当時の経営陣が、正確に認識していても避けられなかったものだったのではないかと思いました。
この「原因」は経済発展の法則によるものなのではないのでしょうか。
1980年代の日本の電機産業は、すでに安価な量産品を製造できる諸条件が無くなっていたのではないかと、コロちゃんは思います。
現在では、家電量産品の製造は、そのほとんどが中国で行われています。
製造業が、経済の発展につれて、人件費の安い国へと移転していくのは、経済発展の原則です。
電機産業がデジタル化の洗礼を受けた時に、経営陣が「高付加価値・高性能・高品質」以外の道があったかと考えると、「誤認の罪」ということは、ちょっと酷な気がしました。
②慢心の罪
1979年に一冊の本がベストセラーになります。
「ジャパンアズナンバーワン」
(エズラ・F・ヴォーゲル TBSブリタニカ)
この本は、日本で売れただけではなく、この題名が広く日本国内に広まりました。
日本人の自尊心をくすぐったのです。
周囲からの高い評価は、自己評価を格段に引き上げます。
日本人が慢心して、成功体験から抜け出せなかったことを、著者は経験の中から語っています。
「台湾? 心配いらないよ」
と見くびっていた危機感のなさを告白しているのです。
コロちゃんは、この「慢心の罪」については、この時代の日本人全員に言えるかと思います。
ホントに日本がアメリカを経済力で上回り、アメリカさえも、目下に見る時代になってきたと、多くの人が思い始めていたのです。
ちょうど、今の中国人が経済力に自信を持ち始めて、アメリカをバカにし始めているのと同じようなものかと思います。
下記の引用は、中曽根内閣で通産大臣を務めた「渡辺美智雄」氏の1988年の発言です。
渡辺美智雄「アメリカ人の経済観念に関する発言」
1988年7月に開催された、自由民主党軽井沢セミナーの講演においてアメリカ人の経済観念に触れ、「日本人は破産というと、夜逃げとか一家心中とか、重大と考えるが、クレジットカードが盛んなむこうの連中は黒人だとかいっぱいいて、『うちはもう破産だ。明日から何も払わなくていい』それだけなんだ。ケロケロケロ、アッケラカーのカーだよ」と述べた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%BE%8E%E6%99%BA%E9%9B%84
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典:「渡辺美智雄」最終更新 2023年1月9日 (月) 23:18
ひどい発言ですね。現在では、人種差別で一発アウトのこの発言も、当時はアメリカ全体をバカにする文脈でとらえられていました。
この時点は、ちょうどバブル経済の真っただ中で、日本人は「イケイケ」の高揚の中にいました。
この発言を見ても、1980年代の日本人が「慢心」の頂点にいたのは、電機業界の経営陣だけではないのがわかると思います。
③困窮の罪
本書は、ここで1985年のプラザ合意による円高の招来で、工場の海外移転が進んだことを上げています。
そして、「グローバリズムに飲み込まれ」、「インターネットに乗り遅れ」、企業が困窮していった過程をとり上げているのです。
そして2000年代の「選択と集中」です。当時、この言葉は流行のごとく耳にしました。
いろいろな企業で「選択と集中」が進められ、リストラが繰り返されますが、「縮小再生産」に陥って、肝心の成長の道筋が見つけられない例が続出します。
そもそも、イノベーションとは余裕がなければ生まれないと著者は語ります。
イノベーションと「選択と集中」は親和性が低いというのです。
コロちゃんは、この「選択と集中」の結果は、今後実証研究の必要があると思いました。
2000年代の初頭に、この「選択と集中」が産業界でもてはやされ、その後「選択と集中」によって、一部の企業は「再生」しました。
しかし、「電機業界」においては、逆に「選択の誤り」が続出しました。
このアメリカから来た「選択と集中」を、そのまま日本企業に当てはめて、企業の成長の「魔法の杖」扱いした総括は、いまだ誰も行っていないのです。
本書の著者の「イノベーションは余裕がないと生まれない」との知見は、もっと掘り下げて考える価値がある経験談だと思いました。
と言うのは、最近、イノベーションを「多様性」を結びつけて語られることが多いからです。
GAFAの創業者が、移民やその子から躍り出てきたことは有名です。
先進的なイノベーションが「多様性の中から生まれてくる」の論調は、「余裕がないと生まれない」の説とも共鳴するようにも思われました。
④半端の罪
著者は、ここでグローバルスタンダードの名のもとに、2000年代ごろから導入され始めた「アメリカ流経営」と「日本流経営」についての考察を取り上げています。
昭和の家族主義の「日本流雇用」と、競争原理と成果主義の「アメリカ流雇用」は、対極にあると言っていいほど違います。
その具体例を挙げながら、アメリカ流は「公平性」が重んじられているといいます。
多民族が混在して働いている以上、公平性の担保に重きが置かれているというのです。
翻って、日本企業を見ると、既得権益を持つ者と持たざる者の二層化は顕著で、経営者についても、社員に対する監督に比して、経営者に対する監督は緩く公平性を欠いているというのです。
他にも、正規・非正規・ダイバーシティと、公平性を欠く例は、数多いと語っています。
コロちゃんは、著者の視点は、現場からの正直な感想かとは思いますが、「アメリカ流経営」と「日本的経営」の違いが、日本の電機業界の凋落の原因の一つになったとは思えません。
ただ、国際ビジネス現場からのリアルな感想としては興味がありました。
⑤欠落の罪
ここで著者は、企業の「組織論」を取り上げています。
「ミッション」(社是)
「ビジョン」(中長期目標)
「ストラテジー」(戦略)
「タクティクス」(戦術)
日本企業は、「ミッション」はどこも似たり寄ったりで、「ビジョン」はあいまいだというのです。
「リスク」をとろうとしないから、大きな成功は望めないが、失敗も小さい。
もっと、リーダーが、明快なリーダシップを出せというのです。
コロちゃんは、奥ゆかしい日本人の一人ですから、自分の価値観を声高に叫ぶことに躊躇します。
しかし、巨大組織のトップリーダーともなると、やはり「理念」を語るべきとの主張には賛成します。
ただ、日本人の経営陣のトップは、組織内からの年功序列で上がった老人が多いですから、自分の目指す「理念」があるかどうか疑問の方が多いと思いますね。
3.「敗北」の方が学ぶことは多い
本書は、「敗戦の弁」だけあって、学ぶべきこと、考えるべきことが多く含まれています。コロちゃんは、そのような感想を抱きました。
戦いというものは「勝利」より「敗北」の方が、学ぶことは多いというのが、歴史の知恵です。もっとこのような研究を経営者や専門家もするべきだと思いました。
本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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