おはようございます。今朝コロちゃんがワンコと散歩をしていたら、いつもの散歩コースの横の家で「アジサイ」が綺麗に咲き始めていました。
そこの家では、道路沿いの境にそって、一面に「アジサイ」を植えてあるのですよ。まだ多くは「緑色のつぼみ」なのですが、2輪のみ「赤紫色のアジサイ」が咲いてましたよ。
もうすぐ訪れる「梅雨」と共に、この「アジサイ」も満開となるでしょうね。コロちゃんは「6月の到来」をこの「アジサイ」で感じましたよ。
そんなちょっと「風流の気分」を感じたコロちゃんが、今日は「男子高校の威圧的な校歌指導について➁」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」

コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「男子校の威圧的な校歌指導へのコロちゃんの意見ともやもやと、伝統(高校生自治権)と人権・ジェンダー平等の対立なのか?」
☆「いじめについて社会は大きく変わったよと、ジェンダー平等意識も社会は大きく変わったよ」
☆「ノスタルジーは心地よいけど、社会の変化に対応できないよと、コロちゃんと危険な実験」

1.「男子校の威圧的な校歌指導へのコロちゃんの意見ともやもや」
コロちゃんは、つい先日に「埼玉県の男子高校の応援団の威圧的な校歌指導」についての「ヤフーニュース」の記事をこのブログで書きました。
それは「埼玉県立3男子校」の「校歌指導」で、応援団が新入生相手に「威圧的な校歌指導」があったというものでした。
そのことから「県教育局では、浦和高校の校歌指導が原因で生徒が不登校になり退学した事案を把握」し、その後「威圧的な言動を行なわないことや人権に配慮することを指導した」と報じています。
コロちゃんはこのことを、「校歌指導」で竹刀で床を叩く、近づいて大声で怒鳴る、指名して1人で歌わせることは「いじめ」となると書いていますね。
そして、この「男子高校の校歌指導と称される伝統は時代の変化を考慮しないやり方だ」と、ちょっと辛口の批判をしたのですよ。
特に「男子高校はオールドボーイズクラブの孵卵器だよ」ってのは、ちょっと言い過ぎたかなー?
(´ヘ`;)ウーン
ところが、この後上記した「男子高校」の卒業生である「次男一家家長様」から、以下の感想が寄せられました。
「反論できないもっともな意見だけど、もやもやが残るよ」
「学生自治の範囲が狭くなってきた、社会の余裕がなくなってきたように感じているよ」
「男女共学もオールドボーイズクラブも、その通りだから正面から反論は出来ないけれど・・・」
はぁー、要するに「理屈」ではその通りだけど納得はしていないのね。
(ノД`)ハァ
どうやら、前回のコロちゃんのブログ記事を読んだ感想は「言葉にしにくいもやもやが残る」という感じだったのようですね。
そこでコロちゃんは、今日ちょっと前回の「【社会考】高校男子校の威圧的な校歌指導は伝統なのか?」を、ちょっと深堀りしてみようと考えましたよ。
なお、前回記事の「【社会考】高校男子校の威圧的な校歌指導は伝統なのか?」をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。

2.「伝統(高校生自治権)と人権・ジェンダー平等の対立なのか?」
コロちゃんは、「現在の男子高校の詳細な情報」は知りませんから推測するしかないのですが、どうやら「埼玉県の男子高校では、応援団が新入生に校歌指導を行なう年中行事があった」らしいですね。
しかし、「次男一家家長様」によると、現在ではかつてのような「厳しい指導」ではなく「期間も1週間と短くしたり」といろいろ配慮していたらしいですね。
おそらく「各男子校」では、ずっと以前からこの行事は「応援団の伝統の行事=高校生自治活動」として認められていたのでしょう。
そういう意味ではこの行事は「高校生自治権を内包した男子校の伝統行事」と言えるかと思われます。
ところが「浦和高校の校歌指導が原因で生徒が不登校になり退学した事案が発生したこと」で、この「威圧的な校歌指導が問題」になってしまったというわけですね。
コロちゃんは、これを「伝統行事(高校生自治権)と生徒の人権との対立」という構図で捉えましたよ。
そして、やはり「今回報道された威圧的な校歌指導の3校の全てが男子高校だったこと」にも目を向けましたよ。これは偶然ではないでしょうね。
コロちゃんは、これを「男子校の伝統にはジェンダー平等意識がもともとなかった」と見ましたよ。
このように捉えると「男子校の校歌指導はやりにくくなった。伝統が否定された。学生自治の範囲が狭くなった」との考え方と、「社会の意識」とにずれがあることがわかるのではないかと思われますよ。
次にこのコロちゃんの考えを詳しく書いて見ましょう。

3.「いじめについて社会は大きく変わったよ」
まず冒頭で取り上げた「威圧的な校歌指導」がなぜダメになったのか、許されなくなったのかについてのコロちゃんの考えは、社会が変化したからだと考えています。
そこでまず「いじめの認知件数」から見てみましょう。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出しますね。
「文部科学省 いじめの認知件数の推移」より
https://www.mext.go.jp/content/20241031-mxt_jidou02-100002753_2_2.pdf
出典:文部科学省 令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要より:5月26日利用
上記のグラフは、「こども家庭庁」が発表した「いじめの認知件数の推移」です。下に書き出します。
◎「いじめ認知件数」(100件以下切り捨て)
①「2013年:18.5万件」
②「2014年:18.8万件」
③「2015年:22.5万件」
④「2016年:32.3万件」
⑤「2017年:41.4万件」
⑥「2018年:54.3万件」
⑦「2019年:61.2万件」
➇「2020年:51.7万件」
⑨「2021年:61.5万件」
⑩「2022年:68.1万件」
⑪「2023年:73.2万件」(最多)
https://www.mext.go.jp/content/20241031-mxt_jidou02-100002753_2_2.pdf
(出典:文部科学省 令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要より:5月26日利用)
上記のグラフを見ると、最新のいじめ件数は「⑪2023年:73.2万件」で最多を更新しています。
「高校のいじめ件数」は、上記グラフの添付データによると「①2013年1.1万件~⑪20232年1.7万件」とジワリと増えつづけてきています。
「文部科学省」が、全国の「いじめ件数」を調査し始めたのは1985年からです。それ以前は「いじめ」はほとんど「社会で認識」されていませんでした。
コロちゃんの記憶では、1990年代になるまでは「いじめられる方にも問題がある」との社会認識が一般的だったように感じていますよ。
それが変わったのは、この認識では「いつまでもいじめが減らない」からだと思われますね。コロちゃんは「1993年に起きた山形マット死事件」を思い出しましたよ。
これは「山形県の中学1年生が、用具室に立てて置かれていたマットの中に逆さに突っ込まれ、窒息死していたいじめ事件」ですね。7人の男子生徒が逮捕・補導されています。
当時はマスコミの報道で「いじめ事件」として大きく報道されました。
この事件後は、「いじめられる方にも問題がある」と言う考えでは、いつまでたっても「いじめ」はなくならないと言う「社会の認識」が広く周知されたとコロちゃんは考えていますよ。
しかし、現実を見ると「いじめた方が悪いという考え方」になっても、未だ「いじめ」はなくなっていません。むしろ「いじめ件数」は過去最高を更新しています。
「高校」のデータを見ると、以下でしたよ。
◎「高等学校の全国の問題行動について:2023年」(100件未満切り捨て)
➀「いじめ件数 :1万7600件」
②「暴力行為発生件数:5300件」
③「不登校生徒 :6万8700件」
④「中途退学者数 :4万6200人」
https://www.mext.go.jp/content/20241031-mxt_jidou02-100002753_2_2.pdf
(出典:文部科学省 令和5年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要より:5月26日利用)
上記のように「いじめ問題」について「社会の認識」は大きく変わってきたのです。それでも「いじめ」はなくなっていないどころか増え続けているのですよ。
これによる「社会全体の損失」も大きなものになっていますね。
このような「社会の変化」に、冒頭で取り上げた「男子校の伝統」は「バージョンアップの対応」していたのでしょうか。
コロちゃんは、「男子高校生」が「社会の変化」に自分で気づけと言うのはちょっと無理があると思いますよ。
また「高校側」としても、直接的な「いじめ」には対応マニュアルはあるのでしょうけれど、それまでの「伝統行事」で「不登校・退学者が出る」との予測は難しかったでしょうね。
このようにコロちゃんは、この「応援団の威圧的な校歌指導」が問題化したことを「高校生自治の範囲が狭くなった」とはみていません。
一言で言うなら「伝統(高校生自治権)と人権(いじめ問題)の対立」と見た方が良いと思っていますよ。
だから「伝統(高校生自治権)」を不登校者が出ないように、「人権を尊重したやり方」に変えなければならないと思っているのですよ。
思うに「日本の社会」が、1980代以降大きく変わってしまったことが背景にあると思うのですよ。
そもそも「伝統」がそのままの形で続けられるのは「社会があまり変わらない時代だけ」だと思いますよ。

4.「ジェンダー平等意識も社会は大きく変わったよ」
さて、もう一つの「男子校の伝統にはジェンダー平等意識がもともとない」ですが、これはちょっと考えてみればすぐに気が付きますよね。
「男子校の伝統」が、いつから始まったのかはわかりませんが、間違いなく「昭和時代」でしょう。ひょっとしたら、それ以前からの伝統もあるかも知れません。
その時代に「ジェンダー平等意識」があったはずがありません。
この「ジェンダー平等意識」があると、どこが違うのかというと「弱者の存在」を認めるのですよ。
一般的に「体力・身体能力」では「男性の方が高い」ですよね。今は「フィジカル」っていうのでしょうか。
この「男性に比べてフィジカルが弱い女性」を意識する精神は、常に「弱者がいる社会」を意識することに繋がります。
コロちゃんが育った「昭和時代」は、よく言われる「セクハラ親父の時代」でした。社会の中では「女性」は常に「一段低い者」として扱われてきました。
それが、現在はどう変わったのかというと、180度変わりましたよね。まず「男女雇用機会均等法」が施行されたのは1985年(昭和60年)です。
この法律は「企業における雇用において、性別による差別を禁止し、男女の均等な機会と待遇を確保することを目的」としています。
それからもう「40年」たっています。今では公然と「男女差別」を言う方は誰もいないでしょう。時々本音をしゃべって炎上する方はいますけどね。
そして、ちょっと「選択的別姓問題」も見てみましょう。
「選択的別姓」とは、「夫婦が結婚した後もそれぞれが結婚前の名字を使い続けることを選択できる制度」です。よく「ジェンダー平等の象徴的問題」として言われますよね。
それが現在では「経団連・経済同友会」も「選択的別姓」に賛同していますよ。
コロちゃんの記憶では、世の中で大きくこの「選択的別姓制度」が取り上げられるようになったのは、1996年に「法制審議会」が導入を提言する民法の改正案を国に答申した頃からですね。
コロちゃんは、「昭和の時代」にはまったくそんな話は聞きませんでしたよ。
このように「ジェンダー平等意識」は、日本社会で大きく変わりました。
それでは、このような「社会の変化」につれて、冒頭で取り上げた「男子校の伝統」はバージョンアップをしていたのでしょうか。
コロちゃんは、覗いたわけではありませんからハッキリしたことは分かりませんよ。そもそも「男子校」には「女生徒」はいませんから変わらなくとも気が付かないでしょうね。
ただ、冒頭の「今回報道された威圧的な校歌指導の3校の全てが男子高校だったこと」は、男子のみだけの高校の「伝統」には何か欠落したことがあったと思いませんか。
コロちゃんは、それが「弱者」をも配慮する「ジェンダー平等意識」だと思いましたよ。「男子高校」では気が付きにくかったと思われますよ。

5.「ノスタルジーは心地よいけど、社会の変化に対応できないよ」
さてここでコロちゃんの考えを書きますね。コロちゃんは「伝統」とは「ノスタルジー(郷愁)」だと思っているのです。
「伝統(郷愁)」を背負っていると「精神が心地よい」のですよ。
「伝統の行事」を行なっていると、ほとんどの場合は失敗はないと考えますよね。だって、前年もそのまた前年も同じように先輩たちが行なってきたことなのですからね。
そして「伝統」には「誇り」もありますから、よけい心地よいですよね。だけど、社会は常に変化していますから、いつまでも同じことを続けることが良いとは限りません。
今回の「男子高校の応援団の威圧的な校歌指導」は、その実例だと思っていますよ。
コロちゃんは、「次男一家家長様」から「応援団も配慮していた」と聞きましたが、まだ配慮が足りなかったのでしょうね。
ただ責められるべきなのは、「男子高校教師陣の無感覚さ」でしょう。だって、毎年見ていて何の「発言・指導」もしていなかったと言われても仕方がないですよ。
コロちゃんは、高校生には「責任は一切なかった」と考えていますよ。このような「社会的責任」は、まだ高校生に背負わせるべきではないですよ。

6.「コロちゃんと危険な実験」
さて、今日は「男子高校の威圧的な校歌指導について②」と、前回➀で書き足りなかったことを書いてみました。
今のコロちゃんは、親の立場からの視線で見ちゃって「高校生には社会的責任はない」と偉そうに言ったりしていますが、コロちゃん自身はかつて「危険な遊び」をしていましたね。
今日の「コロちゃん話」は、コロちゃんが「男子高校生」だった1960年代の末ごろの話です。
当時の日本は今のような「管理社会」ではありません。ゆるい社会でしたよ。
当時コロちゃんと仲の良かった3人組がいて、その中のひとりが「授業の休み時間」に窓から「手製のロケット花火」のようなものを放り投げたのです。
この「手製のロケット花火」は、鉛筆のキャップに「火薬」を詰めていたようでした。いくら「休み時間」といえ、「ドガン」と爆発しましたから学校中は大騒ぎとなりました。
だけど、教師が外に出てみても、どこから誰が何をしたのか分からなかったので、直ぐにうやむやになりましたよ。
当時はアメリカが「アポロ計画」で、人類初の「月面着陸」を目指していた時代でした。悪ガキ高校生たちが「宇宙ロケット」に強い興味があった時代だったのですよ。
そこでコロちゃんたち3人組は、自分たちでもっと高い空へ飛ぶ「ロケット」を作ってみようと無謀なことを考えました。上記で「窓」から外に爆発物を投げた1人もいましたよ。
3人で頭を突き合わせて「計画」を立てて、専門店で「塩素酸カリウムの1瓶」ともう一つ「混合剤(なんだか忘れました)」を混ぜ合わせてロケット燃料を作りました。
現在では「塩素酸カリウムの購入」には制限があるようですが、当時は何の規制もなく「高校生」でも「実験に使う」と言えば簡単に購入できたのですよ。
そして「ロケット本体」はアルミ菅を切って、先端は木製で作成しましたよ。全長は15㎝ぐらいでしたでしょうか。
その後に行なったのは「地上での燃焼実験」です。
「ロケット」を台の上に固定して、3人で見守る中で着火しましたところ、計画通り「ブオーっ」と燃え始めたのですよ。
しかし、その燃焼が半分をを越えたところで、いきなり「バン!」と爆発したのです。
ヽ(; ゚д゚)ノ ビクッ!!
いやー、ビックリしましたね。「ロケット本体」のアルミ菅が溶けて粒となって周囲に勢いよく飛び散りました。
仲間の一人のジーパンをはいていた腿に、その「アルミ粒」が食い込んで血を流していましたよ。全員真っ青になって後片付けをして、何事もなかったように元通りにしましたよ。
今振り返ると、なんと「無謀なこと」をやったものだと思いますが、当時は意気揚々と「ロケット制作」に夢中になっていたのですよ。
その後コロちゃんたちの「ロケット熱」はすっかり冷めてしまいましたよ。
大けがしなくて良かったなー。
(*´д`)エガッタエガッタ…
「男子高校生」の中にはこんな「危険な遊び」をするアホな奴らもいたという事で、今日の「コロちゃん話」を締めましょうね。
なお「日本の最初のロケット実験」は、「長さ23㎝、直径1.8㎝のペンシルロケット(1955年:東大生産技術研究所)」とされています。
コロちゃんたちの「手造りロケット実験装置」とさほど変わらない大きさだったのですよ。
なお、コロちゃんたちの「ロケット計画」は失敗しましたが、アメリカの「アポロ計画」は1969年に「アポロ11号」が月面着陸に成功しています。
その時に「ニール・アームストロング船長」が、初めて月面に足を踏み入れ「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という名言を残していますね。
そんな時代だったのですよ。どうぞ時代の雰囲気をお感じくださいね。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします。
(^_^.)
おしまい。

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