おはようございます。今朝コロちゃんが、ワンコとの散歩に玄関を出ましたら、庭の「花壇」に「クリスマスローズの芽がニョキニョキと出ていました。
この「クリスマスローズの花」は、4年前前に亡くなった妻が「好きな花」だったのですよね。
妻は、この花壇で「クリスマスローズ」を、増やしたり「色違いの花」を創り出したりするのが「趣味」だったのですよ。
元気だったころの妻はコロちゃんと車で出かけた時には、必ず「園芸店」に寄って「花の色が違ったクリスマスローズ」を探していましたね。
コロちゃんは、庭と花壇は全部妻に任せていましたから、「花の種類など」はほとんどわからないのですが、この「クリスマスローズ」だけはシッカリと憶えていますよ。
この「クリスマスローズ」って、花の盛りは「冬」なんですよね。それで「秋」になった今頃に「芽」が出始めたのでしょう。
コロちゃんは、庭の「花壇」にろくな手入れはしていませんから、その内にこの「クリスマスローズ」も花を咲かせることが出来なくなるかもしれませんけれど、今年はまだシッカリと咲くようですよ。
下記に「クリスマスローズの芽のフォト」を添付しますね。まぶしいぐらいに「青々」とした芽が土の中から飛び出してきていますよ。
コロちゃんは、この「クリスマスローズの花」が咲く都度に、「亡き妻」の顔が頭に浮かぶのですよね。
その都度に、何とも「やるせない」」と言うか「甘酸っぱい気持ち」が湧き出てくるのですが、今年の冬もまた味わうことができそうだとコロちゃんは思いましたよ。
そんな「おセンチなコロちゃん」が、今日は「あなたは仕事後にご苦労様と言っていますか?」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「部下にご苦労様が減ったって?と、高齢になるほど挨拶をしているよ」
☆「お疲れ様の言葉は人間関係の潤滑剤だよと、嫌いな相手には内在的論理を想像するといいよ」
☆「コロちゃんと話芸の名手」

1.「部下にご苦労様が減ったって?」
コロちゃんが、朝コーヒーを飲みながら新聞をバサバサ読んでいると「部下に『ご苦労様』減少/ありがとうは増加/上下関係を忌避?」との見出しが目に入りました。
コロちゃんは、もう「70代のリタイア老人」ですので「仕事」はしていません。だから「会社での仕事後の挨拶」はもうなくなっているのです。
しかし「はて? 働いていた時にはどうだったかな?」と思いましたよ。
σ( ̄^ ̄)はて?
記事では、「文化庁」が公表した「国語に関する世論調査」によると、以下だったと記載しています。
◎「会社で自分より職階が下の人に仕事後に掛ける言葉」
(小数点以下切り捨て)
①「お疲れさま」
・「2005年度:53%」
・「2024年度:71%」
・「18㌽増加」
②「ご苦労様 」
・「2005年度:36%」
・「2024年度:14%」
・「22㌽減小」
③「ありがとう」
・「2005年度: 5%」
・「2024年度:10%」
・「2倍増」
https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94274201_02.pdf
(出典:文化庁 国語に関する世論調査より:9月28日利用)
うーむ、「➁ご苦労様が22㌽も減った」のね。そして「➀お疲れ様が18㌽増」と「ありがとうが2倍増」となっていますよ。
( ̄へ ̄|||) ウーム
この理由について、記事では以下の2点を挙げていますよ。
◎「ご苦労様が減った理由」
❶「敬語の指針(文化庁2007年)では、ねぎらいは上位者から下位者に向けたものとなるため、目上の人に対して『ご苦労様でした』を用いない方が良い」
❷「社会でハラスメントに対する意識が向上していることも影響」
ふーむ、「敬語の指針」なんてものがあったんだー。知らんかったよ。
(´ヘ`;) フーム
どれどれ、探してみますね。
あーこれだこれだ、あったあった。
m(^._.^)m ドレドレ
◎「ねぎらいと褒めの問題」
➀「御苦労様は、基本的には自分側のために仕事をしてくれた人(配達をしてくれた店員など)に対して 『ねぎらい』の気持ちを込めて用いる表現である」
(なお、このような場合に「お疲れ様」と言うのは不自然である )
➁「ねぎらいは、上位者から下位者に向けたものとなるため、目上の人に対しては 『御苦労様(でした 』を用いない方が良い」
③「お疲れ様は 『ねぎらい』の気持ちを込めて使われる表現ではあるが、一緒に仕事をした後などお互いに声を掛け合うような場合にも多く用いる表現である」
(なお、このような場合に「御苦労様」と言うのは不自然である )
④「そのような状況であれば 『お疲れ様』ではなく『お疲れ様でございました』などを用いるというような丁寧な言い方であればだれに対しても使える表現である」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/hokoku/pdf/keigo_tosin.pdf
(出典:文化庁 文化審議会答申 敬語の指針より:9月28日利用)
うぷぷ、「お疲れ様でございました」だって、そんなの「上流階級の話」じゃないの。丁寧過ぎるよ。
( ◍´罒`◍)ウププ
いやいや、それはともかくとして、この「記事」では「会社の就業後の挨拶」に「お疲れ様が18㌽増」と「ありがとうが2倍増」となっていると報じていますよ。
そして、この状況を「目下の人に対して『ご苦労様』と言う言葉を使った瞬間に『自分が上であなたが下』とのメッセージを伝えてしまうと考え、避ける人が増えた可能性がある」としていますよ。
つまり「上下関係を忌避?」と解釈しているのですよ。
うーん、「部下」に「ご苦労様」と言ったら「マウント」を取られたと「部下」が感じるってことですか?
( ̄へ ̄|||) ウーン
だから、最近は「ご苦労様」が減って「お疲れ様」が増えたってこの記事では言っているのですよ。
面白いですよね。「挨拶の言葉一つ」で、「社会の人間関係のあり方の変化」を考察しているのですからね。
コロちゃんは、いつも「仕事が終わった後」には、元気な声で「お疲れさまー!」って叫んでいましたよ。なんか「ご苦労様」ってちょっと暗くない?
(*。_。)⁾⁾ゥンゥン
それに「仕事後にありがとう」って、これも「なんか違う」ような感じがしますよね。まあコロちゃんは「役職者」ではありませんでしたから、目下というのは年齢だけでしたね。
コロちゃんは、この記事を読んで、ちょっと過去のコロちゃんの会社などでの「上司や同僚との付き合い方」を書いてみようと思い立ちましたよ。
なお、この「日経新聞」の「部下に『ご苦労様』減少/ありがとうは増加/上下関係を忌避?」の見出しの記事をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。


2.「高齢になるほど挨拶をしているよ」
次にちょっと、「世の中の年代別の挨拶の様子」を調べてみましょう。
現在のコロちゃんは、ワンコの散歩中にワンコ仲間と挨拶を交わすぐらいになってしまいましたが、かつて働いていた「現役時代」にはやたら「挨拶」をしていましたよ。
そこで世の中の「年代別の挨拶の頻度」は、以下でしたよ。
◎「挨拶をどの程度しているか?」
(挨拶を良くしている+ある程度している合計)
(小数点以下切り捨て)
➀「20代:58%」
➁「30代:62%」
③「40代:69%」
④「50代:79%」
⑤「60代:84%」
https://www.cross-m.co.jp/report/trend-eye/20240321greeting
(出典:クロスマーケティング社 挨拶に関する調査より:9月18日利用)
おー、やっぱり「年代」が上がるほど「挨拶」をしていますよ。
(o゚Д゚)オー
コロちゃんが自分自身を顧みると、「年代」が上がるほど「挨拶」をするようになったように思いますよ。
だって、「挨拶1つ」で「人間関係」がスムーズに廻るなら「挨拶した方が良い」じゃないですか。「言葉一つ」で済んで「お金」はかかりませんしね。大した手間はかかりませんよ。
ただこんな考えに至るのは、高齢になって「ずうずうしく」なってからかもしれませんね。コロちゃんだって「20代の頃」には「相手の人間の好き嫌い」はハッキリしていましたよ。
次にコロちゃんの「仕事が終わった後のお疲れ様」について書いてみますね。

3.「お疲れ様の言葉は人間関係の潤滑剤だよ」
今でこそ「自宅の居間でブログをポチポチしているコロちゃん」ですが、かつてはちゃんと「会社勤務のお仕事」をしていましたよ。
その頃を思い出してみると、「仕事の終了時」には必ず周囲の「上司・同僚・先輩・後輩」には「お疲れさまでした、お先に失礼します」と丁寧に挨拶言葉をかけていましたよ。
この言葉は「目上・目下」限らずでしたよ。ただ「後輩」には、最後の言葉は「お先にね」で済ませることもありましたけれどね。
その時のコロちゃんの考えは、「どんな言葉」でも交わせば「人間関係がスムーズになる」と思っていましたね。
これは「コロちゃんの考え」なのですが、「相手に影響力を持つため」には「対面した言葉の量が重要だ」と思っていたのです。
つまり「どんな会話でも良い」のですよ。「天気が良い・悪い」でも良いし、「昨日巨人が勝った・負けた」でも良いのです。意識して「会話」を繰り返すことが大切ですよ。
対面で相手と「一言・二言話す回数と総量」が、多ければ多いほど「相手は自分に好意を持つようになる」というのがコロちゃんの考えでしたよ。
だからコロちゃんは、「イヤな相手」ほど「言葉をかけて様子を見る」ことも意識して行っていましたね。
ただ、「こりゃダメだ」と感じた時には、もう2度と声をかけませんでしたけれどね。
ですからコロちゃんは、「嫌いな上司」ほど「丁寧に挨拶」をしていましたよ。それこそ「馬鹿丁寧に」ですよ。
こんな時のために「慇懃無礼※」という言葉があるのですよ。
(※慇懃無礼:態度や言葉が丁寧過ぎて、かえってそれが無礼になってしまうさま」
そうなんですよ。いくら「無礼」でも「言葉は丁寧」ですから責められることがない便利な言葉の使い方が「慇懃無礼」だとコロちゃんは考えていますよ。

4.「嫌いな相手には内在的論理を想像するといいよ」
上記のように「現役時代」は、「朝と就業後のご挨拶」は欠かさなかったコロちゃんでしたが、それでも数は少なかったですけれど、「どうしても嫌いな上司」や「同僚」がいましたね。
コロちゃんは、根が小心者ですから「上から目線」を露骨に出してくる「上司・先輩など」には、ほとんど本能的に反発を憶えるのですよ。
だけど「社会や会社」では、そんな輩が必ず1人や2人はいますよね。いちいちそんな相手に対して「反発してケンカ」をするわけにはいきませんよね。
そんな時にコロちゃんは、「相手の内在的論理は何か?」を頭の中で考えていましたよ。
この「内在的論理」とは、コロちゃんが「知の巨人」と呼ばれる「作家の佐藤優氏」の本で知った言葉ですが、「相手の考え方を相手の立場から考えて理解しよう」とするものです
例えば「ロシアのウクライナ戦争の理由」を「プーチン大統領の立場に立って理解する」ようなものですね。
他からはどんなに「非難される酷い行ない」でも、実行者には必ずそれなりの「正当性な論理がある」と考えるところから始まります。
これを「気に入らない職場の上司」に当てはめると、「無理な業務指示」にも「上司には部下に指示せざるを得ない何らかの内在的論理がある」と想像できるようになります。
それは「もっと上からの指示によるもの」かも知れませんし、また「昨夜の夫婦喧嘩で虫の居所が悪かっただけ」かも知れません。
しかし、その「内在的論理を想像している」と、目の前の「うるさい上司」にも耐えられるというのが「コロちゃんの現役時代の生き方」でしたよ。
こんなコロちゃんにとって、「朝のおはようございます」と「終業後のおつかれさまでした。お先に失礼します」の挨拶は、言葉一つで「良い評判が得られる」お得な行為だったと考えていますよ。

5.「コロちゃんと話芸の名手」
さて今日は、「あなたは仕事後にご苦労様と言っていますか?」をテーマに、「ご苦労様」と「お疲れ様」の挨拶について考察してみました。
その中でのコロちゃんの「挨拶論」と「人間関係論」はご愛敬ですよ。ちょっと感じたことを遠慮なく書いてみました。
コロちゃんは、上記した「世渡り術」で長い「会社人生(約40年間)」を過ごしてきましたが、これらの手法でうまく泳ぎ切ったと考えていますよ。
もし皆さんが読んで、少しでも参考になれば嬉しいですよ。
最後の「コロちゃん話」ですが、コロちゃんが「40代の頃に出会った話芸の名手」について書いてみますね。
コロちゃんは長く生きている高齢者ですから、今までに「いろいろな人間」を見てきています。
その中には「職場の上司」も数多くいますし、「サークルのリーダー」や「グループのリーダー」にもたくさん出合ってきました。
しかし、それらの中で「すごいなー」と感じたリーダーは、コロちゃんが「40代」の頃に出会った「ボーイスカウト隊」の「団委員長」でした。
時代は「1990年代」の「バブル」が崩壊した後の頃でしたよ。
「ボーイスカウト隊の成人リーダー」は、全て「小・中学生の父兄」で構成される「ボランティア」で運営されています。
「団委員長」は、その「各隊の成人リーダー」をまとめて「小・中学生のボーイスカウト隊員の活動の支援」をするのが役目なのです。縁の下の活動ですよね。
コロちゃんは、この頃に「ボーイ隊のリーダーと団委員」を務めていましたから、この「団委員長」とは10年間に渡ってお付き合いしましたよ。コロちゃんとほとんど同年代の方でしたよ。
そこで「感嘆した」のは、この方は「話芸が上手い」のですよ。
「小学生のカブ隊の夏のキャンプなど」には「30代の母親」が付き添うことが多いのですが、夜の懇親会などで彼が話し出すと、いつも「母親グループの笑いが絶えない」のです。
もちろん「真面目な話」もシッカリできる方でしたよ。
当時の「40代のコロちゃん」には、若い「30代の母親たちを笑わせるような話」はとてもできませんでしたよ。まあ「70代」になった今でも同じですけどね。
コロちゃんは、この時の「団委員長」は今までに見てきた「グループリーダーの中でピカ一に話が上手いヤツだ」と思いましたよ。
ただ「各隊の隊長会議」などでは、そこにいないリーダーの欠点を揶揄して「笑いを取ること」もする方でしたね。
コロちゃんは、その点はちょっと「好きにはなれないな」と感じていましたけれど、それはこの「団委員長」の「話芸の光と影」だったのでしょうね。
その場にいないと何を言われているかわからないのですよ。自分が「笑いのネタ」にされているのかも知れないと思いましたよ。
ただ、その時のコロちゃんは「世の中は広いな、凄い人間はどこにでもいるもんだな」と心から思いましたよ。
彼に比べれば、「朝の挨拶と就業後の言葉」で「人間関係をスムーズ」に生きようとしていたコロちゃんなどは「赤ん坊のハイハイ」でしたよ。
皆さんの周囲には、皆さんが「感嘆するような方」はいらっしゃいますか?
いないとしても、まだ出会っていないだけかもしれませんよ。そんな目で周囲の人間を観察していると、人生が楽しくなるかも知れませんよ。
今日の最後のコロちゃん話は、長いこと生きていたら「こんな人もいたよ」という経験談でしたよ。少しでも皆さんのご参考になれば嬉しいですよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。

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