【社会考】あなたは「安楽死」をどう考えますか?

社会

おはようございます。昨日のことですが、コロちゃんは週に1回の「訪問リハビリ」の日だったのですよ。

訪問していただくのは、「作業療法士」のお兄さん(多分30代)ですね。毎週「水曜日」の午後1時30分に来ていただいて、時間は40分間ですね。

そして、この「訪問リハビリ」でコロちゃんが支払う料金は「月¥2200円」です。

コロちゃんの支払いは介護保険で「10%負担」ですから、事業所に支払われるのは「2.2万円」となりますね。

コロちゃんは「介護保険」のありがたさを実感していますよ。

この「リハビリのお兄さん」が言うことによると、コロちゃんの「背骨の状態」は以下の様だというのです。

コロちゃんの圧迫骨折は「胸椎12番と腰椎1番」で潰れていますが、今の状態は「胸椎8番」が引っ込んでいますね』byリハビリのお兄さん

『圧迫骨折した場所をかばうために、周囲の筋肉が引っ張られて「胸椎8番」に影響が出ているのかも知れませんね』byリハビリのお兄さん

うーむ、コロちゃんは自分では「胸椎・腰椎の変形」はわかりませんが、「痛い」のは分かりますよ。それでどうすりゃいいの?
( ̄へ ̄|||) ウーム

『以前に理学療法士さんから指導された、両肘を背中側について上半身を持ち上げるストレッチをしたらよいと思いますよ』byリハビリのお兄さん

ふむふむ、あー、そんなこと言われたこともあったなー、良し今日からそのストレッチをやってみよう。
(*。_。)⁾⁾フムフム…

コロちゃんは、今の「腰痛」が改善するならば、何でもやってみるつもりなんですよ・・・3日間は。

今日は「あなたは安楽死をどう考えますか?」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「イギリスで安楽死法案が可決されたってと、安楽死・尊厳死は認められていないよ」

☆「安楽死を巡る裁判の例を見るよと、コロちゃんは安楽死はイヤですよ」

☆「死生観が時代の流れで変わったよと、親の死生観と子の死生観」

☆「コロちゃんと終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」

1.「イギリスで安楽死法案が可決されたって」

コロちゃんが、新聞の電子版をポチポチと読んでいると「英下院、安楽死法案を可決/国民7割以上が支持」との見出しが目に入りました。

コロちゃんは、60代に「大腸がんと悪性リンパ腫」の二つの「がん」を患い、一時は「死を覚悟」したことがあります。

また「妻」は、「肺がん」で2年間の「闘病・介護」の後に世を去りました。

だからコロちゃんは、「安楽死法案」を読んで、例え外国のイギリスのことであっても、あまり「他人ごと」とは思えなかったんですよ。

そんな気持ちで読んだ記事は、以下の内容でした。

「11月29日に英議会下院は、終末期患者に安楽死を認める法案を可決した。成立には下院の委員会や上院の審議を経る必要がある」

「世論調査では英国民の7割以上が支持している。安楽死はオランダやスイス、カナダなどで合法になっている」

ふーむ、イギリスでは「安楽死」が合法になるかも知れないんだ?
( ̄へ ̄|||)フーム

確か「日本では安楽死はダメだった」よね、コロちゃんが自分の安楽死を考える前に、ちょっと「日本の事情」を調べてみましょうね。

2.「安楽死・尊厳死は認められていないよ」

コロちゃんがポチポチ調べてみると、「日本では、安楽死・尊厳死は認められていない」となっていますね。

それでは、その「安楽死・尊厳死」はどう違うのでしょう? 下に書き比べてみますね。

◎「安楽死と尊厳死」

➀「安楽死」
・「定義:医師が薬物を投与して患者の死期を早める事」
・「目的:回復の見込みのない病人を苦痛から解放するための人為的な死」

➁「尊厳死」
・「定義:治療不可能な病気にかかって、意識を回復する見込みがなくなった患者に対して、延命治療を中止すること」
・「目的:過剰な延命措置に頼らず、人としての尊厳を保った状態で死を迎えること」

うーむ、これを読むと「安楽死は医師に殺してもらう積極的な死」で、「尊厳死は延命治療を拒否する消極的な死」とコロちゃんは思いましたよ。
( ̄へ ̄|||) ウーム

それで「日本では両方ともダメ」なのね。

たとえ「本人が望んでいて」も、「死を援助する行為は自殺関与・同意殺人罪(刑法202条)」に該当するし、「死を望んでいなかった時は殺人罪(刑法199条)」に該当するかも知れないようですよ。

だけど「治る見込みがなくなった後に苦しむが続く」となると、コロちゃんだったらどうするかなー?
(。・_・?)ハテ?

コロちゃんは、もう「こらいまれ年代」ですから、なんか「他人事じゃない」よね。絶対その内に「自分事」となってきますよ。もう少し調べてみましょうね。

3.「安楽死を巡る裁判の例を見るよ」

今まで「安楽死や尊厳死」をほとんど考えて来なかったコロちゃんが、今ここで専門的な意見などを言うことは出来ません。

しかし、世の中の大多数の若い方よりは、「彼岸に近い場所にいるこらいまれのコロちゃん」として、ちょっと「安楽死を巡るあれこれ」を取り上げてみましょう。

ネットで「安楽死・裁判」とポチポチすると、必ず出てくるのが「東海大学安楽死事件」でした。

この「事件」は、1991年に「東海大学医学部付属病院」において、昏睡状態の「末期がんの患者」に対し家族の強い要望で、薬剤投与で死亡させた事件です。

医師は「殺人罪」で起訴されて、「懲役2年、執行猶予2年の有罪判決」を受けて確定しています。

その判決文では、「医師による積極的安楽死」として許容されるための「4つの条件」を挙げています。下記ですね。

◎「医師による積極的安楽死として許容されるための条件」

➀「患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること」
➁「患者は死が避けられず、その死期が迫っていること」
③「患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと」
④「生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること」

その上でこの「事件」では、「患者が昏睡状態で意思表示ができず、痛みも感じていなかったことから➀④を満たさないとした」としていますね。

うーむ、確かに本人に意識がなければ「苦しんでいる」とは言えませんね。そして「患者の明示の意思表示」もあるわけがないとなっちゃいますね。
( ̄へ ̄|||) ウーム

だけど、もしコロちゃんが当事者だったら・・・うーん、意識がハッキリしていたら、自分でうっかり「もういいよ」言っちゃうかも知れませんね。
ヾ(゚д゚;)ア.イイヨ

だけど、医者や家族から「そろそろどうですか?」と言われるのはちょっとイヤですね。

4.「コロちゃんは安楽死はイヤですよ」

コロちゃんは、ちょっと考えてみたのですが、「医師が薬物を投与して死期を早める安楽死」と言う行為を、患者本人は「正常な状態で判断できる」のでしょうか?

コロちゃんは、60代の時に「大腸がん」と「悪性リンパ腫」に罹患して、それぞれ「抗がん剤治療」を受けましたが、2回とも「ヘロヘロ」になりましたよ。

そんな「体力・気力が衰えた」時に、もし「楽になりますよ」と言われたら返事はどうなるかわからないように思いますね。

コロちゃんは、そもそも「健康で正常な時」でも「人間の判断能力」と言うものを、あまり信頼していないのですよ。

人生のいろいろな局面で、判断をしなければならない時に、立場が上位の人から「あなたのためにはこれがいいよ」と強く言われたら、拒否できない方は一定数いるのではないでしょうか。

もちろん、上記の例は「安楽死」のような「究極の選択」ではありませんが、それでも「人間とは簡単に人の言葉に影響されるものだ」とコロちゃんは思っていますよ。

そして、何となく「安楽死」が世の中に受け入れらていくと、「日本人」ってシステムづくりが巧みですから、その内に「病院内に安楽死システムが完備される」なんてことになりませんか。

例えば下記のようにです。

◎「コロちゃんが考える安楽死システム」

➀「医者がもう治らないと判断」⇒
➁「家族の同意と受け入れ」⇒
③「本人への説得と納得」⇒
④「実行」

こんなのイヤでしょう。
ヾノ´ °Д°)ヤダヤダ

だって「医師」だって間違うこともあるでしょうし、患者に回りから「無言の圧力」があるかも知れないじゃないですか。

まあ、こんなことは現実には起こらないでしょうけど、コロちゃんは「尊厳死」はまだ議論の余地はあるかと思いましたが、「安楽死」はちょっとヤダなと思いましたよ。

5.「死生観が時代の流れで変わったよ」

コロちゃんは、1960年代に「少年時代」をすごし、1970年代に「青年時代」を生きてきました。

コロちゃんは、その当時と現在の多くの方々の「死生観」は、ずいぶん変わってきたのではないかと考えているのですよ。

上記の「安楽死と尊厳死を巡る議論」には、そのような「死生観の変化」が背景にあるのではないかと、コロちゃんは考えているのですよ。

なぜ、その「死生観の変化」が起きたのかと言うと、コロちゃんは「高齢者を取り巻く状況の変化」に目が行きますよ。下記ですよ。

➀「平均寿命が大幅に伸びたよ」

1960年代頃の「高齢者」は、仕事を60歳でリタイアした後には、子どもの世話で「老後」を生きました。

「国民皆年金」が実現したのは1961年です。それ以前は大部分の国民には「年金の恩恵」はありませんでしたから、子どもの世話になるしかなかったのです。

その「老後の期間」も、今と比べればずいぶん短い年数です。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出しますね。

「内閣府 平均寿命の推移」より

https://www8.cao.go.jp/kourei/kou-kei/24forum/pdf/tokyo-s3-2.pdf
出典:内閣府:高齢化の状況:平均寿命の推移より(12月21日利用)

上記のグラフは、「内閣府」が発表した1950~2060年の「平均寿命の推移」です。2010年以降は推計値となっています。

上記の1960年との「平均寿命」を下に書き出しますね。別に調べた直近の2024年の「平均寿命」と比べてみましょう。

◎「1960年と2024年の平均寿命」

➀「男性」
・「1960年:65歳」
・「2024年:81歳」※

➁「女性」
・「1960年:70歳」
・「2024年:87歳」※

(※厚生労働省:令和5年簡易生命表より)

上記を見ると、1960年から2024年の64年間の間に「平均寿命」が、「男性16歳・女性17歳」も延びています。

この年数は、すなわち「老後期間の長期化」です。

1960年代当時の男性は、退職後は「子どもの世話」を受けながら、老後期間は5年ほどで終わる方が多く、女性は夫が亡くなった後、それから5年程で亡くなることが多かったようでしたね。

➁「高齢者は自宅で亡くなったよ」

そして、コロちゃんが考える「死生観の変化」となった背景のもう一つの理由は、「死亡場所の推移」です。

1960年代の多くの高齢者は「自宅で亡くなっている」のですよ。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出しますね。

「厚生労働省 死亡場所の推移」より

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000105vx-att/2r98520000010l2r.pdf
出典:厚生労働省 参考資料 死亡場所の推移より(12月21日利用)

上記のグラフは、「厚生労働省」が発表した1951~2009年の「死亡場所の推移」です。

濃い青線グラフが「自宅死亡」ですが、1951年には「82.5%」です。当時は大部分の「高齢者が自宅で亡くなっていた」のですよ。

下に、コロちゃんが調べた1960年と2020年の「死亡場所の割合」と書きますね。

◎「1960年と2020年の死亡場所」(小数点以下切り捨て)

➀「1960年」※
・「自宅:70%」
・「病院:18%」

(※厚生労働省:死亡の場所別にみた死亡数・構成割合の年次推移より)

➁「2020年」※
・「自宅15%」
・「病院68%」

(※厚生労働省:人口動態調査2020より)

上記のように「1960年」に「自宅で亡くなった人は70%」で、「病院で亡くなった人は18%」でしたが、60年後には、真逆になっています。

「2020年」には、「自宅で亡くなった方は15%」で「病院で亡くなった方は68%」と激増しましたね。

この結果が、多くの方々の「死生観」にどのような影響をもたらしたのでしょうか?

6.「親の死生観と子の死生観」

コロちゃんは、「1960年代と2020年代の死生観の変化」をいろいろ考えましたが、このような「価値観の変化」を言葉で表すことは難しいですね。

それでも、考えながらちょっと深く掘り下げてみましょう。

➀「若い方たちは死が実感できなくなった」

これはコロちゃんの見方なのですが、「自宅死」が少なくなった結果として「死」を自分事として考えることが薄くなってきたのではないかと思うのですよね。

コロちゃんの「高祖母(祖母の母)」は、自宅で亡くなっています。当時小学生だったコロちゃんは、朝学校へ行き、帰宅時には亡くなっていました。

当時の小学生のコロちゃんは、その時に大変なショックを受けて「大泣き」しましたが、そのように「1960年代」では「死は身近なこと」として受け入れられていたのです。

この様な幼少時の体験をしますと、高齢になったら「死を自然の流れとして受け入れる」と言う感覚がコロちゃんにはありますね。

だからコロちゃんは、「親世代」は「死」を高齢なったら誰しもが迎えるものとして「医療で延命すること」に消極的になることが多いのではないかと思っていますね(※)。

(※コロちゃんだけの事かも知れません)

簡単に言えばコロちゃんだったら「もうそろそろいいや」と考えやすいということですね。

その点、「子世代」は「近親者の死」に立ち会う機会が減った結果、「リアルな死」をイメージできず、「親の延命治療の前で迷いに迷う」となっているのではないかと思いましたね。

➁「長い老後にどう向き合うのか?」

上記で見てきたように「1960年代の高齢者」は、そんなに長い老後がありませんでした。そもそも「自宅死」が多かった当時では、「延命治療」自体が無かったかも知れませんね。

それが「60歳」で退職した後に、30年近くに及ぶ「老後生活」があるかも知れない現在では、コロちゃんたち高齢者には「長い老後とどう向き合うのか」と言う課題があります。

今のコロちゃんには、「長い老後に戸惑い」がありますね。だってコロちゃんの子ども時代には、ほとんどの「高齢者の老後」は今より短かったのですからね。

コロちゃんは、こんな問題を他の高齢者と話したことがありませんからわかりませんが、「親世代」のかなりの方が、コロちゃんと同じく「長い老後に戸惑い」を感じているのではないでしょうか。

まあコロちゃんは、いつ逝くことがあっても良いと思っていますね。もう人生でやるべきことはほとんど終えましたから、後は「余話として」少し楽しもうと考えています。

しかし、その「長い老後にどう向き合うのか?」と言う問いは、「子の世代」にも問われています。

「自分の親の長い老後とどう向き合うのか?」ですね。

なにしろ若い方によっては「20~30年間」の「親の老後」があるのですからね。

コロちゃんは、今の若い方は「医療の力」を過大に考えているように思えますね。「悪くなったら医療で元に戻る」との考えですね。

だけど「医療」が進んだ現在でも、「高齢化」は疾病ではありません。人間誰でも「高齢になればいずれ死ぬ」のです。

コロちゃんにとっては「高齢者はいずれ死ぬのが自然の流れ」なのですよ。

それに「親の長い老後」を重荷と感じている方も多いのではないでしょうか。何しろ現在では「老々介護」が問題になるのですからね。

この「口に出しにくい親の長命」には、「親子の距離を保つ」のがお薦めですよ。

コロちゃんは「人間の自立」を大切に思っていますから、親子と言えども「適度な距離が良い」と考えています。

そう考えていれば、今の若い方が「高齢の親の延命の場」に立ち会うような時に、ちょっとは気楽に対処できるのではないでしょうか。

「親子と言えども別人」なのですから、「親の延命治療」などは「親の意思」を早いうちに聞いておくのが良いと思いますよ。

なお上記の「死生観」は、必ずしも「親世代・子世代」でくくられるものではなく、個人的な価値観に左右されますから、コロちゃんの視点は「世代全体の傾向」とお考え下さいね。

7.「コロちゃんと終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」

いやいや、今日の「あなたは安楽死をどう考えますか?」ってテーマは、ムズイですよ。コロちゃん程度のおじいちゃんが、こんな「形而上的なテーマ」は、無理ですよ。
ムリ(゚ロ゚)ムリ(゚ロ゚)ムリ

今日は「あなたは「安楽死」をどう考えますか?」と題して、ちょっとコロちゃんには「高度過ぎるテーマ」に挑戦してみました。

皆さんは、どうお考えでしょうか。このような話題はを考えることは、あまりないと思いますが、たまにはちょっと思考を向けるのも良いかと思いますよ。

上記したようにコロちゃんは、「安楽死」を医者に判断されるのはイヤですけど、「延命を目的とした治療」はして欲しくないですね。

コロちゃんは、60代の時に「大腸がん」に罹患した時に「エンディングノート」を作成して、その中に「終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」も書いているのです。

最後にこのコロちゃんの作成した「終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」をご紹介して終わりますね。以下ですよ。

●「終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」

私はこれまでの人生を、私なりに一生懸命生きてきました。ですから、私の人生が終わるとしても、決して悔いはありません。

私が終末期となり、意識を失うような状態におちいったり、あるいは、たとえ呼びかけには応じても、意識は朦朧としているような状態になった時には、以下の様にしてください。

もし、私が自分の力で呼吸が出来なくなったら、人工呼吸器をつけないでください。

人工呼吸器がつけられ、これで呼吸をしている場合は、人工呼吸器をつけてから48時間たっても、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器を外してください。

たとえ自発呼吸がある場合でも、もし意識を失ったり朦朧となってから、48時間たっても意識が戻らなかったり朦朧状態が続いていたら、点滴も栄養補給も止めてください。

もし、私の意識状態に明らかな回復徴候が見られる場合には、さらに24時間待っていただき、その時点で私の意識が戻っていなかったり、朦朧状態が続いていたら、点滴も栄養補給も止めてください。

意識の判定は厳密にしていただく必要はありません。呼びかけても声を出して答えなくなったら意識は無くなっていると判断してください。

また、点滴と栄養補給を止めた後、私が自分の力で飲み食いできる状態にないのなら、無理に飲ませたり食べたりしないでください。

ましてや、鼻管を入れたり、胃瘻をつくったりは絶対にしないでください。そうなったら、昇圧薬も輸血も人工透析も血漿交換なども止めてください。

もし、私が苦しがっているようであり、その状態を緩和していただける治療をしてくださるのなら、喜んでお受けいたします。ただし、昇圧薬や脳圧低下薬などの延命のための治療は止めてください。

私の命を長らえる為に努力をしてくださっている、お医者さん、看護師さんや医療スタッフの方たちには、心から感謝しています。

努力してくださっている方たちには、大変申し訳ありませんが、どうか私の意思を尊重してください。

私は、この終末期医療についての私の意思表明書を、意識も清明で、書いている内容を十分理解している状態で書いています。どうか私の意思を尊重してください。

202○年○月○日

埼玉県○○○
○○ ○○

上記の文章は、コロちゃんがネットの中から探し出したものに、ちょっと手を加えて作成しました。

コロちゃんは、この文書の作成時に介護保険の「看護師さん」にもお伺いしましたが、この「終末期の医療・ケアについての意思表明書(リビングウィル)」の全国共通のフォーマットはないそうです。

ただ「病院」によっては「書類」を準備しているところもあると伺いましたね。

これがコロちゃんの「最後の時」に向けた準備ですよ。あとはいつ逝ってもいいかな?
(* ̄▽ ̄)ノ~~バイバーイ♪

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

Evgeni TcherkasskiによるPixabayからの画像

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