【社会考】なぜトランプ大統領は生まれたのか?──アメリカ建国250年の「共和制と民主制」の物語を考える

【社会考】
イラストは生成AI(ChatGPT)で作成したものです

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

①「アメリカでは、今共和制の復権が起きているんだって」

②「民主主義と共和制はどこがどう違うのか?」

③「日本の戦後民主主義は、アメリカの民主制の継承者だよね」

④「格差の存在は民主制に巣くった悪癖か?」

⑤「日本は共和制には進まないけど、民主制の格差の悪癖は広がりそうだよ」

⑥「コロちゃんと自由と民主主義の子育て」

1.「アメリカでは、今共和制の復権が起きているんだって」

コロちゃんが、朝コーヒーを飲みながら新聞をバサバサ読んでいると「建国250年の米国①/せめぎ合う民主制と共和制」との見出しが目に入りましたよ。

これは「松原宏之立教大学教授」の「経済教室」の「論考」です。

コロちゃんは、アメリカのトランプ大統領の強烈なキャラクターに「辟易する思い」を持っていましたが、この「経済教室の論考」では、ちょっと違った視点から「アメリカを分析」しているのです。

それは「建国250年の歴史の大きな流れの中」で、現在の「アメリカの政治制度」を分析しています。

「松原教授」は、「初期米国」から「現在の米国」までの歴史の流れの中で、「米国」は以下のように変遷してきたというのですよね。

◎「米国における共和制と民主制のせめぎ合い」

①「建国時の主導権の争い」
 ・「共和制」(少数の富裕層が指導する※)
  (日銭の心配をせずにすむからこそ国政を担うだけの教養も徳も磨ける)

(※松原教授の歴史分析上の説明)

 ・「民主制」
  (政府は小さく、無数の市民結社や教会団体が社会の多くを担った)

②「市民は共和制の問いに応答を迫られた」
 ・「『百姓のおやじや八百屋のおかみ』に政治が分かるか。何より誰かに指示されずに自由で独立した存在でいられるのか」

 ・「産業化の進展で零細な農家、工房、商店は苦しくなった」

 ・「窮した彼らは奴隷・女性・移民・貧者と比べることで、自分たち白人中産階級男性の自由と自立を担保しようとした」

③「民主制は、共和制の階層的な秩序感に飲み込まれていく」
 ・「共和国で地位を得ようとした市民は、自分の自由と自立を、誰かを踏み台にして説明しがちであった。民主制に巣くった悪癖である」

④「一大転機が始まる」
 ・「1929年に始まった大恐慌とニューディール体制」

 ・「あふれる失業者を前に、自由な経済活動で公共善をもたらすと豪語してきた富裕層は失権した」

⑤「自由主義経済と政治的民主主義を組み合わせた体制で、米国は20世紀世界の覇権を手に入れた」
 ・「一部の資本家や保守主義者たちは・・・自由な個人からなる米国に、連邦政府がしゃしゃり出てくる異常事態(と捉えた)」

 ・「保守派資本家らが(目指すのは単なる政権交代ではない)、夢見たのは体制転換であった」

⑥「ニューディール体制下で米国が好調な間は、この試みは実を結ばない。しかし1970年代に入って不調をきたすと・・・ついにはトランプ政権を生むことになる現代米国の登場である」

うーむ、実に「壮大な物語」ですよね。
(´ヘ`;)ウーム…

「松原教授」は、現在の「トランプのアメリカ」を「一人の人間のキャラクター」で見るのではなく、「アメリカ建国以来」の「共和制」と「民主制」の「思想のせめぎ合い」と捉えているのですよね。

わかりやすく言うと、下記の構図だと思いましたよ。

◎「アメリカの建国以来の大きな流れ」

①「共和制と民主制のせめぎ合い」
 ・「大地主の少数富裕層」vs「無数の市民結社と教会団体」

②「共和制の勝利」

③「1929年の大恐慌とニューディール政策で民主制に転換、民主制の勝利」

④「米国は20世紀世界の覇権を掌中に」

⑤「その後の経済の不調から共和制の台頭が進む」

ふむふむ、こう見ていくと「2016年のトランプ大統領の登場」は、単なる「フロック(まぐれ)」ではなくて、「①②共和制⇒③民主制⇒④共和制の台頭」という流れの中の「必然だった」と言えますよね。
(σロ-ロ)✧フムフム…

しかし、上記の「百姓のおやじや八百屋のおかみに政治が分かるか」という問いは「強烈」ですよね。現在の「民主主義の弱点」を抉り出しているとコロちゃんには思えましたよ。

だからと言って、「日銭の心配をせずにすむからこそ国政を担うだけの教養も徳も磨ける」のも疑問だとコロちゃんは思いましたよ。

だって「そんなエリートの方々」って、「日本」じゃ「自分の利益を追求する人」がほとんどじゃないでしょうか。「エリートだったら教養も徳も磨ける」ってのは間違っていると思いますよ。

ちょっと、次に「日本の場合」についても考えてみたいと思いましたよ。

なお、この「日経新聞」の「建国250年の米国①/せめぎ合う民主制と共和制」との見出しの記事をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。

建国250年の米国(1) せめぎ合う民主政と共和政 松原宏之・立教大学教授 – 日本経済新聞
来たる7月4日に建国250周年を祝う米国は、いかなるダイナミズムをもっているのか。民主政(デモクラシー)と共和政(リパブリック)のせめぎ合いでとらえてみよう。グラフは「民主政」と「共和政」の2語が、米国刊行の書籍でどの程度使われたかを示す。…

2.「民主主義と共和制はどこがどう違うのか?」

現在の「日本」は、「自由民主主義」と「資本主義経済」と言われていますよね。

コロちゃんは、冒頭の記事で「共和制と民主制のせめぎ合い」を読んだ時に、まず「共和制と民主制」とはどう違っているのかが頭に浮かびましたよ。

「米国」の場合は、「政治」を握るのが「少数(あるいは少人数)の富裕層というのが共和制」で、「無数の市民結社や教会団体というのが民主制」と「松原教授」はまとめていましたね。

ただ「日本」では、「アメリカ」ほど大きな政治的影響力を持つ「市民結社や教会団体」はあまり見られませんよね。

そこでちょっと調べてみると、以下でしたよ。

◎「民主主義(デモクラシー)と共和制(リパブリック)の違い」

①「民主主義(デモクラシー)
 ・「主権が国民にあり、多数決で物事を決める政治のあり方」
 ・「国王がいても成り立つ」

②「共和制(リパブリック)」
 ・「国王がいない、みんなの国」
 ・「憲法や法律に従って代表者が政治を行なう(法治)」
 ・「多数派の横暴を防ぐ仕組み(法律)を重視」

ふーむ、上記を読むと、現在の世界の先進国はこの「①民主主義と②共和制を組み合わせた社会制度」で成り立っているように見えますよね。
( ̄へ ̄|||) フーム

これはコロちゃんの考えですが、日本には「天皇陛下」がいらっしゃいますから、上記の分類では「②共和制:国王がいない」ではないですよね。

この点では「①民主主義」ですが、「②共和制の憲法や法律に従って代表者が政治を行なう(法治主義)」も当てはまります。

だから、「①と②の良いとこ取り」をしているとコロちゃんは思いましたよ。

3.「日本の戦後民主主義は、アメリカの民主制の継承者だよね」

冒頭の「松原教授」の「論考」を読んで、コロちゃんは「日本の現在の政治制度」は「戦後民主主義の延長線上」にあると思いましたよ。

すなわち「論考」の「③1929年の大恐慌とニューディール政策で民主制に転換したアメリカ」が「④「20世紀世界の覇権を掌中に」する過程の中で、「敗戦国日本」に導入されたのが「日本の戦後民主主義」です。

ただアメリカの場合は、「無数の市民結社や教会団体」からの「ボトムアップ」で「民主制」が築かれました。

しかし、「日本の場合」は、戦前までの歴史の中に「アメリカ」のような「大規模な市民結社の伝統」はありませんでしたから、すべて「戦後にトップダウンで導入」されましたよね。

そこで「アメリカの無数の市民結社や教会団体」の代わりになったのが、「全国各地の農業団体」や「経団連・民商などの経済団体」や、更には「労働組合団体など」だったのではないでしょうか。

しかし「戦後80年」を経て、それらの「団体」は軒並み「組織人員や組織率」を減らしています。

その結果「選挙での投票数」も大幅に減らしていますよね。そんなところにも「政治の漂流」が表れているのかも知れませんね。

コロちゃんは、この「視点」から見ると「日本の戦後民主主義」は、「アメリカの民主制の継承者だった(※)」と感じていますよ。

(※コロちゃんの意見です)

しかし、「アメリカ」は冒頭の「建国からの民主制と共和制のせめぎ合い」がありましたから、「経済不況と格差拡大」で「共和制の逆襲(トランプ大統領の登場)」が見られました。

だけど「日本」は、「失われた30年」を経ても「自民党」は政府与党の地位を保っています。

その理由として、「日本」には「アメリカ」のような「典型的な共和制と民主制」の対立軸はほとんど見られなかったから「その復権」もまた見られていないのではないかとコロちゃんは思いましたよ。

4.「格差の存在は民主制に巣くった悪癖か?」

コロちゃんが、もう1つ「冒頭の松原教授の論考」を読んで感じた点は、「格差の存在を民主制に巣くった悪癖だ」と指摘していることでしたよ。

「松原教授」は、「共和制下で、富は良きものであった。豊かさは能力の証で、公共善を担う資質である・・・王政を排し、自由や平等をうたいながらも、米国は貧富の差を許容した社会だった」と書きます。

この頃のアメリカは、まだ「共和制と民主制のせめぎ合いの時代」ですよね。

しかし「産業化の進展で零細な農家、工房、商店は苦しくなった。窮した彼らは奴隷・女性・移民・貧者と比べることで自分たち白人中産階級男性の自由と自立を担保しようとした」と続けるのです。

これって、現在の日本の「物価上昇で生活が苦しくなる中で、より下の貧者を叩く人」を連想しませんか。

「松原教授」は、「共和国で地位を得ようとした自由市民は、自分の自由と自立を、誰かを踏み台として証明しがちであった。民主制に巣くった悪癖である」というのですよね。

コロちゃんは、前項で「日本の戦後民主主義はアメリカから継承した」と書きました。だったら、この「悪癖」も継承しているのではないでしょうか。

「自分の自由と自立を誰かを踏み台として証明」する。これって「蜜の味(※)」だと思いませんか。

(※人の不幸は蜜の味:他人の失敗や不幸を見聞きしたときに密かに感じてしまう快楽を表したことわざ:ドイツの心理学用語:シャーデンフロイデより)

何とも、いろいろなことを考えさせてくれる「論考」だとコロちゃんは思いましたよ。

5.「日本は共和制には進まないけど、民主制の格差の悪癖は広がりそうだよ」

ここでちょっとコロちゃんの考え方を書いてみますね。

今までコロちゃんは、「アメリカ」や「欧州」と「日本」は、みな「自由民主主義で資本主義経済の社会制度だ」と単純に考えていましたよ。

しかし、冒頭の「松原教授の論考」を読むと「なんか違う」とすぐに思いましたよね。

そもそも、「アメリカのテック・ビリオネア」が「政治に大きな力を以て口出しする」ような「政治風土」は「日本」にはありません。

「日本」では「アメリカ」ほど「財界人・企業人」が政治の前面に立つ例は見られませんから、「日本」には「富を得た選良が政治を一手に握る」ような「国民文化」はないと思っていますよ。

そもそも「江戸時代の武士階級」が、「大商人よりも貧しかった」とされるのが日本ですよね。「政治指導者は清貧であれ」が「日本特有の政治文化だ」と思いますよ。

確かに、「百姓のおやじや八百屋のおかみに政治が分かるか」と言われれば、「ちょっと無理だ」と思いますよ。

しかし、それでは「資本主義経済に君臨した成功者」なら「政治の世界でも成功できるか?」となると、コロちゃんは「ジャンルが違うから無理」と思いますよね。

このように「アメリカ」のような「共和制」の歴史や社会文化が乏しい日本では、現在の「アメリカで起きていることが理解できない」のも無理はないとコロちゃんは感じていますよ。

それともう1つコロちゃんが考えたことは、「民主制」には「誰かを踏み台にして自分の自由と自立を確認したがる悪癖がある」という言葉のことです。

コロちゃんは直ぐに、「外国人」や「生活保護者」を「批判・非難する言葉と風景」が頭に浮かびましたよ。

それが単に「個人的な価値観による言葉」というのではなく、「民主制」に構造的にビルトインされているとしたならば、今後の日本ではさらに増えると思われますよね。

その次に待っているのは、「アメリカ」のような「共和制的な価値観」の「少数の優れた人間(エリート)による強権的な政治」でないことをコロちゃんは祈りたいと思いましたよ。

もちろん「日本」は「アメリカ」ではありませんから、そのままのことが起きるとは思えませんよね。

しかし、「社会の風潮」は「格差の存在を許容する方向に動いていく」のではないかと懸念したコロちゃんでしたよ。

6.「コロちゃんと自由と民主主義の子育て」

今日のテーマは、「なぜトランプ大統領は生まれたのか?──アメリカ建国250年の「共和制と民主制」の物語を考える」を考察してみましたよ。

このような「政治制度」について語るには、コロちゃんにはちょっと「荷が重い」のですが、ネタがない・・・ゲフンゲフン。
(´ρ`*).ゲフンゲフン

「思いきって挑戦」してみましたよ。 ほんと、「しょうもないおじいちゃんだ」と笑いながら読んでいただければ嬉しいですよ。

最後の「コロちゃん話」は、コロちゃんって「戦後民主主義を全身で受けて育った青年だった」のですよね。

だから、コロちゃんの「子育て」も「自由と民主主義の精神」が貫かれていましたよ。

今振り返ってみると、コロちゃんって「2人の息子」が思春期から成人になり自立していく過程で、一度も「親子ケンカ」をした記憶が一切ないのです。

コロちゃんは、自分が「田舎の権威主義的な親族共同体」に反発して、「限りない自由」と「自分らしい生き方」を求めて「自立・独立」して生きてきました。

そんなコロちゃんには、「息子たちの生き方」に過度な干渉や誘導はしたくなかったし、とても許されるものではないと考えていたのです。

だからコロちゃんは、「息子たちがある程度の年齢」に達してからは、もう「自主性」に任せていましたね。

ある夜のことです。居間で家族全員がまったりとしていたところ、妻が、「長男」に「明日はテストでしょ。早く2階の自分の部屋に行って勉強でもしたら」と言いました。

「長男」は、「・・・(うるさいなー)」という顔をしながら2階にトントンと階段を上っていきましたよ。

そうしましたら、妻の矛先はコロちゃんに向かってきました。

「あんたが何も言わないから、あの子は全然勉強しない。ちゃんと言ってよ? ほら、2階の電気はもう消えてるじゃない。勉強しないで寝ちゃってるわよ」by妻

あらら、コロちゃんが叱られちゃったよ。コロちゃんは、しぶしぶ言いましたよ。

「あいつも、それなりに頑張っているんだから、あんまり言うなよ」byコロちゃん

そこでひとしきり、コロちゃんと妻が「ギャギャー」会話を交わしていたら、2階から声が落ちてきました。

「みんなだだ聞こえなんだよ。うるさいなー!」by長男

うんうん、そう言えば「こんなこと」もありましたね。
(*。_。)⁾⁾ゥンゥン

「思春期」になった息子たちには、コロちゃんは「自立・自尊」を認めるやり方を貫いていましたが、今から振り返ってみれば「結果オーライ」となって結実していますよ。

・・・たぶん?
ʅ(。◔‸◔。)ʃ…ハテ?

コロちゃんは、「自分が押さえつけられて反発する思春期」を過ごしてきたものですから、父親となった時には「絶対にそんなやり方はしない」と思っていたのですよね。

つまりコロちゃんの「自由と民主主義の精神の子育て」ですよね。

コロちゃんは「教育の専門家」ではありませんから、このような子育ての是非はわかりませんよ。

しかし、その後息子たちが「自立・独立」してから20年近く経っても、まだ「コロちゃんと仲の良い親子」でいますから「さほど悪い子育てではなかった」と、胸をなでおろしているコロちゃんでしたよ。

今日の「コロちゃん話」は、コロちゃんの「子育て自慢」でしたよ。
o(`⌒´*)oエッヘン!

またいつもの「古い話をしているよ」と、笑いながら読んでいただければ嬉しいですよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします。
(^_^.)

おしまい。

イラストは生成AI(ChatGPT)で作成したものです

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