【生活考】雨の日は哀愁が漂うか

生活

おはようございます。今朝のコロちゃんは、ワンコとの散歩ができずに、近くの道路下へ向かいました。

起床したら、もう雨がザーザー降っていたのです。そこでペットカートにワンコを乗せて近くの道路の高架下へ行ってきたのですが、その後も夕方までずーっと雨が降りっぱなしでした。

こんなに、1日中雨が降り続いてのは、最近は記憶にありませんね。現在コロちゃんが居間で座っていても、じめじめした空気が流れていますよ。

そこで、ちょっとコロちゃんは考えたのですが、雨の日には「哀愁が漂う」とよく言われますよね。

コロちゃんは、ロマンチックな人間じゃありませんから、この「哀愁という言葉」の中身が良く実感できません。

今日は「1日中雨」で、散歩も外出もする気はありませんので、たまにはそんなコロちゃんの内面を覗いて見ようかと思いますね。

今日のブログは「雨の日は哀愁が漂うか?」をカキコキします。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「哀愁って何だろうと、なぜ寂しくないんだろう?」

☆「人生の目的とは何だろうかと、コロちゃんの全力投球」

☆「孤独感は心の孤立を言うと、雨の日は哀愁が漂うか」

☆「寂しいときは明日があるさ」

1.「哀愁って何だろう?」

なぜコロちゃんが、雨と哀愁を持ち出したのかというと、この二つをテーマとした「楽曲」が数多いのです。

例えば「雨の御堂筋」「雨宿り」「銀の雨」「たどり着いたらいつも雨降り」「アカシアの雨が止む時」、切りがないですね。

上記の曲は、全て1970年代のコロちゃんの青年時代に街中で流れていた曲ばかりです。

この様な「雨」を扱った楽曲は、いくらでも次々と思い浮かべることができます。

そして「哀愁」。これはどういう意味でしょう。何となく寂しげなイメージを持ちますが、この歌も数多い。

「わかってください」「別れ歌」「案山子」「遠くで汽笛を聞きながら」「冬が来る前に」、聴いてしんみりと「哀愁」を感じる曲ばかりですね。 

「哀愁」とは「物悲しい感じ、しんみりした感じ」のことをいうようですから、人間は雨が降っていて、1人でいると寂しさを感じることが多いようです。

だけど、今のコロちゃんはずっと1人で暮らしています(※)けど、まったく寂しさや哀愁は感じていなんですよね。

(※ワンコは居ます)

はてさて、それはなぜでしょうか。今日は雨が降っていることもありまして、その疑問をちょっと考えてみましょう。

2.「なぜ、寂しくないんだろう?」

コロちゃんは、いつもは毎日行うことを次々と考えてスケジュールを組んでいますから、「1人ぼんやりと座って寂しさを感じる」ということが、まったくありません。

言ってみれば、その在り方がコロちゃんの「デフォルト」ですから、「哀愁」なんて感じる暇がないのです。

しかし、その在り方が世の中の方も同じかというと、たぶんそうではないのでしょうね。だって、上記の「雨と哀愁」をテーマとした楽曲があんなに多数あるのですからね。

そこで、今日はその「雨と哀愁」をテーマとして、コロちゃん自身の内面を掘り下げてみようと考えてみたのです。

コロちゃんは寂しさは感じていません。

これはなぜだろうと考えて見ると、コロちゃんには人生をやり切ったという満足感があるからではないかと、思ったのです。

3.「人生の目的とは何だろうか?」

いやいや、コロちゃんは若い時にもっと「哲学書」を読んでおけば良かったですね。それとも幅広い教養書を読むだけでも、「もっと自分語り」の語彙が増えたでしょう。

上記で「人生をやり切った」と、偉そうな感慨をこぼしたコロちゃんですが、それではそのやり切った「人生の目的」とは何かと聞かれると「全力で生きること」ぐらいしか言葉になりません。

誰しもが、青春時代に「何ものかの壁」にぶつかることは多いと思います。コロちゃんは、その壁にいつも躊躇せずに全力でぶつかる道を選択してきたと考えているのです。

その結果は、短期的にはコロちゃんに不利益をもたらす結果となったことがほとんどだったのです。簡単に言うと「失敗して来た」のですよね。

しかし、少なくともコロちゃん自身は「ギリギリまでやり切った」との満足感だけは、いつも得ていましたね。

そこから考えて見ると、コロちゃんの「人生の目的」とは、目の前の「目標」を手に入れることではなく、それを「目指す生き方」そのものにあったと考えてよいのでしょう。

そう考えると、コロちゃんの「人生の目的」とは、やはり「全力で生きること」となっていましたね。

誤解を恐れずに言えば、その「目的」は何でも良かったし、たとえ結果として「手に入れられなくとも」問題はなかったのです。

もちろん「目標」が手にいれられれば、・・・今頃どうなっていたかなー・・・? 

それは「永遠の謎」ですね。きっと直ぐにまた別の「困難な目標」を目指したのでしょうから。

4.「コロちゃんの全力投球」

コロちゃんは、20代の前半期に2回、吐血して病院に入院したことがありました。医師の診断は「十二指腸潰瘍」でしたね。

原因は「ストレス」です。当時は現在と違って「良いお薬」がなく、医師からは「次また吐血したらすぐ手術だよ」と脅されました。

コロちゃんは、一旦目的を定めた時には、全身全霊を込めて全てを投入する気持ちで突き進むんですよ。ついつい無理を重ねてしまう性格なのでしょうね。

その後の40代で始めた「ボーイスカウトのボランティアリーダー」の時もそうでしたね。その時点で投入できる「時間・カネ・持てる力」の全てを活動に突っ込んでいましたよ。

コロちゃんは、何事も一度思い立ったら徹底してやり抜くことが、心地よいのです。

それが行き過ぎると、上記でご紹介した「吐血」するところまでいってしまいます。

このことを、今から振り返ると、何とめんどくさい性格だと思わないでもありませんが、仕方がありませんよね。それがコロちゃんなのですからね。

そして、現在はこのブログを書いて発表することに、かなりの時間を割いて生活していますね。

毎日の投入時間は「5~8時間」は掛けていますから、ほとんど「お仕事」です。ただし「お給料」は出ませんけど。
ァハハ…(゚∀゚ll)。o(ワラウシカ…)

ただね、良い所もありますよ。ブログには必ず読んでくれる「読者様」がいらっしゃるのです。(数は少ないです)

そこに「コロちゃんの社会との接点」があるのです。そうコロちゃんは「孤独」ではないのですよ。

読んでくれる方々が、コロちゃんのブログをどう感じるのかは分かりませんが、少なくともコロちゃんのメッセージを眼にしてくれるだけでも、コロちゃんはやる気が湧いてきますよ。

だからコロちゃんはこのブログをカキコキする間は、少なくとも「孤独」ではありません。

5.「孤独感は心の孤立を言う」

それでは「孤独」とはどういう状況を表す言葉なのでしょう。

コロちゃんは、いつもこのブログで書いているように。「男やもめの一人暮らし」です。

だけど「孤独か?」と聞かれると違いますね。

なぜかと言うと、今のコロちゃんは「社会との関わり」をゴリゴリ進めている真っ最中だと自覚していますからね。

「孤独・孤立」とは「社会との関係を絶つ」状態のことを言うのでしょう。

今のコロちゃんは、広く社会を見渡してその上で【社会考】とか【経済考】とかの、感想や意見を毎日発しています。

これだけ、毎日「社会について論評しているコロちゃん」は、「孤独・孤立」とは言えないでしょう。むしろ「社会に対する関心が高い」と言えるのではないでしょうか。

コロちゃんは「孤独感・孤立感」とは、誰も自分を見てくれないと思い込むことから生まれるとも考えていますよ。

コロちゃんが、家の中でポツンと1人で生きているからと言っても、それで「孤独・孤立」ではありません。「孤独・孤立」は、本人の心が社会から離れた時に生まれるものではないでしょうか。

コロちゃんは、社会から離れているとは、これっぽちも考えていませんよ。

6.「雨の日は哀愁が漂うか?」

今日のテーマの「雨と哀愁」ですが、コロちゃんの基本認識は「人間とはさほど強いものではない」と考えています。

お腹が減れば気分は落ち込みますし、身体が寒ければ心も寒くなります。雨が降れば、過去の思い出が頭に浮かぶし、哀愁を感じれば未来が暗く思えてきます。

人間誰しもが、肉体を持っていますから、身体の状況や気候の寒暖やホルモンの状態でも、いろいろと精神に影響が出ると思っています。

人間誰しも、周りの状況が「心の状態」に影響を及ぼしているのです。

そう考えると、雨の日に多くの方々に「哀愁が漂う」としても、不思議はありませんね。ただそれを自覚するかしないかで、心の状況は大きく違ってくるとも思いますね。

コロちゃんは、雨の日はちょっと鬱陶しいですけど、「哀愁」は感じたことはありません。あまり「ロマンチック」な人間ではないようですね。

7.「寂しい時は明日があるさ」

だからコロちゃんは、「寂しさと不安」がある時には、そのまま抱えて明日に持ち越すことにしています。その場の直観的な判断をコロちゃんは信頼していないのです。

そして次の日にも考えが変わらなければ、それは「真面目に検討すべき課題」だということになるでしょう。

ほとんどの場合は、「寂しさも不安」も次の日には忘れているのです。

コロちゃんも弱い人間ですから、「雨の日に哀愁を感じて、亡き妻との楽しかった暮らし」を思い出すこともありますよ。

だけど、それは「今後の寂しい生活」を意味しません。それは「かつての楽しかったひとときの大切な思い出」を持てた喜びの証(あかし)ですね。

「あのころは楽しかったなー」、そのような明るい思い出ですよ。

今日は一日中雨が降っていましたので、このブログの記事もちょっと変わったテーマとしてみました。あまりご興味のない方はすみませんでした。

ただ、社会に興味深々なのもコロちゃんで、上記の様な内面を抱えているのもコロちゃんです。いつものコロちゃんのちょっと違った一面をご覧いただくのも良いかと思い書いてみましたよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

Szabolcs MolnarによるPixabayからの画像

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