【読書考】「少女たちの明治維新」(ジャニス・P・野村 原書房)を読んで

読書

コロちゃんは、女性が活躍する話しを読むのが好きです。

ジェンダー問題は最近でこそ注目されていますが、日本社会は「男中心社会」です。女性が生き生きと世の中に羽ばたく事には大きな困難を伴います。

それが、現在よりもはるかに強固な「男尊女卑社会」であった明治初期に、アメリカ留学に旅立った5人の少女たちのお話しです。これは興味深いですよね。

表紙を飾るセピア色の写真に写る3人の少女たち。明治初期に、はるばる太平洋を渡りアメリカに留学した少女たちです。その少女たちの30年後の人生まで本書は追いかけています。

普通の少女が、アメリカ留学の帰国後にどの様に苦闘し、そして輝いていくのかを読んでいると、明治という時代の息吹を感じる思いを持ちますよ。

1.始まりは皇后陛下と5人の少女

本書の冒頭は、1871年11月9日の、皇后陛下と5人の少女たちとの拝謁の場面から始まります。

少女たちは、10年間のアメリカ留学に官費留学生として、アメリカとヨーロッパ諸国を視察に廻る「岩倉視察団」と共に旅立つのです。

少女たちは、14歳が2人、11歳、10歳、6歳の子が1人ずつ。幼い子も居ました。この少女たちが歴史に名を残す様になる事は、この時点では誰にも分からなかったろうと思います。

2.少女たちの身の上

山川捨松は、11歳の少女です。父親は賊軍であった会津藩の家老でした。兄の健二郎は後に東大総長となる事で有名です。

吉益りょうと上田ていは、共に14歳の少女です。

永井繁は10歳で、父親は元箱館奉行でした。

津田うめは6歳で、父親は捨松と同じ逆賊の家です。

明治初期の社会混乱の中で、それぞれの父親が家運を切り拓こうと、娘を未だ定かならぬアメリカ留学に送り出した様子が伺えます。

本書には、1度目の募集には、誰も応募する者がいなかったとあります。

2度目の募集でやっと少数の志願者がいて、全員が直ちに合格したそうです。何と、この時代には女子の外国留学は誰ひとり考えてもみない時代だったのです。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

3.帰国後に3人が活躍

本書では、時間経過に沿って話しを進めていますが、ここではちょっと先回りして、帰国後の活躍の様子を見てみましょう。

現在でもよく知られているのは、最年少の6歳で留学した「津田うめ」でしょう。津田塾大学の創始者です。

山川捨松も、陸軍卿大山巌の夫人となり「鹿鳴館の花」と歴史に登場しています。

永井繁(瓜生繁子)は、女子高等師範学校および東京音楽学校の教師として、女子教育の世界で名を残しました。

この3人は上流階級の子女ではありません。当時の没落士族の娘、しかも逆賊の子との烙印まであります。

それが、30年後以降に素晴らしい功績を積み上げるのですから、教育というものがいかに大切なものであるかを教えてくれます。

4.アメリカでの教育

アメリカでは、山川捨松と永井繁は、ニューヘイブンのヒルハウス・ハイスクールに入学し、津田うめは、ジョージタウンと別れて暮らし教育を受けました。

しかし、年長の2人は、眼の炎症とホームシックで帰国する事となり、少女たちは3人となります。使命を全うできなかった2人は辛かったでしょうね。

残った3人は、ホームステイしながら勉学を続けます。

アメリカにおいてさえ、当時は女性の高等教育という発想は生まれたばかりだったといいます。

その時代に、アメリカに女子留学生を送り出した明治政府は実に先進的と言えます。

これを明治政府の理想主義的な若々しい姿勢と見るか、西洋列強国への背伸びした対抗心と見るかは、何とも言えませんが、その両方あったのかも知れません。

山川捨松と永井繁は、1878年9月にヴェッサー大学に入学し、日本政府が彼女らの学費を支払いました。

彼女らは初めての白人ではない入学生だったそうです。生き生きしたキャンパスライフが描写されています。

津田うめは、ワシントンの上流階級の娘たちが通うアーチャー・インスティーチュアート高校を卒業しました。

そして山川捨松は22歳で卒業し、永井繁は20歳、津田うめは17歳で日本に帰国します。

Q KによるPixabayからの画像

5.結婚と女子教育

永井繁は、アメリカ留学中に知り合った海軍兵学校の瓜生大吉と帰国後に結婚します。当時では珍しい恋愛結婚でした。

そして山川捨松は、妻を病気で亡くしていた18歳年上の明治政府高官の大山巌から求婚されます。

津田うめは、伊藤博文との親交から女子教育に参画します。結婚への道は選びませんでした。

結婚そして教育と、それぞれの居場所を見つけたのでした。

本書では、この帰国後の3人の女性たちの、生き方の選択と葛藤が詳細に語られます。

高額なアメリカ留学の学費を出してくれた国家への忠節と報恩。

そして個人として女性としての思い。

それぞれが、重い思いを抱いて悩んだことが伺えます。

本書の著者は女性だからでしょうか、その筆致にはあくまでも優しさが滲み出ている様に感じました。

6.良妻賢母と教養のズレ

津田うめは、華族女学校の学部設立委員となり、女子教育に乗り出します。

しかし華族女学院の教育は「良妻賢母」がモットーです。津田うめの「教養主義」とは合いません。そのズレがだんだんと大きく膨らみます。

1900年、うめは華族女学院と女子高等師範学校へ辞職願いを提出します。「女子英語塾」を開校したのです。

日本は歴史を振り返ってみても、女性が活躍する事例はほとんど有りません。日本は、過去も現在も「男性優位社会」なのです。

その中で、本書の様に、女性が生き生きと羽ばたく物語は、読んでも小気味良いですね

7.それぞれの人生と交流

明治時代の風景の下、それぞれの人生と交流は続きます。日露戦争が起こるなど歴史の歯車は回りますが、詳細は本書でお読みください。

しかし、この明治時代は、良妻賢母と男尊女卑の社会規範と、男子の家長制度の社会です。

よくまあ、みな健闘したものだと感嘆する思いを持ちました。人間の教育による可能性は無限にあると思ったのがコロちゃんの感想です。

8.ガラスの天井を見つめて生きた少女たち

本書の主人公の少女たちはこの時代に生まれていなければ、当時の「普通の女の子」として生きたのではないでしょうか。

時代が彼女たちを歴史の表舞台に押し上げていったのだと思いました

彼女たちの足跡を追う本書の精密な描写にも驚きます。300ページを超える本なのですが、明治の空気と息づかいにはワクワク感を最後までもてました。

著者がアメリカ人のであることにも驚きます。日本の歴史家たちが取り上げるべきジャンルはまだまだあることを教えてくれます。

日本にしろ世界にしろ、女性が活躍しようとすると未だに「ガラスの天井」があると言われます。

本書の、少女たちの生き様には、多くの教訓が含まれていると思いました。本書は興味深いですよ。ぜひ読むことをおすすめします。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

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