【生活考】日曜版「少年Kの1960年代」おばんちゃんの死

生活
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おはようございます。今朝のコロちゃんは、ワンコとの散歩に出る前に「アマゾン・エコー」に気温を聞いたところ「10℃です」との返事が返ってきました。

最近のコロちゃんは、気温を聞いてから着るものをジャンバーにするかジャケットにするのかを決めているのです。

だって、寒いのはイヤですものね。だいたい二けたの気温の時にはジャケットで充分としているのです。

今朝のワンコとの散歩では、ちょっと肌寒い気温でしたけど、早朝から「太陽さん」がサンサンと輝いていました。

今朝の「日の出の時間」は午前4時47分でしたから、コロちゃんがワンコと散歩した5時過ぎでは日差しが暖かいのは当たり前ですよね。

コロちゃんとワンコは気持ちよく歩いてきましたよ。日の出のフォトを添付しますので、このブログをわざわざお訪ね下さった皆さまに、爽やかさをお分けしますよ。

今日のブログは「少年Kの1960年代:おばんちゃんの死」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「4世代家族のおばんちゃんと、立てなくなったおばんちゃん」

☆「おばんちゃんの死と、平均寿命と自宅死」

☆「お葬式でまたショックと、妻の葬儀で思ったこと」

☆「最後の言葉は良い人生だったよ・・・がいいな」

1.「4世代家族のおばんちゃん」

少年コロちゃんが生息していた時代は1960年代でした。今からざっと60年ほど前になります。

その時代は、今の「日本」になごりは残っていても、多くの方にはもう知らない世界の出来事のように映るでしょうね。そのくらい「その後の日本」は変貌したのです。

1960年代の田舎町で、少年コロちゃんは、3つ年上の姉と母、それと祖母(おばあちゃん)とまたその母親(高祖母)の5人家族で暮らしていました。

少年コロちゃんと同居していた「高祖母」の「おばんちゃん」は、当時80代後半か90代だったかもしれません。

(※高祖母:祖母の母親)

とにかく「おばんちゃん」は、曲がった腰で家の中をゆっくりと歩いていた姿が少年コロちゃんの記憶に残っています。

「おばんちゃん」の朝は早かったですね。

いつも隣の部屋で寝ていた少年コロちゃんが眼を覚ますと、隣の部屋で「カチャカチャ」と小さな金属をぶつけ合うような音を立てながら、自分用の箪笥を雑巾で磨いていました。

この「おばんちゃん」にいつも「ご飯の用意が出来た」と知らせるのが、少年コロちゃんの「お仕事(?)」だったのです。

この家の食卓は「台所」にあったのですが、生活スペースとの間に「土間」があり、その土間を短い渡り板でつないでありました。

少年コロちゃんは、いつも飛ぶように「わたり板」を渡って「おばんちゃん」に「食事の用意が出来たよ」と知らせに行っていたのです。

「おばんちゃん」は、もう耳がよく聴こえなくなっていましたから、少年コロちゃんは、手のひらと指で口に何かを掻き込む「ボディランゲージ」で、「ご飯だよ」と伝えていましたね。

このようして、少年コロちゃんと「おばんちゃん」は、毎日の日々をすごしていたのです。

2.「立てなくなったおばんちゃん」

そんな毎日を過ごしていた少年コロちゃんが、驚いた日がありました。

少年コロちゃんは、家族である「姉+母+祖母+高祖母」との生活がずっと続くものと思っていたのですが、ある日突然に「おばんちゃん」が立ち上がれなくなったのです。

いきなり「歩く」どころか「立ち上がれない」身体になった「おばんちゃん」をみて、少年コロちゃんは何が起こったのか全く分かりません。

少年コロちゃんは、この時に小学生低学年(?)だったように思われますね。 

「おばんちゃん」が必死で柱につかまり、立ち上がろうとしていた姿が記憶に残っています。

「おばんちゃん」の介護は、祖母が行なっていましたね。

現在では「インセン」と呼ばれる「下の世話」を祖母がしていた姿を遠くから眺めていたのを憶えていますね。

少年コロちゃんは、当時何が起こったのか何も分からなかったのです。ただぼんやりと「いつになったら元のおばんちゃんに戻るんだろう」と考えていたのですよ。

3.「おばんちゃんの死」

そんな「祖母」が「高祖母」を介護する日々が、どのくらい続いたのかを少年コロちゃんは全く覚えていません。

ただある日「小学校」から帰ってきたら、数人のご近所さんが家の中にいて、ざわざわと話しをしていました。

「高祖母」が亡くなったのです。

享年は92歳(?)94歳(?)か、よく覚えていませんが90代前半だったことは確かですね。

当時としては長命になります。長生きした「おばんちゃん」の人生ってどういうものだったのかを、少年コロちゃんは全く知りません。

福島県の喜多方の出身らしく、「おばんちゃん」の「本家」が喜多方の大きな農家だったことは、少年コロちゃんの訪問の記憶に残っていますが、それ以外は全く知らなかったのです。

なぜ、この家に一緒に暮らすようになったのか、それまでどの様な人生をおくってきたのか、今となってはすべて深い霧の中ですね。

そして学校から帰ってきて初めて「おばんちゃんの死」を知った少年コロちゃんは、その場で「大泣き」したのです。

少年コロちゃんは、そんなに「おばんちゃん」に可愛がられた記憶はありません。ただ何となく「同居」する年寄ぐらいにしか思っていなかったのです。

それがこの時の少年コロちゃんは、「おばんちゃんの死」を眼にして、大声を出して涙をぼろぼろと流し、耐えられない悲しさに全身を震わせて泣いたのです。

これは単なる「ショック!」なのでしょうか?

今振り返っても、当時の少年コロちゃんの心境はよくわかりません。ただこれは、少年コロちゃんが「初めて見る人の死」でした。

翌朝になると、少年コロちゃんはケロッとしていました。

自分のことながら、なぜ昨日はあんなに悲しかったのに、なぜ今日は悲しくないんだろうと思った記憶がありますね。

今から思うと、少年コロちゃんは「日常」が崩れたことにショックを感じたのかも知れませんね。

普段は「足の下に岩盤がある」ような「安心感のある生活」から、いきなり足下が崩れたような感覚を感じたのかもしれませんね。

4.「平均寿命と自宅死」

さて、いきなりの「おばんちゃんの死」を眼にして動揺した少年コロちゃんでした。何しろ初めて「身近な人の死」を、いきなり体験したのですから無理もありません。

➀「女性の平均寿命は70歳だった」

それでは、その時代の「平均寿命」を見ておきましょう。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。

「厚生労働省 平均寿命の推移」より

https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-02-01.html
出典:厚生労働省 令和2年版 厚生労働白書ー令和時代の社会保障と働き方を考えるーより(5月3日利用) 

上記は「厚生労働省」が発表している「平均寿命」の推移です。

今のコロちゃんは、「おばんちゃん」が何年に亡くなったのか覚えていません。そりゃ少年コロちゃんは小学生低学年だったでしょうから、憶えていなくとも無理はないですよね。

そこで仮に「1960年に亡くなった」とすると、上記の「グラフ」添付のエクセルデータを見ると、1960年の「女性の平均寿命」は「70.19歳」となっています。

「おばんちゃん」が亡くなった年齢は90代前半ですから、「平均寿命」を20歳以上も上回っています。よく長生きしたものですね。

なお「2019年の女性の平均寿命」は「87.45歳」です。1960年以降の60年間で凄く「平均寿命」が伸びたことには驚きますね。

この時の「おばんちゃんが死んだ場所」は、自宅のいつも「おばんちゃん」が寝ていた場所でした。「おばんちゃん」は、毎日の「日常生活」の延長線上で逝ったのです。

1960年代には、この「自宅死」が普通の光景でしたね。

この時代の高齢者の多くは自宅で亡くなり、その姿を子どもたちや孫たちが見守っていたのが普通に行なわれて行なわれていたと思います。

また3世代以上の世帯数も、今よりはるかに数が多かったですね。

ですから、少年コロちゃんがビックリして大泣きしたような光景は、多くの家庭の中にもあり「人の死」を身近なものとしてみんな捉えていた時代だったとも言えますね。

➁「自宅死は減り病院死が増えた」

それでは「自宅死」が減る中で、多くの高齢者はどこで死ぬようになったのでしょうか。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。

「厚生労働省 死亡場所の推移」より

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000105vx-att/2r98520000010l2r.pdf
出典:厚生労働省 死亡場所の推移より(5月3日利用)

上記のグラフは、「厚生労働省」が発表している1951~2009年の「死亡場所の推移」です。

左から右に大きく「減少」し続けている「濃い青色線」が「自宅死亡」です。逆に左から右に大きく「増加」している「薄水色線」が「病院死亡」となります。

1951年に「82.5%だった自宅死」が、「2009年には12.4%」にまで減少しています。

そして逆に、1951年に「9.1%だった病院死」が、「2009年には78.4%」にまで増加しています。

「バックデータ」の記載がないので、1960年の詳細な数値は分かりませんが、グラフを見ると大体「70%程度の方が自宅死」となっていると思われます。

「高齢者」の死亡場所が、「自宅から病院」に移っていく中で、多くの子どもたちには「死」を眼にして、「死」について考えることが少なくなっていったのではないかと、コロちゃんは考えていますね。

それは多くの方が、「高齢化」や「死ぬこと」について、具体的なイメージを持って考えることが出来なくなっているとも言えるのではないでしょうか。

5.「お葬式でまたショック」

上記のように、「自宅死・病院死」の増減などから、それに対応する社会的な動きに直ぐ結びつけて考えてしまうコロちゃんですが、1960年代の少年コロちゃんはもっと「ナイーブ」でした。

「おばんちゃん」の葬儀が行なわれ、その後火葬となった後の「骨上げ」の場に立ち会った少年コロちゃんは、骨になった「おばんちゃん」を見てゲロゲロともどし始めたのです。

少年ロちゃんは、初めて「人の死」に出会ったわけですから、この「骨上げ」も当然にして初めての体験です。

葬儀でのお別れの場で「お棺」に寝ている「おばんちゃん」は、まるで生きているように「死に化粧」がなされており、いつもの「おばんちゃん」より元気に見えました。

それが、火葬となって皆の前に出て来た姿は、すっかり焼かれた「骨」となってしまっているのですから、少年コロちゃんはその事に大きなショックを受けたのです。

ひとしきりゲロゲロと吐き気に襲われた少年コロちゃんが、その後どうなったのかは今ではすっかり忘れてしまっています。

おそらく、抱きかかえられてそのまま寝ちゃったのでしょう。まだ幼いですからね。

その後に、少年コロちゃんの母親が、うるさ型の親族から「なんで小さい子に見せたりしたんだ」といじめられたと後日談で聞いた覚えがありますね。

何とも、面倒くさい「田舎の親族社会」でしたよ。余計なお世話だ!
ヽ(`Д´💢)ノ ムカーッ!!

今だったら「意地悪な姉にいびられるシンデレラ?」、それとも「転生した悪役令嬢?」のお話しのような後日談エピソードでしたね。

6.「妻の葬儀で思ったこと」

コロちゃんは、3年前に妻を亡くしました。近隣の葬儀場でお葬式をしましたが、火葬となって「骨上げ」に出て来る場面を、コロちゃんと長男の二人で立ち会いました。

ガラガラと、火葬場の職員によって引き出されてくる「妻」の姿は、すっかり「お骨」になっていました。

その時にコロちゃんの脳裏に浮かんだのは、幼い時にショックを受けた「おばんちゃんのお骨」でした。

最愛の妻の「お骨」を見て、まるで「フラッシュバック」するように、あの幼い時の光景が頭の中をよぎりましたね。

コロちゃんは、もう「こらいまれ」まで生きていますから、多くの葬儀に出席してきています。もちろん「骨上げ」も何回も見てきています。

しかし、今まで「骨上げ」を見て「幼い時のショック」がよみがえるような事は一度もありませんでした。

それが、最愛の妻の「お骨」を眼にした時に思い出したのですから、コロちゃんの「心の衝撃」がよほど大きかったのでしょう。

しかしもうコロちゃんは、ショックでゲロゲロしてしまった少年コロちゃんではありません。

だから、隣にいた長男に「これはなーちゃん(9歳)に見せなくて良かったね」と言いましたよ。長男も「そだね」と言いながら、二人で涙を流していましたよ。

7.「最後の言葉は良い人生だったよ・・・がいいな」

今日のブログは「少年Kの1960年代:おばんちゃんの死」を中心にカキコキしてみました。

「テーマ」は「おばんちゃんの死」ですが、内容は少年コロちゃんと今のコロちゃんの「心の動き」です。

突然の「おばんちゃんの死」に、大きなショックを受け動揺する少年コロちゃんの姿。

そして1960年代の高齢者の「自宅死」の様子や、そのショックを引きずりながらも老境に入ったコロちゃんが追憶する様子を描いてみました。

最近のコロちゃんは、そろそろ自分の番だなと思っていますから、「死の様子」にも大変興味を持っています。

「昭和」から「令和」に向かって増え続けている「病院死」は、最近はコロナ禍の影響からか少し減少して逆に「自宅死」がやや増えているとのデータも出ているようです。

コロちゃんは、出来れば「24時間医療・看護・介護」の下で、1人での「自宅死」を望んでいますが、果たして実現できるかどうかはわかりません。

ただ、願わくば最後の言葉として「良い人生だったよ」との一言が出るような「死に方」が出来れば良いと思っていますよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

Frauke RietherによるPixabayからの画像
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