おはようございます。
現在コロちゃんのブログは、「年末年始考」として、以前に1度発表した「少年Kの1960年代」シリーズを「リライト」して再び発表しています。
なお、今日の「少年Kの1960年代⑥三種の神器」をもって、【年末年始考】は一旦終了しますね。また気が向いたら、その内に再開するかも知れませんよ。
今日は「少年Kの1960年代:三種の神器」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「年末年始は、少年Kの1960年代を投稿しますと、コロちゃんは白昼夢を見た」
☆「三種の神器をご存じですかと、少年Kは貧しかったのかな?」
☆「家事労働時間は10時間2分もあったよと、洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫が家に来た日」
☆「質素から豊かさにそして再び質素へと、コロちゃんと時代の変化」」
1.「年末年始は、少年Kの1960年代を投稿します」
この「年末年始」はいつもの「社会派記事」ではなく、コロちゃんが少年時代だった1960年代の様子をお届けしています。
テーマは「少年Kの1960年代」です。
少年Kの時代は、まだまだ貧しい社会でしたが、その後「高度成長」を駆け上がるような「社会の変化」がありました。
「高度成長」による「大量消費社会」の到来ですよね。その時代は1980年代の末に頂点を迎えましたが、最近では「リユース」と言う言葉をよく聞くようになりました。
コロちゃんは、再び「時代が変わる」のかも知れないと考えていますよ。
そんなことをコロちゃんは、少年Kの走り回っていた「質素な時代」を振り返って考えていましたよ。
なお、【年末年始考】「少年Kシリーズ」をまだお読みになっていない方は、下記のリンクからお読みください。
このシリーズは、どこから読んでも楽しいようにはなっていますが、最初の①からお読みくださることをお勧めしますよ。
2.「コロちゃんは白昼夢を見た」
コロちゃんはこの「年末年始」を、ずーっと「1960年代の世界」に浸りきっていました。
そこまで「昔の時代」に全身を浸かっていますと、顔を上げると玄関から「小学生の少年K」が「ただいまー!」と帰って来そうな気がします。
ガラガラガラ・・・。
「ただいまー、あれっ、ここはどこ?、○○町のボクんちじゃないよね?」by少年K
「おっ、君はだれ? 何か見たことあるような・・・?」by今のコロちゃん
ひょっとしたら、君は「1960年代の少年K」なの? おー、なかなか可愛くて利発そうなお坊ちゃんじゃないですか?
今のコロちゃんの記憶だと、少年Kは「鼻水を垂らした小汚いガキ」だったように覚えているんですけどね。
じゃあ、この子にホントのことを教えてあげようかな。
「ここは、君の時代から60年以上未来なんだよ。そしておじいちゃんは君の未来の姿なんだよ」by今のコロちゃん
「えっ、いやだー! ボク、こんなジジイになりたくなーい!」by少年K
なんて口の悪いガキだ! 親を読んで来い!・・・、そか、もう死んでるよね。
それにこの口の悪いガキ・・・ゲフンゲフン・・可愛らしいお子様が少年Kなの?
(( ;д))o=3 ゲフンゲフン
しょうがないなー、じゃあこの子は「2階の机の引き出しの中」から過去の時代に帰ってもらおうかな。
・・・何てことがあったら面白いんですけどね。
さてコロちゃんの「白昼夢」はこのくらいにして、「少年Kの1960年代⑥三種の神器」を始めますね。
3.「三種の神器をご存じですか?」
皆さん「三種の神器」ってなんだかわかりますか?
もともとは「日本神話」にある「アマテラス大神」が「二二ギの尊」に授けた三種類の宝物の「鏡・剣・勾玉」を指しています。
その故事から、1960年代に多くの家庭で求められた「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」の三点を「三種の神器」と喧伝されました。
また、その後の1970年代には「新・三種の神器」として、「カラーテレビ・クーラー・カー(自動車)」が言われていましたね。
最近では「ドラム式洗濯機・食洗機・ロボット掃除機」を新たな「三種の神器」とすることもあるようですね。
少年Kが活躍した時代は1960年代ですから、その時の「三種の神器」は当然「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」になります。
このブログの「少年Kの1960年代」では、すでに「白黒テレビ」についてのお話しはいくつか出てきていますが、今日は「三種の神器」をまとめて見て行きたいと思いますね。
4.「少年Kは貧しかったのかな?」
今回の「少年Kシリーズ」は、これで6話目を数えていますが、これらの物語は今のコロちゃんが少々ボケつつある記憶力を絞り出していろいろ書いています。
そうしましたところ、ある意味では、コロちゃん以上に事情を知る「コロちゃんのお姉さん」から、以下のような言葉があったのです。昨日の記事でもお伝えしましたよね。
コロちゃんのお姉さん
少年Kの実家はそれほど貧乏ではなかったわよ。
ただ祖母は「始末屋」さんだったわね。
コロちゃんのお姉さんは、コロちゃんよりも3つ年上ですから「少年K」よりも、はるかに多くのことを憶えているのですよ。
実家の「経済状態」などは、まだ小学校低学年だった少年Kにはわかりませんからね。だから「姉さんの記憶」の方が確かなのかも知れません。
そこで今のコロちゃんの頭に疑問が浮かびました???
σ( ̄^ ̄)はて?
確か居間には「白黒テレビ」が入っていたし、台所には「洗濯機※」と「冷蔵庫」が入ってたよね。
(※高価で大切な洗濯機は家の中に設置されていました)
どれも少年Kが小学生の時代に入ってきたように覚えていますから、「赤貧洗うがごとしの貧乏」だったら、買えないよね?
σ( ̄^ ̄)はて?
それで、今日は「その謎」を追求してみましょう。
ちょっと、その前にこの「赤貧洗うがごとし」を調べてみますね。
この言葉の由来は、江戸時代に遡ります。
江戸時代の儒学者である荻生徂徠の「先哲叢談」に記載があるそうですね。
この「赤貧洗うがごとし」の意味は、「とても貧しくて洗い流したように何一つ持ちものがない」ことになります。
「赤貧」の「赤」は何もない事を指すようですね。
コロちゃんは、この江戸時代の儒学者の「荻生徂徠」は、近代経済学を先取りしたような「通貨政策」を書き残していたことでその名前を憶えていましたね。
なんでも、経済が発展して通貨の流通量を増やす必要が出て来た時には、「金含有の小判でない例え土器(かわらけ)でも幕府の信用で流通させることが出来る」と書き残しているそうです。
今の言葉で言うと「管理通貨制度」を提唱したというわけですね。今の「経済学」の知見からすると、「荻生徂徠」のこの政策は、先見の明があったと言えると思いますよ
5.「家事労働時間は10時間2分もあったよ」
お話しがだいぶ逸れちゃいましたが、少年Kの家の「三種の神器」に進みますね。
少年Kの家の台所は、今から見ればとても広い台所でした。
一般的な今のLDKは、平均で18畳(約30㎡)とされています。だいたい「キッチン4畳・ダイニング5~6畳・リビング8畳」とされています。
少年Kの家の台所は、それより二回り以上広かったように記憶していますね。
ただ、この記憶は幼い時の記憶ですから、身体が小さかった時の記憶かも知れませんけれどね。
そこの壁の一面に「大きなかまど」がデンと鎮座していました。
少年Kの最初の頃の記憶では、ご飯も調理も全て、そのかまどで「煮炊き」をしていたのです。
当然にして「はじめチョロチョロ中パッパ」のお釜で炊くご飯ですし、火をつけるのにも、最初に新聞紙を丸めて火をつけ、細い枝に移してから、マキを燃え上がらせる炊事です。
今ならば、キャンプ場でしかやらない炊事を、少年Kの幼い時代には「日本全国」のどの家でも毎日3度(※)行なっていたのです。
(※お昼は冷や飯だったかも知れません)
当然にして、「炊事や家事」にはやたら時間と労力がかかりました。
もちろん、「冷蔵庫」もありませんから、食べる総菜は毎日買い出しをしなければ、何も食べることが出来ません。
ちょうど1961年の「家事時間」を調べたデータがありました。
「江戸東京博物館」で「主婦の生活の変化」について調べた発表があったそうです。それによりますと、1961年は「10時間2分」とありました。
その「家事時間」の労働は以下のものです。
➀「炊事」
➁「掃除」
③「洗濯」
➃「買い物」
⑤「裁縫」
この「⑤裁縫」が出て来るところに「時代」を感じますね。当時「衣類」はとても高価なものだったのですよ。まだ「ユニクロ※」がありませんからね。
(※ユニクロの開業は1984年)
ですから、衣類に少々穴が開いても、端が解けても、みな家庭内の女性たちが繕って着ていたのです。
1960年ごろの少年Kの家も、「祖母・母」の二人が全力で上記の「家事労働」を、主に台所で担っていたのでしょう。
そこで、少年Kが何をしていたかというと、かまどの前で「火吹き竹」で燃え上がる炎を吹いていたことを、うっすらと記憶しています。
ε=( ̄。 ̄;)フゥーフゥー
おそらく「祖母・母」は、「危ないから止めなさい!」と叱っていたような・・・?
ヽ(;´Д`)ノヤメテー
これらの「1日10時間にも及ぶ女性の家事時間」が、「三種の神器」を導入することによって、劇的に削減されていくのです。
6.「洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫が家に来た日」
そのような少年Kの家の台所に、最初に入ってきたのは多分「プロパンガスのコンロ」だったように覚えていますね。
そして、順次「洗濯機」「白黒テレビ」「冷蔵庫」がに入ってきたように思います。すべて少年Kが小学生だった時だと思いますね。
ということは・・・、1960~1965年ごろだったのかな?
何しろ、この頃には少年Kは小学校低学年だと思いますから、記憶がはっきりしないのですよ。
これから上記の「三種の神器」の値段を見てみましょう。
なお、ここで当時の値段を「現在だったら」と換算しますが、対象とするものによって値段が大きく変わります。
例えば1960年と現在の「大卒初任給」などは、およそ17倍になりますが、日銀が発表している「消費者物価上昇率」は約4倍と大きく異なっていますね。
ですから、下記の「現在値」はあまり正確なものではないということをご承知ください。
➀「洗濯機はローラー絞り器がついていた」
1960年代前半の「洗濯機」の値段をいろいろ調べて見ると、だいたい2~2.5万円だったようです。当時の「消費者物価指数」から、現在の値段に計算すると約13万円となっていますね。
この「洗濯機」の普及率は1957年には10%とありましたが、その後の1970年には普及率が80%を超えており、この1960年代の10年間に家庭への普及が一気に進んだようです。
この世の中の動きは今でこそわかりますが、1960~1965年ごろに少年Kの家で購入したのは、当時の世の中の普及率を見ると、やや早い頃だったと思われますね。
やっぱり少年Kの家は、そんなに貧しくなかったのかなー?
(。・_・?)ハテ?
「マーケティング理論」で、新しいサービスや商品への消費者の反応を5つに分類する考え方があります。以下に書きますね。
◎「消費者の反応の分類」(少数点以下切り捨て)
➀「イノベーター (革新者)2%」
➁「アーリーアダプター (初期採用層)13%」
③「アーリーマジョリティ(前期追随層)34%」
➃「レイトマジョリティ (後期追随層)34%」
⑤「ラガード (遅滞層)16%」
上記の「マーケティング理論」によれば、少年Kの愛すべき母親は、「③アーリーマジョリティ(前期追随層)34%」だったのでしょう。
田舎町の保守的な文化の中で、よくぞ「新しい商品」を購入したものだと、今のコロちゃんは賞賛しますよ。
(///o///)ヾ(^∇^*) エライ エライ💗
しかし「洗濯機」のお値段が、現在価格で13万円だったら、病院で働いていた少年Kの母上だったら十分購入できたと思われますね。
これらの「電化製品」は、間違いなく当時始まり広まりつつあった「月賦販売」で購入したと思われます。
➁「白黒テレビは居間に置いた」
「テレビ」はお値段が高いんですよね。
当時のテレビのお値段を調べて見ると、1960年に発売された「東芝製のカラーテレビ受像機は21インチで52万円」もしました。
今の値段にすると880万円となり、とても普通の家庭では手が出ません。
当然購入ターゲットは「白黒テレビ」になります。そもそも「カラー放送番組」自体が、初期にはあまりありませんでした。
当時のほとんどの番組は「白黒放送」だったのですよ。それが1966年ごろから「カラー放送」が徐々に増えてきましたね。
この「白黒テレビ」は、1960年発売で5.8万円、現在の価格にすると99万円と・・・何とか手が出るかな?
ただ、少年Kはこのテレビで「シャボン玉ホリデー※」という番組を見ていたことを憶えていますけど、この番組が開始されたのは1964年なんですよね。
(※シャボン玉ホリデー:1964~1977年:日本テレビ系)
そうなると、少年Kの家の「テレビ購入」はその年以降かもしれませんね。
まあ、少年Kはテレビにかじりついて、ずっと見ていたでしょうから、1960年ごろに購入した可能性も残りますけどね。
1965年の「白黒テレビ」のお値段は「7万3000円」となっていますから、今の値段にすると120万円(※)ですね。やはりかなり無理をしなければ購入できませんね。
(※1965年と現在の比較:大卒初任給は17倍、消費者物価指数は4.5倍:後者だと32万円となります)
ただ支払いは「月賦」だったでしょう。
多分この「白黒テレビ」は「祖母」がお金を出したのでしょう。
当時「祖母」の収入は、「和裁」と「貸家・地代収入」でした。少年Kは、その後もまったく関知しませんでしたから、その内容は今も知りません。
③「冷蔵庫は冷凍室が無かった」
少年Kの家に「冷蔵庫」が入ったのは、「洗濯機・白黒テレビ」に比べるとちょっと遅かったと思います。
ひょっとすると、少年Kが小学校高学年になる頃の1960年代半ばごろかもしれません。
その「冷蔵庫」には、今は当たり前にある「冷凍庫」がありませんでした。
それもそのはず、日本で初めて「冷凍室」が付いた「2ドア冷蔵庫」が発売となったのは1969年です。
その前の1965年に発売された「冷蔵庫」のお値段は5万7000円と、現在価格では96万円(※)となりますから、うーん高いなー。
(※1965年と現在の比較:大卒初任給は17倍、消費者物価指数は4.5倍:後者だと25万円となります)
この「冷蔵庫」も、おそらく「祖母」が出していると思いますから、「祖母」の「不動産収入」は思ったよりも多かったのかも知れませんね。
いやいや、「母上」の病院勤務の収入の方かな・・・・?
このブログを姉上が読んで「あんた、あれはお母さんが出したのよ!」と、コロちゃんを叱る姿が・・・なんか見えるような気がしますよ。
間違ったら、ゴメンなさい「母上様」。
( ┓ ›゚д゚‹)┓{ごめんなさぁぁぁぁいいいいぃぃぃ!!)
7.「質素から豊かさに、そして再び質素へと」
上記のように見て行きますと、少年Kの家は「ひどい貧乏」とまでではなかったようですね。なんと言っても「三種の神器」を、世の中の大多数と同じ頃に家の中に購入していましたからね。
1960年代の人々は、これらの「三種の神器」を一つ一つ買い揃える中で、自分たちが1歩1歩豊かになる実感に手ごたえを感じていたのですよ。
ただ今のコロちゃんの記憶ですと、暮らしぶりはみなとっても「質素な暮らし」でしたよ。
ただ、これもその時代の特徴なのかも知れませんが、「大量消費社会」以前においての「普通の家庭」は「質素な暮らし」がスタンダードだったとも思わますね。
それが現在の様な「モノであふれる時代」が到来したのは、コロちゃんの記憶では1980年代でしょう。そのあたりが「時代の分水嶺」なのでしょう。
1980年代以降では、次々と新しいモノを買い替えることが「豊かさ」の象徴とされました。そして、それ以前の「質素な生活は美徳」は否定されました。
それがその後2010年代以降に「リユース」が拡がって、再び「豊かな生活」から「質素な生活」へと以前に戻りつつあるようにも思えますね。
まさに「時代は巡る」として、今後過去の価値観が再び注目されるようになるかどうかを、今のコロちゃんは興味深く見て行きたいと思っていますよ。
8.「コロちゃんと時代の変化」
コロちゃんは、これまで70年以上を生きてきました。思えば、ずいぶん遠くまで来てしまったように感じています。
今回の【年末年始考】では、コロちゃんが少年だった「1960年代の少年Kの世界」をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか?
いつの時代でも「少年・少女時代」はだれもが経験します。
少年Kは、今から見れば「貧しい生活」に見えるかもしれませんが、当時の少年Kには、そんなことは分かりません。いつも元気に走り回っていましたね。
1960年代とは、今から60年以上前の時代です。当然「物質的には貧しい生活」でしたね。
しかし、そこで生きていた人たちは、驚くほど楽観的で「明日は今日よりは良い日になる」と信じ込んでいました。
そして「時代」も、ちょうど1980年代の「一億総中流社会」へ向けて、駆け上がっていく途上でした。「時代が良かった」のですよね。
そのように「時代を俯瞰」すると、当時の少年Kとその周りの人々は「幸せな時代」をおくったと言えるでしょう。
現在の2025年は、それから60年以上経ち、当時よりは「物質的にははるかに豊かな生活」をおくっています。
しかし「常に不安」を抱えていて「将来への希望」が持てない社会が拡がっているようにコロちゃんには見えますね。
コロちゃんは、今の「社会の在り方」に責任を感じるような「偉い立場」ではありませんが、このままでは次世代に「暮らしやすい世の中を残せなかった世代」となるのかも知れません。
そうなんですよ、コロちゃんは「今の日本の在り方に大きな不満」をもっているのですよ。
だからコロちゃんは、このまま黙ってみているわけには行きませんから、今後もこのブログで正直な意見を発信していきたいと思っていますよ。
そして、これからの日本の将来が「不安がない希望が持てる社会」に進んで欲しいと思っていますよ。
この「年末年始」は、コロちゃんが少年時代だった「1960年代の世界」を6回にわたってご紹介してみました。このような風景が「少年Kの育った世界」でしたよ。
ちょっとでも皆さんがご興味を持っていただければ、今のコロちゃんは嬉しいですよ。そしてコロちゃんの長話に、お付き合いありがとうございました。
今日で「コロちゃんの1960年代シリーズ」をいったん終了しますね。
また明日より引き続き「社会派コロちゃん」が出現しますので、またお読みくださることをお願いしたしますよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
コメント