おはようございます。昨日コロちゃんは、今年最後の「整形外科病院」への通院へ行ってきましたよ。コロちゃんは、現在3ヶ月に1回この「整形外科病院」へと通院しているのです。
通院手段は、車を使って「20分」くらいですね。
だけど、もし車通院ができなくなったらば、「バス⇒電車⇒バスorタクシー」となり通院時間は「1時間以上」となってしまいますね。
コロちゃんは、出来るだけ今の「車通院」が続けられることを祈りますよ。
ここの「整形外科病院」へコロちゃんは、「骨粗しょう症&腰痛」の治療に通っています。「骨粗しょう症と腰痛」は「慢性病」ですから、完治はまずないと思われますね。
だから「診察」の後には、「ロキソニンテープ(湿布薬)」と、「アレンドロン酸(骨粗しょう症治療薬)」を受け取るだけでしたよ。
治療費は「70歳以上」ですから「20%負担で¥940円」でした。現役の方々の30%自己負担よりは、少しお安くなっていますね。
コロちゃんは、この「整形外科病院」へも今後も長く通い続けることとなりますから、もうこの通院は「お仕事」と考えて、面倒がらずに淡々と通おうようと考えていますよ。
さて今日は「小倉智昭さんを悼む」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「小倉智昭さん死去のしらせがあったよと、コロちゃんが知った彼の膀胱がん闘病記」
☆「新聞も追悼文を掲載したよと、小倉智昭さんの本音と言う本を読んだよ」
☆「小倉智昭さんと同時代を生きたコロちゃんと、コロちゃんと目指すべき生き方・死に方」
1.「小倉智昭さん死去の知らせがあったよ」
先日の12月10日に「フリーアナウンサー小倉智昭さんが亡くなった」との報道が流れました。死因は「膀胱がん」で77歳だったそうです。
ちょうど「団塊世代(1947~1949年生まれ:2024年現在75~77歳)」の方ですね。コロちゃんよりも、少し年上のお兄さんとなりますね。
コロちゃんは、もちろん「小倉智昭さん」のような有名人とは知り合いではありませんが、彼が「フリーのアナウンサー」になった頃から、よくテレビで拝見していましたよ。
「小倉智昭さん」と言えば、多くの皆さんにとって「ニュースキャスター」のイメージしかないと思います。
しかし、コロちゃんにとっては「巨泉のクイズダービー※」というTVのバラエティ番組での「面白いアナウンサー」としての記憶が大きいですね。
(※TBSテレビ:1976~1992年:司会:大橋巨泉)
コロちゃんと今は亡き妻は、1970年代後半にこのTV番組を一緒に楽しく見ていた時代があったのです。
この1970年代という時代は、アナウンサーは原稿をそのまま読むことが当たり前の時代で、「小倉智昭さん」は、その時代的制約から大きく外れた初めての「お笑いキャラのアナウンサー」だったのです。
この「巨泉のクイズダービー」は面白かったですよ。
今ではコロちゃんは、すっかりTVを見なくなっていますが、1970年代後半のころはまだ見ていたのですよ。
当時のこの番組では、司会の「大橋巨泉氏」が「小倉アナウンサーの語り」を弄るのです。
その「弄り」で出演者全員が大爆笑となり、「小倉アナウンサー」は一躍人気アナウンサーとなっていきましたね。
当時のコロちゃんは、今は亡き妻と「東京都板橋区」の二人暮らしのアパートの部屋で、この番組を大笑いしながら見ていた記憶が鮮明に残っていますよ
「小倉智昭さん」は1947年生まれですから、コロちゃんよりは少し年上ですが、人生の流れと時代の流れを考えると、コロちゃんの少し先を歩いておられる方ですね。
だから、コロちゃんとしては「共感」するところも多い方ですよ。
「小倉智昭さん」が、「情報番組のニュースキャスター」に抜擢されたのは1990年代後半のようですから、その頃にはコロちゃんはテレビをほとんど見なくなっていましたね。
コロちゃんにとって「小倉智昭さん」は、「ニュースキャスター」というよりも「巨泉のクイズダービー」の「面白アナウンサー」のイメージですね。
コロちゃんは、いま一抹の寂しさを感じながら、「小倉智昭さんの死」を悼んでいますよ。
彼はコロちゃんなど知るはずもありませんが、コロちゃんにとっては間違いなく「同じ時代を生きてきた人」なのですよ。
今日のブログでは、ちょっと「コロちゃんの独り言」を書き綴ってみますね。
2.「コロちゃんが知った彼の膀胱がん闘病記」
コロちゃんが、小倉智昭さんの「膀胱がん罹患」を知ったのは、「日経新聞」の「連載コラム」からでした。今年2024年の3月でした。
この「新聞コラム」には、「小倉智昭さんの膀胱がん闘病記」が掲載されていたのですよ。
この「新聞コラム」によると、「小倉智昭さん」は2016年に「膀胱がん」に罹患し、その後2021年にがんが肺に転移し、ステージ4となったと書いています。
フジテレビの「特ダネ!」のキャスターをしていた時だそうですから、「小倉智昭さん」はバリバリの現役の時です。ショックだったでしょうね。
そして抗がん剤の「ステロイド薬」の副作用で「糖尿病」が悪化し、「三途の川を見た」と書いていますね。
父親と川のほとりで「じゃあそろそろ行くかという父親に『まだ行きたくない』と答えると、父親だけが橋を渡って花園に姿が消えた」と瀬戸際だったと記載していますね。
おそらく「小倉智昭さん」は、死をそれだけ身近に感じていたのでしょうね。コロちゃんも「大腸がん手術」のをした時には死をハッキリと意識しましたものね。
それにコロちゃんは、自身が「抗がん剤のステロイド薬」の副作用で「骨粗しょう症」となり、2度の「脊椎圧迫骨折」を起こして、その後の「腰痛」には今でも悩まされています。
その経験からも「小倉智昭さん」の「抗がん剤のステロイド」での「糖尿病の悪化」は、我が身のことのように思えましたよ。
その後2018年に「小倉智昭さん」は「膀胱の全摘手術」と、2023年には「転移した腎臓も全摘手術」が続いたとしています。
その間には「抗がん剤」や「免疫チェックポイント薬」の治療も続き、経営する会社の新しい事業展開を考えている時に、コロナ禍と病気が襲ってきたとしています。
いやいや、これは大変だったを通り越していますよ。コロちゃんの「がん闘病」よりもはるかに重いように見受けられましたよ。
しかし、この「がんとの闘い」の中で「小倉智昭さん」は、しっかりとこのコラムで情報を発信なさっていますね。
「小倉智昭さん」は、コロちゃんが記憶しているところでは「大橋巨泉さん」の会社に所属していたと思いましたが、その後は自分で「会社」を興したのでしょう。
「ビジネスの世界」に乗り出すと、「経営者」はほとんどすべての時間をつぎ込むことになりますよね。
「小倉智昭さん」は、テレビの華やかな世界で活躍していても、忙しすぎてやりたいことが出来ない生活となっていたのでしょう。
コロちゃんは、若い時から現在まで結構やりたいことをやってきましたから、今となってはさほど不満はありませんけど、「小倉智昭さん」はそうではなかったようですね。
コロちゃんは、人の人生は分からないものだと思いましたよ。
なお、この「小倉智昭さんの新聞コラム」を読んでみたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。全部で4話ありますよ。
3.「新聞も追悼文を掲載したよ」
コロちゃんは、先日の「小倉智昭さん」の死去を聞き、いずれ訪れる「わが身の死」を思い浮かべましたが、彼ほど「影響のある言葉」を思いつくことは出来ませんでしたね。
死去から2日後の「日経新聞の朝刊」では、1面下の「春秋欄」で、「小倉智昭さんの死を悼んだ文」が掲載されていました。
その内容は、小倉智昭さんの言葉を伝えていました。その言葉は、上記でコロちゃんも注目したと書いた「コラムの最後の言葉」でしたよ。
上記と重複しますが、「春秋欄」の分を引用しますね。
「老後は思い通りにならないもの。耳が聞こえにくく好きな音楽を昔どおり楽しめない。旅も酒も同じ。若いうちにやれることがあったらやったほうがいい。老後にやろうと思っていても、老後になるとできないことが多すぎる」
「春秋欄」では、その後に「言葉は若者にとどいたろうか」と続けています。
そして最後は「年齢を重ねれば誰もが、体力、能力、権力などを手放す。その後の隘路をいかに歩くか。一つの手本を見せてもらった気がする」と締めていますね。
コロちゃんは、この「春秋欄」を読んで「新聞社が追悼文を書いたよ」と感じましたね。コロちゃん世代にとって、彼は一つの「理想的な生き方と死に方」をしたのだろうとも感じましたね。
だからこそ、「新聞社の編集委員」が「追悼文」を寄せたのだとコロちゃんは感じましたよ。
なお、この「日経新聞の春秋欄」をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
4.「小倉智昭さんの本音と言う本を読む」
コロちゃんは、上記の2024年3月の「小倉智昭さんの膀胱がん闘病記の新聞コラム」を読んだ後に、彼の出版した新刊書を読みました。
この項の最後に本書をご紹介しますが、「小倉智昭さんと作家で社会学者でもある古市憲寿さんの対談本」です。
この本ですが、とても面白いのです。「小倉智昭さん」がどのような生まれで、どのように育ったのかとか、大橋巨泉さんとの出あいとその後の仕事の話しなどが満載されているのですよ。
コロちゃんは、それらの時代はリアルタイムに経験してきましたから、その時代の雰囲気はわかります。
本書のエピソードを、いくつかご紹介しますね。
➀「少年時代」
その後の「アナウンサーやニュースキャスター」を務めた姿からは、とても想像つかないのですが、彼は「吃音」の少年だったそうです。
その「吃音の小学生の男の子」が、毎年七夕の短冊にずっと「どもりが治りますように」と書いたのです。治るわけはないですよね。
そして父親に「七夕の短冊なんてうそだ。どもりなんか治らないもん」と言ったところ、父親は次のように言ったそうです。
「智昭、夢は持つな。夢は夢で終わるんだ。夢はかなうと言うのは、夢がかなった人しか言わないことで、夢がかなわなかった人はそんなことは言わないんだ」
「夢なんか持たなくていい。目標を持ちなさい・・・その目標を達成したら、次の目標を考えればいいじゃないか」
いやいや、これを「小5の男の子」に言えますか? 凄いオヤジさんだとコロちゃんは思いましたよ。
➁「29歳でテレビ東京を辞めて極貧生活へ」
やっと入局したテレビ東京を29歳で辞めて、フリーアナウンサーになった「小倉智昭さん」ですが、仕事がない極貧生活が7年ほど続いたとかいていますよ。
コロちゃんは、彼は「テレビでブレークした成功者」だと思っていましたが、全然違っていました。
「電気・ガス・水道・電話」が全部止まった経験を、「タレントは数多くいるけど、止まる順番を知っているのは俺くらいだ」とギャグにしていますよ。
➂「相撲協会と大ゲンカ」
朝青龍が休場しているのに、母国のモンゴルでサッカーをやっていて大問題になったことがあります。その時に「小倉智昭さん」が、番組で「星が買えれば良かったのにね」とジョークを言ったそうです。
そうしまたら「相撲協会」が大激怒。
当時の「九重親方」が、電話をかけてきて「もう今後、一切フジテレビにはビデオを貸さない。それがいやなら、小倉にオープニングトークで謝罪をさせろ」と言ってきたと言うのです。
そこで「小倉智昭さん」は、オープニングトークで10分ぐらいしゃべったというのですよ。
しかも、内容は「今回の顛末はこれこれこういうことで、相撲協会が怒ってフジテレビにビデオを貸さないと言っている、そうなると視聴者にも迷惑がかかるから、私は謝罪します」と言ったというのです。
しかし、そこで終わらないのが「小倉智昭さん」ですよね。続けて「ただ、僕はこのことに関しては一切間違いじゃないと思っている」とも話したそうですよ。
コロちゃんは、これを読んで「小倉智昭さん」らしい言動だなと思いましたよ。強い者に媚びない姿勢は、読んでいて痛快ですね。
本書は、このような「小倉智昭さん」のエピソードが満載の本です。そして「古市憲寿さん」との対談本ですから、平易で読みやすいですね。
コロちゃんは、2時間ほどで一気読みしちゃいましたよ。
本書をお読みになりたい方は、下記からどうぞ。コロちゃんのように「図書館」から借りても良いと思いますよ。
5.「小倉智昭さんと同時代を生きたコロちゃん」
コロちゃんが、上記の「本音」を読んでいて思い浮かべたのは、その当時のコロちゃんのことでした。
上記➀で「父親」から、「夢は持つな、目標を持て」と言われた「小倉智昭さん」が小学校5年生の時点のコロちゃんは、まだ「幼稚園児」でしたけど、その後は「同じ時代を歩いてきた」と感じたのです。
➁での「テレビ東京を退職した後の29歳の時の不遇時代」には、コロちゃんは「20代前半」で「同じような貧乏生活」をおくっていました。
ちょうど1970年代なかばの時代ですね。その当時の「コロちゃん夫婦の思い出」を、ちょっと書いてみますね。
この時代には、若い方は「銭湯」に通うのが一般的だったのです。
若かったコロちゃん夫婦も近くの「銭湯」にしばしば通っていました。一緒に入り口をくぐると銭湯は「男女別」に分かれています。
そこでコロちゃん夫婦は分かれて入るのですが、出て来る時間を決めないと一緒に帰ることができません。
コロちゃんは「30分後を主張」し、妻は「1時間後を主張」します。女性の風呂時間は長いのですよ。
そこで、いつも「45分後にしよう」と妥協することがコロちゃん夫婦の常でしたね。
当時世の中に流れていたミュージックは「神田川※」です。この曲は時代性があるというか、我が身を歌っていると感じましたね。
「♬あなたはもう忘れたかしら・・・一緒に出ようねって言ったのに、いつも私が待たされた♪」
(神田川:1973年:歌:南こうせつとかぐや姫:作詞:喜多城忠:作曲:南こうせつ)
コロちゃんも良く口ずさんだ曲ですが、この歌詞では「銭湯」の出口で女性が待たされるのですよね
コロちゃんは、「いつも待たされるのは男だよ、そんな長風呂の男なんかいるもんか」と思ってた事を思い出しますね。
その頃のコロちゃん夫婦は、二人とも20代の前半です。輝くばかりに「若く楽しい」、そして「貧しい時代」でしたよ。
この当時に「小倉智昭さん」は、「テレビ東京」を辞めて、売れない「フリーのアナウンサー」の「極貧生活」をしていたのですね。
コロちゃんは、とても「親近感」を持ちましたよ。
6.「コロちゃんと目指すべき生き方と死に方」
さて、コロちゃんは今日は「小倉智昭さん」の追悼文のつもりで書いていますが、「小倉智昭さん」は、コロちゃんといくらも変わらない庶民から出発して、その後有名人となっています。
そう考えると、やはり「人生の成功者」でしょう。
だけど、コロちゃんが彼に「興味と好意」を持つのは、有名になったあとでも、「貧乏・苦労した時代」と、その「価値観・視線」が変わっていなかったことだと思いますね。
普通は変わるんですよね、「人間」ていうのは。
人間は偉くなると、普通は「自分は自分の力で偉くなった」と考える生き物なんだと思うんですよね。そうなると「価値観も生き方」もまるで変わってしまうのが常なんですよね。
それが「小倉智昭さん」は、違っていましたよ。人間はだれでも、「話す言葉や内容」から、その人のもつ「価値観や視線」が滲み出てきますよね。
特に「話すことが仕事」の「小倉智昭さん」の「売り」は、その「歯に衣を着せない言動」でしたから、「人間性」がほの見えるどころか「赤裸々に」噴き出していましたね。
彼は明らかに「自分が特別な人間だ」とは考えていなかったと思いますよ。
コロちゃんは、同世代の人間として彼を「素晴らしい生き方」を最後まで貫いたと思いましたよ。
それでいて、キチンと「テレビ界」でポジションを維持していたのですから、そのキャラクターを温かく見守る周囲がいたのでしょう。
さて、コロちゃんは世の中で「成功しよう」などという夢は、現在も過去も持っていませんでした。だけど、「自分らしい生き方」だけは貫いたと思っていますよ。
その「自分らしい生き方」とは、その時々で「全力を尽くす」というやり方です。その生き方でコロちゃんはここまで来たんです。
そして「常に社会を下から見つめる」という姿勢は、今でも変わらずに続けられていると思っていますよ。これは実は「コロちゃんの誇り」なんですよ。
もちろんコロちゃんの「誇り」なんかは「小倉智昭さんの社会的成功」とは比較にならない「ささやかな成果」ですが、その結果にコロちゃんは満足しています。
ですからコロちゃんは、今後満足して逝くことが出来ると思っていますよ。
今日は「小倉智昭さん」の逝去を聞いて、追悼のための記事を書いてみました。
内容は「小倉智昭さん」の新聞コラムと、日経新聞「春秋欄」の記載、そして「本音」という書籍のご紹介でした。
これを読んで「小倉智昭さん」の事を、皆さんにも知っていただければ幸いですよ。
彼はコロちゃんより少し上の年代でしたが、コロちゃんとほとんど同じ時代を生き抜いてきた方です。コロちゃんの好きな人でしたよ。
心からお悔やみ申し上げますね。安らかにお眠りください。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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