おはようございます。コロちゃんは、今日またミスをやっちゃいました。参りましたよ。
( ̄口 ̄∥)ショック
コロちゃんは、3日に1回は近所の「スーパー」にお買い物にお出かけします。ちょうど今日が3日に1回の「お買い物日」だったのです。
ここまでは、普通のことで別に変わりはないのですよ。
それでコロちゃんは、いつも「スーパー」が開店する朝9時に行っていたのですが、今朝は「スーパー」は閉まっていました。
コロちゃんは「あれれ、今日は定休日かな?」と、周りを見渡したら駐車場はガランとしています。
そうしましたら、驚くことに「まだ午前8時だった」のです。
これは「タイムスリップ?」。
いやいや、違うでしょ。コロちゃんが時間を間違えて、朝9時かと思ったらまだ8時だったのですよ。
そりゃ「スーパーの駐車場」がガランとしているのも当たり前ですよね。まだ開店1時間前ですからね。
なぜ、コロちゃんが時間を間違えたかというと、いつもコロちゃんは居間の「アマゾン・エコー」に「アレクサ、8時55分にアラーム入れて」と指示しているのです。
コロちゃんは、パソコンでブログの原稿ポチポチをしていると時間が経つのを、いつも忘れてしまう習慣がありますから、その防止のためですね。
それが、どうやら今朝は「アマゾン・エコーへの指示をコロちゃんが間違えた」か、それとも「アマゾン・エコーが故障してアラーム時間を間違えた」かのどちらかですが、たぶん後者でしょう。
ホントにしょうがないんだから、うちの「アマゾン・エコー」は!。もう二度と間違えるんじゃないぞ、今回だけは許してやる・・・。
コロちゃんは、閉まっている「スーパー」から、そそくさと自宅へ帰ってきましたけれど、だんだん自信の「判断能力」に自信が無くなってきましたよ。
ヽ(´д゚`ll)ヤバィ
いやいや気を取り直して、これは「アマゾン・エコーが間違えた」ということにしておきましょう。
♪~(○´ε`○)ゞ シーラナイ!!
コロちゃん、ちっとも悪くないもんねー。
( ¯ ^¯)フーンダ
気を取り直して、きょうは「法を破る理由は何か?」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「トランプ氏が法を破る理由は何かと、今度は秘書給与の不正請求だよ:自民党」
☆「ウラ金事件があったよね:自民党と、法を守らない議員が多すぎる」
☆「稼ぐが勝ちの時代があったよと、社会がギスギスするだろうな」
☆「世論調査で国民の意識を見ると、コロちゃんの法と倫理の意識」
1.「トランプ氏が法を破る理由は何か?」
コロちゃんが、いつものように朝コーヒーを飲みながら新聞をバサバサ読んでいたら、久しぶりに「想像力を刺激する記事」を読みました。
それは「Opinion欄」にある「FINANCILA TIMES」のコラムニスト「ジリアン・テット」さんの記事です。
この記事では、最初に「突拍子もない問題」として、ニューヨーク市内での「国連外交官の駐車違反に関するパターン研究」を持ち出しているのです。
ここだけでは、何のこっちゃと思いますよね。
この記事によると「2002年まで、ニューヨークの国連外交官は駐車違反の罰金を免除されていた」そうなのです。
だけど「外交官の対応」はまちまちで、「1997年から2002年にかけて積み上がった駐車違反の罰金の大半は、エジプトやパキスタン、ナイジェリア、ブラジルといった国の外交官のものだった」というのです。
さらに「英国、カナダ、スウェーデン、オーストラリアの外交官は02年以前にほとんど違反の摘発を受けていない」としています。
この上記の駐車違反を守らない「発展途上国の外交官」と、守る「先進国の外交官」を、著者は「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と、「状況的な思想を持つ文化」の衝突として捉えているのです。
「状況的な思想を持つ文化」とは、「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」ですね。
そして「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」の発展途上国を指して、「腐敗がまん延する国の外交官は他国よりも著しく駐車違反が多い」と書いていますね。
著者は「法と倫理についての普遍的規範の文化を持つ先進国」と、「法(ルール)は状況次第で守るものという文化の発展途上国」を比較して際立たせているのです。
そこで、この記事では「法と倫理についての普遍的規範」をもつハリス氏(検事出身)と、「法は状況次第で守る規範」を持つトランプ氏の争いなのだと続くのです。
コロちゃんはそこはどうでも良いのですが、この「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と、「状況的な思想を持つ文化」の衝突という視点には興味が湧きました。
次に、そのコロちゃんの興味について書いてみますね。
なお、この「日経新聞」の「コラムニスト:ジリアン・テット氏」の署名記事をお読みになりたい方は、下記のリンクのクリックをお願いします。
2.「今度は秘書給与の不正請求だよ:自民党」
報道によると、7月30日に「東京地検特捜部」が公設秘書の給与を搾取したとする詐欺容疑で、自民党の「広瀬めぐみ参議院議員」の関係先を家宅捜査したと報じられています。
この「公設秘書」については、現在の法律では「政策秘書(月額36~53万円)・第1秘書(34~53万円)・第2秘書(27~36万円)」が、国から給与が支給されることになっています。
それを「広瀬議員」は、「公設第2秘書(27~36万円)」を勤務実態がないのに、国から搾取したとされています。
この事件について、自民党の森山裕総務会長は7月30日に「広瀬氏が離党を申し入れた」と明らかにしていますね。
だけど、「自民党を離党して記者会見も開かない議員の姿」は、今までにも数多く見ていますからね。コロちゃんは、この方は「法を守る意識」が無かったのかなと思いましたよ。
3.「ウラ金事件があったよね:自民党」
コロちゃんは、上記の「広瀬めぐみ参議院議員」の「公設秘書給与の搾取事件」を聞いて、少し前に騒がれた「自民党ウラ金事件」を思い出しましたよ。
皆さんは「自民党のウラ金事件」で、議員が何人「刑事処分」となったのかを憶えていますか?
多くの方は、「どうだったかな?」と、首を傾げるだろうと思います。実はコロちゃんもハッキリ憶えていませんよ。
コロちゃんが、さっきポチポチ調べてみたら、今回の「自民党ウラ金事件」で「刑事処分」された国会議員は下記の3人のみでした。あとは「会計責任者・秘書」が7人の計10人だけですね。
●「刑事処分された国会議員」
➀「池田佳隆議員:起訴」
➁「大野泰正議員:在宅起訴」
③「谷川弥一議員:略式起訴」(罰金100万円、公民権停止3年の略式命令で処分終了)
違法となる「ウラ金」の金額は、「安倍派※」は2018~2022年の5年間で13.5億円、「二階派※」は5年間で3.8億円、「岸田派※」は3000万円とされていますね。
(※派閥の解散は発表したが政治団体の解散はしていない)
しかし「政治資金規正法(不記載・虚偽記入)」の時効は5年間とされています。
ですから、実際の「ウラ金」を過去に遡れば、10年前あるいは20年前にも行なわれていて、上記の金額が何倍も膨れ上がることは確実と思われますね。
そして、この「自民党ウラ金事件」に関与した議員の総数は、いまだに発表されていません。報道では「悪い事をした政治家の数」は85人とも言われています。
しかし、2024年2月の自民党のヒアリング調査対象者数で85名でしたが、実際には100名を超えるとも報じられていました
そこで、コロちゃんは思うんですよね。この方たちはそもそも「法律を守るべきだ」と考えていたのかと。
このブログの冒頭で、「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」の対立を見てきました。
このコラムニストは、アメリカ大統領選挙の「トランプvsハリス」を描いていました。
しかしコロちゃんは、「日本」でも「政治家たちの世界」では「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」が拡がって来ているのではないかと思ったのです。
4.「法を守らない議員が多すぎる」
コロちゃんが、「政治家たちの世界」では「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」が広がって来ていると考えたのには、「法を守らない議員」の数の多さがあります。
上記の「ウラ金事件」では、自民党の100人以上の関与が言われています。
その理由を報道などでは「多数派のおごり」という声もありますが、そもそも「ウラ金議員たち」は、「法を守るべきだ」と考えてはいなかったのではないでしょうか。
そうとでも考えなければ、いくら何でも100人以上の国会議員がそろって「悪い事」をしようと考えないでしょう。
コロちゃんは、「日本の社会文化」が「普遍的な規範を持つ文化」から「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」に変わってきつつあるように思いましたよ。
5.「稼ぐが勝ちの時代があったよ」
コロちゃんは、この「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」を読んだ時に、直ぐに2005年に起きた「ニッポン放送事件」を思い出しました。
「稼ぐが勝ち※」は、当時ライブドア社長だった「堀江貴文氏」の著書の題名ですね。
(※稼ぐが勝ち:2004年:光文社)
小さな親会社「ニッポン放送」の株を買い占めて、大きな子会社の「フジテレビ」を手に入れようとした「ライブドア社長の堀江貴文氏」は、その著書の題字どおりの生き方をしましたね。
しかし「法律で明文化して禁止されていなければ何をやっても良い」と言わんばかりの行動は、社会の旧体制のおじいちゃんたちから猛烈な攻撃を受けることになりました。
その後の堀江氏は、いわゆる「ライブドア事件」の証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、偽計・風説の流布)の罪に問われ、2008年に懲役2年6月の実刑判決を受けています。
コロちゃんは、当時この報道を聞いて、「出過ぎた釘」が思いっきり叩かれたと思いましたよ。
だいたい「証券取引法違反」のような微罪に対して「実刑判決」は、過去にありませんでしたよ。これは明らかに「国家意思による見せしめの鉄槌」だと、コロちゃんは思いましたよ。
ただ、今この事件を思い起こしてみると、「日本」にもこの当時の若い方の間から「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」が広がっていたのかも知れないと思いましたね。
ただ、ホリエモンは直ぐに叩きつぶされましたから、その後の広がりにはブレーキがかかったのかも知れませんね。
6.「社会がギスギスするだろうな」
この「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」が、今後「日本の社会」で広がったとすると、社会のあちこちでトラブルが増えるのではないかと思いますね。
そして一番問題になるのは、「上位者が法(ルール)は状況次第で守るものという文化」を持っている場合は「無限の権力」を持つようになるということでしょう。
「法律・ルール」の意味が無くなってしまうのです。社会は混乱するでしょうね。
このようなことを、自民党の「ウラ金議員」や今回の「秘書給与搾取議員」は考えていたのでしょうか。
コロちゃん自身は、「社会を維持するためにはある程度のルールは必要」とする立場ですので、「普遍的な規範を持つ文化」を支持しますよ。
物価が上昇してきて、ただでさえ「社会がギスギス」してるというのに、これ以上「社会の緊張が高まるのはゴメン被りたいと思っていますよ。
7.「世論調査で国民の意識を見る」
今日は「社会と法と倫理の意識」について書いてみましたが、ここで現在の「国民の意識」を見てみましょう。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「内閣府 社会志向か個人志向か」より
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-shakai/gairyaku.pdf
出典:内閣府 社会意識に関する世論調査(令和5年11月調査)より(7月31日利用)
上記のグラフは、「内閣府」が昨年2023年11月に行なった「社会意識に関する世論調査」でのグラフです。
「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と「状況的な思想を持つ文化」の質問などのピッタリの調査はありませんので、以下の質問で社会の雰囲気を知ってみたいと思いました。
質問は「国民は『国や社会のことにもっと目を向けるべきだ』という意見と『個人生活の充実をもっと重視すべきだ』という意見がありますが、あなたはどのように思いますか?」です。
要するに「社会と個人のどちらを重視しますか?」ですね。
その回答は、下記でした。
◎「社会と個人のどちらを重視しますか?」
➀「国や社会のことにもっと目をむけるべきだ:55.3%」
➁「個人生活の充実をもっと重視すべきだ:43.8%」
うーむ、なかなか微妙な割合で割れましたね。「国と社会重視55.3%」で、「個人重視:43.8%」でしたね。
( ̄へ ̄|||) ウーム
ただ過去の同じ質問への回答を見ると、年々「個人重視」が増えています。ジワリジワリと「個人重視」が増える傾向にあるようですね。
次に、もう一つだけ「世論調査」を見てみましょう。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「内閣府 社会全体の満足度」より
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-shakai/gairyaku.pdf
出典:内閣府 社会意識に関する世論調査(令和5年11月調査)より(7月31日利用)
上記のグラフの質問は「あなたは、現在の社会に全体として満足していますか。それとも、満足していませんか。」です。
その回答は、「満足している・していない」の2択です。下記をご覧ください。
◎「現在の社会に満足ですか?」
➀「満足している:50.3%」
➁「満足していない:46.45」
うーむ、これも微妙な割合で割れましたね。「現在の社会に満足」と「満足していない」が真っ二つに割れています。
( ̄へ ̄|||) ウーム
しかし、この上記の「満足している50.3%」は、過去の同じデータでは2016~2020年までは60%台でしたから、時代のトレンドとしては減少の過程にあります。ちょっと気になりますね。
8.「コロちゃんの法と倫理の意識」
上記のように、今の社会が「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」の狭間で揺れているのは「アメリカ」だけではなく、世界的現象なのかもしれません。
「岸田総理」は「法の支配」を国際的には発信していますが、足下の「自民党」はどうも「法の支配」は念頭にない模様です。
さらに「世界」を見渡すと、「ウクライナ戦争」と「ガザ紛争」も「法の支配」とはかけ離れた「力の支配」の争いとなっています。
コロちゃんは、昔の青年時代は「法律よりも正義の理念がある」と思っていましたから、とても「順法精神」があったとは言えませんね。
しかし、今では「どんな悪法でもないよりマシ」と考えるようになりましたね。
それは、死刑判決を受け入れて毒杯を飲んで死んだ「ソクラテス」を見習って、コロちゃんが「悪法もまた法である」などと言うつもりはありません。
今のコロちゃんは、「法の支配」を受け入れないと、社会的混乱は必須となると考えているのです。
どんな種類の「社会的混乱」でも、被害者は「社会の下層の人々」です。「社会の上層の人間」は、一部を除いて必ず生き残るでしょう。
現在の「ウクライナ戦争」でも、前線で戦う兵士は「ロシア・ウクライナ」を問わず「社会の下層の人々」でしょう。
「ロシアのオルガルヒ(新興財閥)」や、「ウクライナのオルガルヒ(新興財閥)」の上層の人々は、戦場の後方で「武器の生産」で利益を膨らませているでしょう。
このような「常に社会の下層の人々」が被害を受ける「法(ルール)は状況次第で守るものという文化」よりは、まだ「法の支配」の方がマシだと言うのが、現在のコロちゃんの考えですよ。
今日は、新聞のコラムニストの記事から、「法と倫理についての普遍的規範を持つ文化」と、「状況的な思想を持つ文化」の衝突についての考察をあれこれ書いてみました。
たまには、こんな考察も興味深いかと思いますよ。こんな考察が出来るのも、「日本が平和だから」ですから、今後も平和がずーっと続くことをコロちゃんは願っていますよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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