【ワンコ考】5月の雨

ワンコ

おはようございます。今日は、朝から雨が降っています。コロちゃんが外を伺うと、「しとしとしと」。

音は聞こえませんが、そのような雰囲気で世界が灰色に見えます。どうやら、今日は一日中「5月の雨」が降り続けるようです。

おーさむ。気温もだいぶ下がっていますね。
:;((•﹏•๑)));:サムイ

1.雨の5月

昨日までの天気は、初夏のような5月晴れでした。

太陽もギラギラと輝いて、「ゴールデン・ウイークの遊園地」は、まるで真夏のような暑さでした。かき氷とアイスクリームが美味しかったですね。

子どもたちが笑顔で走り回って、大汗をかいていました。

それが、あっという間にこの冷たい雨です。5月の陽気は変わりやすいとは言うものの、おじいちゃんのコロちゃんでは、身体がついていきません。戸惑うばかりです。

今朝は、昨日までと打って変わって、雨と冷気が押し寄せてきています。

あたかも「ゴールデン・ウイーク」が終わったことを告げるかのような「お天気の急変」です。

コロちゃんちは、みんなが帰って、元の静かな日々が戻ってきました。

そのちょっと虚脱したような気分の中で、じっと雨の風景を静かに見渡すのも悪くはないとコロちゃんは、その雰囲気を楽しんでいます。

2.雨の散歩

コロちゃん+ワンコの、毎朝の日課は「お散歩」です。

今日はシトシトと雨が降っていますから、いつものコースを歩くことはできません。

それで、近くの道路の高架下の雨が防げるところで、行ったり来たりして、短い散歩としています。

ワンコは、そんな短時間でも、一生懸命にクンクンクンと、においをかぎまくります。

朝のこの時間は、誰もいませんし、車も高架の上は走っても、高架下は一台も通りません。

静かな雨と静かな世界を、コロちゃんとワンコがゆっくりと行ったり来たりします。

昨日までのにぎやかさも良かったですが、今日の静かさもまた悪くはないと、コロちゃんは感じています。

「ハレ」から「ケ」への回帰ですね。

3.雨と「ハレ」と「ケ」の日々

皆さん、「ハレ」と「ケ」ってご存じですか?

以下の引用をご覧ください。

「ウィキペディア  ハレとケ」より

「ハレとケとは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ」

「民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している」

「ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、ケとは画然と区別した」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%81%A8%E3%82%B1
ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典:「ハレとケ」最終更新 2022年10月15日 (土) 00:38 

上記の引用をみると、皆さんの生活の中にも、特別な日である「ハレ」と日常である「ケ」は混在していると思います。

皆が貧しかった時代には、「ハレ」の日は、年に数日しかなく、とりわけ貴重な日々であったことは、想像に難くありません。

コロちゃんにとって、先日長男一家と次男一家が集合したゴールデン・ウイークは、明らかに「ハレ」の日でした。とっても貴重な日々でした。

そして、それが終わってしまった今日こそが、日常である「ケ」の日々なんです。

この「ハレ」と「ケ」の落差が大きいほど、「ハレ」の素晴らしさ、貴重さが際立ちます。

コロちゃんにとっては、先日の「貴重なハレの日々」を、「ケ」に戻った今日の雨の中で、静かに追憶するのもまた楽しいですね。

4.雨とミュージック

雨の日は、普通は陰鬱な気分になる方が多いようですが、コロちゃんはちょっと違います。普段と違う世界がほの見える気がするのです。

その世界は過去の思い出の世界です。

若い時によく聞こえていた歌が頭に流れるのです。

あれから50年ほどたってしまいました。思えば遠くへ来たもんだと思いますね。

「♪雨が止んだら お別れなのね・・・ドアにもたれて 涙にむせぶ♪」
(雨が止んだら 1970年 歌:朝丘雪路 作詞:なかにし礼 作曲:筒美京平)

さみしい雰囲気の曲ですけど、流行ったなー。この曲が街に流れていた時は、コロちゃんは、まだ20歳前後ですね。

この曲のような艶っぽいことは、コロちゃんの周りには無かったですけど、それ以外の出会いと別れは、沢山経験したような気がしますね。

「♪小ぬか雨降る御堂筋・・・・あなたを訪ねて 南へ歩く♪」
(雨の御堂筋 1971年 歌:欧陽菲菲 作詞:林春生 作曲:ザ・ベンチャーズ)

この曲は、もともとはザ・ベンチャーズの曲だったのですね。欧陽菲菲がカバーして日本で大ヒットしました。

この時代1970年代は、歌謡曲の全盛期です。テレビでも歌謡番組が何本もあり、ほとんど毎日のようにこの曲が流れていました。

「♪雨に濡れながら 立たずむ女(ひと)がいる・・・じっと耐えるのが 務めと信じてる♪」
(雨 1972年 歌:三善英史 作詞:千家和也 作曲:浜圭介)

改めてこの曲を聴くと、思わず「こんな女(ひと)いるの?」と突っ込みたくなるような、昔の日本的女性をうたっているような歌詞ですが、当時はそうは考えていませんでしたね。

時代は1970年代初頭です。新しい価値観の団塊世代と、戦前のままの旧世代が交錯した混乱期です。

その中で、昔の日本を美化して、以前の価値観での美しい女性像を追憶したことが、この曲がヒットした理由かもしれないとコロちゃんは、今から振り返って思います。

あー、これらの曲を聴くと、当時が思い浮かびます。何とも甘酸っぱく切ないような気分になりますね。
(・_・).。oO(ナツカシイ

5.雨と俳句

天候が変わり、心境に変化があると、やはり「文化」の香りに興味が向きます。

コロちゃんは、このブログのポチポチ原稿をお読みになってもおわかりでしょうけど、「文化」には縁遠いです。

はっきり言って「教養」がありません。
(๑′-﹏-๑)シュン

ですから、このブログには「文化」は期待しないで下さい。

しかし、そうはいっても、チャレンジだけはしなければなりませんので、雨の俳句をとりあげて、その後にコロちゃんの俳句をご披露します。お笑いください。

五月雨を あつめて早し 最上川 』
(松尾芭蕉)

この俳句は、松尾芭蕉が、雨で増水した最上川(山形県)を川下りした経験を、船町の大石田という地域で行なわれた句会で詠んだものだそうです。

情景が目の前に浮かぶようですね。河川の急流の雰囲気がよく出ています。

五月雨や 胸につかへる 秩父山
(小林一茶)

「秩父山」という山はないそうなので、これは秩父を代表する山の「武甲山」のことかと思われます。

武甲山は秩父盆地の南端にあり、近年はセメント原料として大規模に削られ、山容は半分以下に縮んでしまっています。

この山は、急にそそり立っているような圧迫感があったそうですから、間近に見た小林一茶が「胸につかえる」と詠んだのでしょう。

ちなみに、コロちゃんの今は亡きかーちゃんが、若いころにこの山のハイキングコースを登ったことがあると言っていましたね。

『五月雨や 大河を前に 家二軒』
(与謝蕪村)

この句も、情景が目に浮かびます。リアリズムの極致のようですね。

蕪村は松尾芭蕉とともに、有名な江戸時代の俳人です。コロちゃんが選ぶのは、誰でもが知っているような有名な俳句ばかりです。

それぐらいしか知らないんです。
o(T^T)o クゥー!

それでは、最後にコロちゃんが「5月の雨」を俳句で詠みます。

『五月雨だ ゴールデンウイーク もう終わり』
byコロちゃん

どうですか、楽しかった「ゴールデンウイーク」が終わったことを、5月の雨が知らせてくれたという内容を詠んだものです。

最後の「もう終わり」に、そこはかとない哀愁が漂っていませんか?
( ̄‥ ̄) ドヤッ!

6.後に残ったのは「5月の雨」と「おもちゃの足」

昨日で、コロちゃんの「ゴールデン・ウイーク」が全て終わりました。

みんなが集合して、一緒にワイワイ食事をして、一緒に遊園地へ行き、走り回って遊んで、帰宅したら、ワンコと散歩をし、また遊んで、そして涙を流しながらお別れをして、終わりました。

あー、楽しかったなー。
あー、面白かったなー。
あー、わいわいがやがや、にぎやかだったなー。

現在のコロちゃんの心境は、「祭りの後」ですね。

楽しかった「思い出」と共に、無事に終わった安心感と虚脱感が心地よく全身に満ちています。

そして今日、残っているのは「五月の雨」と「思い出」だけではありません。

もう一つ、小テーブルの下に、おもちゃの足が転がって残っていました。

これはどの子のものだったかなー。

子どもたちが次にコロちゃんちに来るまで、大切に保管しときましょう。

また逢う日を楽しみにしているよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

NoName_13によるPixabayからの画像
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