【生活考】コロちゃんとヨメ様たち

生活

おはようございます。昨日の事なのですが、コロちゃんに「編集長&株主様」の「次男一家家長様」から☎がありました。

コロちゃんは、普段「長男・次男」とは「Lineメール」で連絡をしていますから、☎がかかってくることは少ないのです。

コロちゃんは、久しぶりだなーと思いながら☎に出ますと、叱責がきました。

by<br>編集長&株主様
by
編集長&株主様

コロ

最近【生活考】が少ないゾ!

年末年始の帰省の記事も、ちょこっとだけだったな、

もっと【生活考】を増やせーーー!

あらら、叱られちゃったよ。だってコロちゃんの記事は毎日投稿してるんだよ。【生活考】に書くような「変化」なんて、そんなにないよー。
ヾノ´゚д゚`)ナイナイ

それに「年末年始の帰省の記事」も書いていたような・・・、あったあった、これだよね。

【生活考】あなたは「年末年始」に実家へ帰りましたか?

あー読んでみると、確かに「帰省したこと」は書いたけれど、何をしたのかをまったく書いていなかったですね。

この時の「次男親子の帰省」は3泊4日だったから、もっと詳しく書けばよかったなー。なんで書かなかったのかなー?

多分「お正月」で、コロちゃんも気が緩んでいたんでしょうね。はー、まいったなー?
ε=(・д・`*)ハァ…

・・・分かりましたよ。よし、今日から「週に1回以上は【生活考】」に取り組みましょう。
(๑•̀ㅂ•́)و✧グッ!

そして「長男・次男一家と一緒の行動」は必ず【生活考】で取り上げる方針としましょう。

そんな決意を固めたコロちゃんが、きょうは「コロちゃんとヨメ様たち」をカキコキしますね。

0.「今日の記事のポイント」

by<br><span class="bold-blue">コロちゃん</span>
by
コロちゃん

今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。

☆「コロちゃんと二人のヨメ様と、1970年代以降の家族のあり方の変貌を見る」

☆「女性は戦後になって初めて解放されたよと、ヨメ様たちはどう考えていたのか?」

☆「親子と言えども別の家庭だよと、コロちゃんと亡くなった妻」

1.「コロちゃんと二人のヨメ様」

コロちゃんには、現在「長男のヨメ様」と「次男のヨメ様」と二人のヨメ様がいます。二人ともコロちゃんとの関係は良好です。

いつもコロちゃんを「お義父さん」と読んでくれて、会うとその都度いろいろ気を使ってくれているのが良くわかりますね。

コロちゃんは、最初に彼女たちから「お義父さん」と呼ばれた時のことを、今でもハッキリと憶えていますよ。

最初の言葉は「お義父さん、コーヒーいかがですか?」だったような・・・。
ʅ(。◔‸◔。)ʃ…ハテ?

ハッキリ憶えてないじゃん!
( ¯▽¯ )エヘヘ

コロちゃんと息子夫婦は、最初から「別居」していますから「お義父さん」と呼ばれたのは、コロちゃんがそれぞれの居宅を訪問した時でした。

呼ばれた時にコロちゃんは、「気恥しい」ような「嬉しい」ような、何とも言えない感情を喜んでいたことを思い出しますね。

もともとコロちゃんは、「独立した息子たち」に対して「上から目線」は持っていません。だから「ヨメ様」に対しても、「あとは夫婦2人で頑張ってね」のような気持ちでいましたよ。

2.「1970年代以降の家族のあり方の変貌を見る」

コロちゃんの「ヨメ様」に対する姿勢のあり方には、1970年代以降に大きく変化した「日本の家族のあり方」の認識があります。

下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出しますね。

「農林水産省 世帯構造別に見た構成割合の推移」より

https://www.maff.go.jp/j/syokuiku/plan/4th/attach/pdf/refer-8.pdf
出典:農林水産省:社会環境の変化/世帯構造の変化より:1月17日利用

上記のグラフは、「農林水産省」が発表した1970~2019年の「世帯構造別にみた構成割合の推移」です。

コロちゃんは、この中の「3世代家族の変化」を注視しています。1979年以前の他のデータとともに、「3世代家族の割合」を書き出しますね。

◎「3世代家族割合」(少数点以下切り捨て)

➀「1955年:37%」
➁「1960年:30%」(団塊世代の都市部移動開始)
➂「1970年:19%」(団塊世代の都市部移動終了)
➃「1980年:16%」
➄「1992年:13%」
➅「2001年:10%」
➆「2010年: 7%」
➇「2019年: 5%」

https://www.maff.go.jp/j/syokuiku/plan/4th/attach/pdf/refer-8.pdf
(出典:農林水産省:社会環境の変化/世帯構造の変化より:1月17日利用:➀➁は他)

まず上記の「3世代同居」の意味は、かつての日本では「長男のヨメは親と同居するのが常識の社会だった」ということです。

上記を見ると、「➀1955年:37%」の時代の「長男のヨメ」は、「親と同居」して舅と姑の「権力と経済力」の下で小さくなって生活していたのですよ。

その「舅、姑とヨメの関係」が、大きく変化したのはその後になります。

「➁1960年:30%」~「➂1970年:19%」に起きた「団塊世代(1947~1949年生まれ/2025年現在75~78歳)」の都市部への大移動が、「長男のヨメは親と同居」の常識を破壊したのです。

この「1960~1970年の10年間」に、「団塊世代」は進学・就職を契機として「三大都市圏」に210万人(当時の地方圏居住者の3割)が移動したとされています。

彼ら彼女らは、その後の20代に相次いで「都市部で結婚」して、家庭を築いていきました。当然の事として「地方に残った親との同居」は不可能となりました。

その時に「ヨメ様たち」は、どのように考え受け止めたのか? それは「たとえようもない解放感」ですよ。次にコロちゃんの見方を書きますね。

3.「女性は戦後になって初めて解放されたよ」

「日本社会」における「女性の地位」は、かつてはとても「低かった」のです。戦争前の「旧民法」には「家族制度:戸主権」と言うのが存在していたのです。

この「戸主権」とは「絶対的な権力」です。家族の「結婚」や「居住地」も戸主の同意が必要とされていました。

そして「戸主」を引き継げるのは、代々原則「長男」と決まっていました。その代わりに「戸主」は、家に所属する家族全員を扶養する義務がありました。

そして、今ではみんな驚くと思いますが「ヨメには相続権も無かった」のですよ。

この「旧民法」は1947年(敗戦2年後)に廃止されて、翌年の1948年に現在まで続く「新民法」が施行されて、ようやく「女性の権利」が認められることとなったのですよ。

この「戸主制度」を聞いて、何か思い出すことはありませんか?

そうなのです。今に残る「昭和の遺物」とされる「男女の格差」や「セクハラ親父」や「女性管理職の少なさ」などは、全てこの70年以上前まで施行されていた「旧民法の精神」そのものなのです。

それから解放されて、もう76年が経つはずですが、下記のように未だに「男女格差」は残っていますね。

◎「男女間賃金格差」(男性の賃金を100とする:少数点以下切り捨て)

●「2022年:75%」

(出典:独立行政法人:労働政策研究・研修機構:一般労働者の月額賃金における男女格差が2年連続で縮小より)

◎「課長相当職以上の女性管理職割合の推移」(少数点以下切り捨て)

●「2022年:12%」

(出典:独立行政法人:労働政策研究・研修機構:ビジネス・レーバー・トレンド2022年10月号より)

コロちゃんは「戦後派世代」ですから、上記のような「男女の格差」は「憎むべき昭和の遺物」だと考えていますよ。とっとと「解消しろよ!」といつも言っていますよ。

4.「ヨメ様たちはどう考えていたのか?」

上記の様に「団塊世代」の女性が、大挙して都市部へ「就職・進学」で異動し、その後「結婚・子育て」と入っていきました。

その中で、多くの女性が感じたことは「大家族のヨメからの解放感」だったと思います。当時の「結婚した女性たちの憧れの住まい」は、「2LDKの団地」でした。

ここには「権威と経済」を握っていた「舅と姑」がいません。

地方在住の「大家族」とは違い「子育て」も妻が担えます。地方では「子育て」は姑の役目とされていたのですよ。

地方の「封建的な社会制度と雰囲気」は、「旧民法が新民法」に変ったからと言って、一夜で変化するはずもありません。

現に今だに、地方からは「若い女性」が都市部へ移転が続いているのですからね。

そんな女性のヨメ様たちが、いまさら過去の「舅・姑との関係」に後戻りするはずもありません。コロちゃんは、そんな意識で現在「二人のヨメ様たち」とお付き合いしていますよ。

5.「親子と言えども別の家庭だよ」

ここでコロちゃんの「家庭観」を書きたいと思いますね。「長男・次男」のそれぞれの家庭は、コロちゃんちとは「別の家庭」です。

ねっ、わかりやすいでしょう?

コロちゃんの頭にあるのは「1648年に締結されたウェストファリア条約」ですね。この条約は歴史上最初に「国家主権」が認められたことで有名ですね。

この「ウェストファリア条約」以降、「主権国家」や「内政不干渉」が認められるようになり、現在の「国際関係」も、この基盤上に成り立っています。

一言で言えば「よその家庭内(国)の事には口を出しちゃダメ」ですね。コロちゃんは、このように「子が自立した後の親子関係」を見ているのですよ。

ただし個人の親子関係には、かつての「経済・運命共同体」だった記憶が残っていますから、ちょっとした逸脱ぐらいは許されるかとも、コロちゃんは考えていますよ。

だからコロちゃんは、ヨメ様から「お義父さん」と呼ばれると、ムフフと嬉しくなりますけれど、同時に自分自身に「図にのっちゃダメだよ」と言い聞かせていますよ。
(๑´ლ`๑)ムフフ♡

コロちゃんにとって、1970年代の青春時代からの信念だった「自立」は、その後実現出来ています。

その「自立」とは、他者からの「干渉・介入」を拒否することでもありますね。

その「自分が拒否する介入・干渉」を、ヨメ様たちに行なったら、それこそ「言行不一致」の「ウェストファリア条約違反」になってしまいますよ。

これが、現在70代になったコロちゃんの「家族観」ですよ。

6.「コロちゃんと亡くなった妻」

コロちゃんは、1970年代初頭に今は亡き妻と一緒になりました。

妻のご両親はすでに亡くなっていましたので、コロちゃんは「お嬢さんをください」というイベントはやりませんでした。

その代わりに向かったのは、妻の親代わりを務めていた「妻の姉夫妻の家」でしたね。

ここでコロちゃんは、妻と結婚したいと報告して了承を得たのですよ。当時はまだまだ双方の「実家」へ挨拶へ行くことは常識とされていましたね。

しかし、その後はお互いの居住地が離れていたこともあり、コロちゃんたち夫婦の生活への干渉は全くありませんでした。

コロちゃんたち夫婦は、2人だけの生活を自由に満喫することが出来たのですよ。

その後の生活は、決して順調な時ばかりではありませんでしたね。なにしろ1970年代の初頭の頃は、若者の給料は安かったのですよ。

コロちゃんと妻は、2人とも働いていましたが、お互いに多くの方と交流・活動をしていましたから、当時は貧しかったなー。いつも金欠でピーピー言っていましたよ。

そうそう「妻の和服」を質屋に預けた事もありましたね。だけど、今振り返ってみると、あの頃が一番楽しかったなー。
(゚_゚).。oO(アー)

その後コロちゃんが転職したこともありましたし、子どもが産まれた後には自分たちだけで何とかしなければなりませんでしたから、妻もコロちゃんも苦労しましたね。

だけど、このようにしてコロちゃんたち夫婦は、親の支援も介入もなく子育て期を、夫婦二人で乗り越えてきたのですよ。

それは「誰も頼れないという厳しさ」もありましたが、「縛られることも介入されることもない」ということでもありましたよ。

こんな経験を持つコロちゃんは、「長男・次男のヨメ様」には、お互いに「距離感をもって尊重し合う関係」が一番居心地が良いと考えていますよ。

今日は、いつものブログ記事と違い、【生活考】としてコロちゃんの赤裸々な「長男・次男のヨメ様」との関係を激白してみましたよ。

これをお読みの皆さんが、結婚していらしたらお互いの親御さんの事を頭に浮かべてみてください。またコロちゃんのような年配者でしたら、ご自分の考えと比べてください。

コロちゃんは、多様な価値観を大切にしますから、コロちゃんの考えと違っていても良いと思っていますよ。コロちゃんの体験と考えが少しでも、皆さんのお役に立てれば嬉しいですよ。

コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。

このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)

おしまい。

myungho leeによるPixabayからの画像
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