お早うございます。今日はコロちゃんとその一行の「沖縄旅行」の最終日です。どんな楽しい日々であろうと必ず終わりの日は来ます。
コロちゃんは、朝起きてみんなと合流すると、最初に「あーちゃん(2歳)」の眉毛の中の傷を確認しました。
透明のテープの中で出血している様子が見えます。幼い子どもの顔が出血しているのを見るのは痛々しいですね。心が痛みます。
そして瞼全体が少し腫れているようにもみえます。しかし「あーちゃん(2歳)」は元気でしたね。ケガのことなど頭にないように溌剌していました。
「あーちゃん、おはよう」byコロちゃん
「うん!」byあーちゃん(2歳)
「あーちゃん(2歳)」のお返事は、いつもの元気な「あーちゃん(2歳)」でしたよ。
「あーちゃん(2歳)」は呼ばれると、いつも人差し指を1本立ててお返事をするのです。かわゆいなーー。
カワ(ღˇᴗˇ)。oイイ!!
コロちゃんは少しホッとしましたよ。
さて、今日は全員が自宅まで帰る日です。やらなければならない事はしっかりと進めましょう。コロちゃんは、自分が足手まといにならないように心がけますよ。
なお、この「めんそーれコロちゃん④」は、「めんそーれコロちゃん➀➁➂」の続編になります。
まだ「めんそーれコロちゃん➀➁➂」をお読みになっていない方は、下記のリンクからお読みください。
0.「今日の記事のポイント」
☆「朝食はバイキングですと、那覇空港で二家族がお別れです」
☆「子どもたちはお別れ前のクレーンゲームですと、飛行機は那覇空港を飛び立ちました」
☆「コロちゃんと長男一家の別れと旅の総決算」
☆「コロちゃんの子育てと、コロちゃん家族の自然体験」
☆「記憶は薄れても、楽しかった思い出は残るよ」
1.「朝食はバイキングです」
このホテルでの最後の食事が、今朝の「朝食バイキング」です。もう何回もこの「バイキング」を食べていますから、コロちゃん一行も、もう慣れたものですね。
最初に場所をとってから、それぞれが好きなメニューをチョイスして集めてきます。テーブルが4人掛けでしたから、二つのテーブルを合わせると、全員が一緒に食べられますね。
「たーくん(5歳)」は「海苔が好き」です。左手に「海苔の袋」を5枚ほど握って「満足顔」ですね。
「なーちゃん(9歳)」は「トマトが好き」。トマトを山盛りにしています。
それから「ゆーちゃん(0歳)」はまだ母乳ですから食べられません。
うーん、「すーくん(4歳)・あーちゃん(2歳)」は、何が好きだったかな?
σ( ̄^ ̄)はて?
下記のフォトを見ると「すーくん(4歳)」は、ショコラ(?)とフライドポテトを食べているように見えますね。
あ、左手に「海苔」を握っているから、「すーくん(4歳)」も「たーくん(5歳)」と同じく「海苔」が好きなのかもしれませんね。
よく見ると「あーちゃん(2歳)」も右手で「海苔」を持っていますね。
なんだなんだ、子どもたちはみな「海苔が好き」だったのですね。なお、一番右端でまったりと子どもたちを見ているのが、もう朝食を終えたコロちゃんです。
年寄りは食事を食べ終わるのが早いのですよ。ただ、この時にコロちゃんが考えていたことは、年代が大きく分かれる集団の食事は「バイキング」が向いているということでしたね。
コロちゃんのような高齢者は、和食や納豆などの朝食が好みです。しかし、子どもや若い方は洋食の方が好きでしょう。
どちらも我慢することがなく、好きなものを食べられる「バイキング」は、コロちゃんたちのようなグループには向いていると考えていましたよ。
2.「那覇空港で二家族がお別れです」
さて、朝食バイキングを終えると、ホテルをチェックアウトして、今度は来た時とは逆にレンタカーで「那覇空港」に向かいます。
「那覇空港」についても、お土産は「最初の日」に購入して発送済みですから、ゆっくりとできますね。
だってこの日の午前中は、「朝食バイキング」+「ホテルチェックアウト」+「レンタカー移動」+「那覇空港着」で終わってしまっているのです。
コロちゃん+「長男一家」が先に「那覇空港」に到着して、「次男一家」と再び合流した時間は、既に12時近くになっていました。
コロちゃんたちは、「那覇空港のレストラン」で昼食を食べましたが、このスケジュールを見ると、初日に「お土産を購入+発送」していたことが大正解だったことがわかりますね。
いやいや、子ども連れの旅は移動だけでも大変だと、コロちゃんは思いましたよ。
下記のフォトは、「長男一家家長様」がホテルのチェックアウトをしている時間に、ロビーでぐったりしているコロちゃんです。
膝にはすっかり懐いた「すーくん(4歳)」と、隣で立っている「たーくん(5歳)」がいます。コロちゃんは疲れていましたけれど楽しかったですよ。
3.「子どもたちはお別れ前のクレーンゲームです」
さて、いよいよ「飛行機」の時間が迫ってきました。そんな時に「たーくん(5歳)」がいきなり言い出します。
「ジイジ、クレーンゲームがやりたい、やりたい、やりたい!」byたーくん(5歳)
実はこの日の「朝食バイキング」を済ませた後に、「子どもたち(なーちゃん・たーくん・すーくん)」が「クレーンゲームがやりたい」と言い出していたのです。
そこでコロちゃんは、ホテル内の「ゲームコーナー」に子どもたちを連れて行ったのですが、開店が9時からで出来なかったのです。(その時点の時刻は8時30分)
「たーくん(5歳)」は、その事が心残りだったのでしょう「那覇空港」でみんなで昼食を食べた後に、もう時間があまり残っていない中で、いきなり言い出したのです。
コロちゃんは、混雑している那覇空港のロビーの中で「クレーンゲームが近くにあるかな??」と、レストランを出てみると、なんと向こうの方に見えるじゃありませんか。
「よし、たーくん時間がないからね。1回だけだよ」byコロちゃん
「うん!」byたーくん(5歳)
子どもたちが、それぞれ100円玉を握りしめて「クレーンゲーム」に挑戦していると、なんと「すーくん(4歳)」が見事「薄いブルーのイルカ」をゲット!
これを見ていた「たーくん(5歳)」は、「もう1回、お願いもう1回!」。
・・・願いはかなえられませんでした。だって「飛行機の時間が迫っていたんだもん」。
p(`ε´q)ブーブー
「クレーンゲームでお宝ゲット」は、今度の機会にしようね「たーくん(5歳)」。
悔しくて地団太を踏む「たーくん(5歳)」でしたが、世の中は思うようにはいかないのが常です。それを5歳児が体験するのも、今後の「長い人生の糧」となるでしょう。
(おいおい、偉そうだぞ!)
ヽ( ̄Д ̄*)ォィォィ
いえいえ、こんなことを考えることができるのも「年寄の特権」でしょう。
(^0^)v ブイッ
そんな風に考えながら、暖かい眼で子どもたちを眺めていたコロちゃんでしたよ。
4.「飛行機は那覇空港を飛び立ちました」
いよいよコロちゃん一行も、今度は本当にお別れになりました。
「次男一家」は東海地方に在住していますから、ここ「那覇空港」から「セントレア(中部国際空港)に向かいます。
そしてコロちゃん+「長男一家」は、ともに「羽田空港」に飛び立ちます。
子どもたち5人が、「祭りの後※」の別れを惜しんでいますね。
(※祭りの後:楽しい時間が終わって興奮から醒めた虚脱感や寂しさ・静けさをあらわすときに用いる慣用句)
だけどコロちゃんは思うのですよ。「あと何年このような楽しい時間がもてるのかな?」と。
子どもたちは、今後成長する中でだんだんと親の考えや感情を乗り越えて行くでしょう。いずれは、親族・従弟・従姉妹と遊ぶよりは別の行動を選好するようになるでしょうね。
それに、コロちゃんだっていつまでみんなについて行けるかはわかりませんよね。まあ、先のことを考えてくよくよするのはコロちゃん流ではありません。
コロちゃんは、これからもしばらくは「このような楽しい時」を過ごすこそが出来るでしょう。ちょっと残念だったのは、3年前に亡くなった「妻」がこの場にいなかったことですね。
もしまだ「妻」が健在だったら、コロちゃんと手を握り合って喜んだと思っていますよ。
(妻はコロちゃんと手を握り合うようなことはしたことがありませんでした。とにかく自立心が強くプライドが高い女性でしたね)
5.「コロちゃんと長男一家の別れと旅の総決算」
「那覇空港」を13時過ぎに飛び立った飛行機は、無事16時には「羽田空港」に着地しました。その後は「長男一家家長様」の運転で一路埼玉県に向かいます。
「長男一家宅」へ着いたのが18時で、コロちゃんは「長男一家」で夕食を頂いてから帰宅しました。
帰宅直後の忙しい中をごちそうさまでした「長男一家ヨメ様!」。茄子うどん、とても美味しかったですよ。
コロちゃんは、自宅に帰宅すると直ぐにワンコを迎えに「ペットホテル」に行き、帰宅は21時でしたね。
その少し前に「次男一家家長様」から「帰宅しました」とのメールがありましたから、この時点で「めんそーれコロちゃん」は全て終了しました。
今回の旅では「あーちゃん(2歳)」のアクシデントがありましたが、これは今後カバーするしかないと思っています。
コロちゃんとしては、みんなにいろいろ面倒をかけたことは済まないと思っていますよ。
しかし、この「沖縄旅行の3泊4日」は実に濃密な時間を過ごすことが出来ましたね。コロちゃんは満足していますよ。
最後にコロちゃんは、「長男一家家長様」に「会計はいくらかかったの?」と聞いています。
大体の計算だと以下のようになるようですね。
◎「3泊4日沖縄旅行」
➀「飛行機料金:30万円弱」
➁「ホテル料金:20万円強」
➂「その他 :30万円弱」
➍「総計:80万円弱」
この「➂その他:30万円弱」には、「レンタカー料金・ガソリン代」や「テイクアウト飯・コンビニ飯」等も全て入っているとのことでした。
なにしろ「コロちゃん一行」は全員で10人もいますからね。やはりそれなりの費用がかかってしまいますね。
「ありがとうございました、長男一家・次男一家の皆さん」byコロちゃん
6.「コロちゃんの子育て」
コロちゃんは、昨日の「めんそーれコロちゃん➂」で、子どもの「体験格差」について書いています。
その内容は、「小学生の頃の自然体験」は、その後の高校生になった時の「外向性や自尊感情が高くなる」効果があるとしたものでした。
誰でも親になれば、子どもを遊びに連れて生きたいと考えるのは同じことだと思いますよ。しかし、最近は特にそれがかなえられない親子も出てきているということだと思うのですよ。
コロちゃんが子育てをしていた時代は、1980年代の後半以降となります。子どもたちが小学生だった頃というと、1990~1998年になりますね。
ここでコロちゃん夫婦が、その時代(1990~1998年)に、どのような子育てをしていたのかをちょっと見てみましょう。
皆さん、現在とは時代が違いますが「子育てをする親」は、皆同じような考えを持っていると思いますよ。
以前にもコロちゃんはこのブログで書いていますが、少年コロちゃんの家には父親がいませんでした。母が病院で勤務して家計を支えていました。
祖母が和裁をしたり、貸家を持っていましたので、さほど家計は苦しいということはなかったようですが、コロちゃんは「夏のキャンプ」や「自然体験」などは一切経験できなかったですね。
と言うか、コロちゃんが「家族で出かけた記憶」は一切ありませんでしたね。
だから、コロちゃんは自分が子どもを持った時には「自分の子どもには、自分の子ども時代のような経験はさせない」と強く望んでいたのですよ。
一方、コロちゃんの相棒である「妻」は、小学生低学年の頃に父親を脳溢血(?)で亡くしています。兄弟姉妹が5人いたので、家庭は貧窮の中にあったらしいですね。
そして母親が50代で亡くなり、妻は東京に出てきて洋裁の個人会社に勤めたと言っていましたね。彼女もまた早く父親を亡くして、家族で旅行したりは無かったようです。
だから、妻もコロちゃんと同じように、自分の子どもには「楽しい子ども時代」をおくって欲しいと強く願っていたのですよ。
そして、「子ども時代」が貧しかったコロちゃんと妻は「二人の男の子」を授かることになりました。その後の生活を「自然体験」という面からちょっと見てみましょう。
7.「コロちゃん家族の自然体験」
時代は1980年代の末ごろに遡ります。上記でも書きましたが、コロちゃんの二人の男の子が「小学生」だったのは「1990~1998年」です。
今から振りかえってこの時代(1990~1998年)を見ると、「バブル崩壊(株価崩落は1990年:土地価格暴落は1991年)」とその後の時代ですね。
そして1990年代の末には1997年に「北海道拓殖銀行や「山一証券」が破綻し、1998年に「日本長期信用銀行」や「日本債券信用銀行」が破綻しています。
更には「就職氷河期(1993~2005年)」の真っただ中にあたります。
「日本の経済史」を俯瞰すると、そんな光景が拡がる時代の1990~1998年に、コロちゃんの子どもたちが小学生だったのです。
しかしコロちゃん一家は、そんな事は知らないよとばかりに、2人の男の子とキャンプに行っていましたね。
長男が「ボーイスカウトに入隊」したのが1992年(小学校2年生)の時です。それ以降は、毎年「ボーイスカウトの夏のキャンプ」がコロちゃん家族の定例の行事になりました。
ここで「ボーイスカウト運動」について、簡単に触れておきますと、この運動は1900年代ごろのイギリスで生まれています。
最初の提唱者は「ベーデン・パウエル卿」と言うイギリス貴族の軍人ですね。この方は「青少年教育としての自然環境の中での活動」を提唱しています。
簡単に言えば「キャンプをすると少年教育に良い事があるよ」と言う制度なのです。
しかし、この「ボーイスカウト運動」は、すでに120年以上の歴史があり、その間に「第1次世界大戦・第2次世界大戦」の二つの戦争を経ています。
その影響は「ボーイスカウト運動理論」を、その都度ブラッシュアップさせています。
それだけに「青少年運動」としては「活動理論・制度・教育システム」が、実に緻密に練り上げられているのですよ。
コロちゃんは、最初は子どもたちがキャンプに興味があったから、付き添いで参加したのですが、そのうちに興味を持つようになり、この「ボーイスカウト運動」に深くかかわるようになりましたね。
話を戻しますが、上記のようにコロちゃんたち家族4人は「ボーイスカウト運動」に参加していました。
その活動の中で、コロちゃんの二人の子どもたちは、おそらく同年代の子どもたちの中でも、一番数多くのキャンプ体験をしていたと思います。
「夏のキャンプ」以外にも、「春のゴールデンウィークのキャンプ」、「秋のキャンプ」などなど、とにかく沢山のキャンプに毎年参加しています。
特に記憶が鮮明に残るのは、1998年に秋田県の森吉高原で開かれた「第12回日本ジャンボリー」でしした。この大会は参加人数2万6千人、4泊6日(車中1泊)の大会でしたね。
この大会に、コロちゃんはリーダーとして、二人の子どもはボーイ隊スカウトとして参加しています。これはコロちゃんには忘れられない思い出ですね。
また他にも子どもたちは、1991年から4年連続で「市の主催するキャンプ」に参加していますね。これは母親と子どもの参加ですね。コロちゃんは同行していませんでした。
さらに、コロちゃんの職場の同僚10人が、年に1回家族全員で「海水浴で2泊3日の旅行」をすることもしていましたね。
これは毎月積み立てをして、千葉県の海岸の民宿までの移動は、大型バスを借り切っていました。運転手は大型2種免許を持っていた同僚が務めました。
この「海水浴2泊3日の旅行」は、毎年の幹事を同僚が交代で務めましたから、ちょうど幹事が一回りする10年間毎年行ないましたよ。
これ以外にも「東京ディズニーランド」には、ほぼ毎年近く行きましたね。今フォトを見てみると、いやいや数多く当時の光景が出てきました。
今コロちゃんが振り返って見ても、コロちゃんの30代後半から40代前半は、仕事以外にはこれらの「家族との行事」が全てを占めていたようにも思えます。
これは、コロちゃんが単に親の義務として行ったことではありません。義務だけではそんなに熱中出来ませんね。
もっと単純に「少年コロちゃんが望んでも得られなかった子ども時代」を、自分の子どもと一緒に行動することによって「追体験」したのですよ。
この感じ方は、おそらく今は亡き「妻」も同じだったと思いますよ。だから、あれだけ一生懸命、全力で、子どもたちを連れて「キャンプ」や「海水浴」などを遊び倒したのでしょうね。
8.「記憶は薄れても、楽しかった思い出は残るよ」
今日は「めんそーれコロちゃん④」と、沖縄旅行の最終日の様子を書いてみました。その後に皆さんが興味があるだろうと思われる「旅の総決算」を加えました。
いやいや、やはり「沖縄旅行」は飛行機料金が高い分だけ「総支出額」が増えますね。コロちゃんの子育て時代では到底行けませんでしたよ。
そして、その後に「コロちゃんの子育て」と「コロちゃん家族の自然体験」を参考までに書いてみました。
こちらの部分は、コロちゃんの子育ての本音が書かれています。今回この内容を書いていて、昔を思い出していたのですが、もう30年以上も前のことになるのですよね。
「夏のキャンプ」や「海水浴」の詳細な内容はもうすっかり忘れているのですが、これらのフォトを見ていると、当時の楽しかった思い出がジワジワと心に暖かく湧きあがってくるのです。
この喜びは、今回の「沖縄旅行」へ行った子どもたちも同じだと思われますね。そして、将来に子どもたちが家族や子どもを得た時に、思い出して楽しんでくれれば嬉しいですね。
小さい子どもたちには、出来るだけ多くの「自然体験」や「楽しい思い出」を持たせてあげたいものだと、コロちゃんは心から思いますよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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