お早うございます。今日コロちゃんは、沖縄のホテルで朝5時半に目を覚ましました。
昨日に「羽田空港」から、「長男一家(4人家族)」と一緒にココ沖縄入りしたコロちゃんは、「イオンモール」で「次男一家(5人家族)」と合流し、お土産を購入してからホテルに向かいました。
予約していたホテルは、沖縄県国頭郡恩納村にある「リザンシーパークホテル谷茶ベイ」で、ここで3泊4日の海水浴を満喫する予定を立てていました。
このホテルは、那覇空港から車で70分と書いてありましたね。沖縄には鉄道がないと聞いていましたが、レンタカー利用が便利なようですね。
昨日5時前後にホテルに到着した一行は、ホテルのロビーのガラスの向こうに拡がる水平線とコバルトブルーの青い海に、圧倒される思いを感じていましたね。
そして、翌日の朝になってコロちゃんは、隣でまだ寝ている「長男一家家長様」が目を覚まさないように、洗面台の前で静かにアイパッドで「日経新聞:朝刊」をポチポチ読んでいました。
そこに別の部屋にいる「次男一家家長様」からメールが着信します。
次男一家家長様
そっち起きてる?
「コロちゃんは起きてるよ」byコロちゃん
長男一家家長様
俺も起きた。
おっと、ベッドで寝ていた「長男一家家長様」も、起床したようですね。
さて、今日の一日が始まりましたね。午前中は楽しい海水浴ですね。まずはその前に子どもたちを連れて朝食を済ませることとしましょう。
今日は「一日中海水浴+屋内プールを満喫」をカキコキしますね。
なお、この「めんそーれコロちゃん➁」は、「めんそーれコロちゃん➀」の続編になります。まだ「めんそーれコロちゃん➀」をお読みになっていない方は、下記のリンクからお読みください。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「子どもが多いと朝食バイキングは2時間かかると、ホテルから歩いて5分でもう海ですよ」
☆「これは誰のチ○コなの?と、コロちゃんの部屋はどこだっけ?」
☆「水平線に夕日が沈むと、夏の夜と言ったらやっぱり花火だね」
☆「コロちゃんとヨメ様たちと、コロちゃんは民主主義が推しです」
1.「子どもが多いと朝食バイキングは2時間かかる」
このホテルでは、朝食・ランチ・夕食に「和食・洋食・中華」のバイキングの提供をしているようでしたね。
コロちゃんの時代には、よく利用した旅館のような「1泊2食付き」とは違っていましたね。
「長男一家家長様・次男一家家長様」が、二人で話し合って、上記の「バイキング」と、地元飲食店の「テイクアウト」を組み合わせていました。
朝みんなが起きた後に、みんなで「バイキングレストラン」へと向かいます。手をつないで歩く子どもたちの姿は、見ていても微笑ましいですね。下記のフォトでご覧ください。
コロちゃんが気が付いたことは、子どもが多いととにかく時間がかかるということですね。
この朝は、7時から「朝食バイキング」を始めたのですが、全員の食事が終わったのは、何と9時でした。
2時間は余裕でかかりましたね。
そう言えば昨晩も子どもたちを8時に寝かせようとすると、夕食と風呂を済ませることを考えると、6時過ぎには夕食を始めないと間に合わないとママさんたちが言っていましたね。
コロちゃんが子育てをしたのは、もう30年以上前になりますから、当時の子育ての様子は全く覚えていません。
その点「長男・次男一家家長様」の二人は、共に「現役のパパ」ですから、予定の変更や対応を「ツー・カー」で話し合いながら進めていましたよ。
コロちゃんは、横に座っているだけで、まったく役に立っていないのが、ちょっと恥ずかしい思いを持ちましたよ。
2.「ホテルから歩いて5分でもう海ですよ」
やっと「朝食バイキング」を終えると、いよいよ「海水浴」ですよ。
ホテルを出ると、もう目の前が一面の海です。海まで歩いて5分ですね。
水平線が一面に拡がる「マリンブルーの海」と「スカイブルーの空」。透き通った海とサンゴが細かく砕けた白い砂。
コロちゃんは、思わず「これはキレイだなー。これじゃ毎年来たくなるのも無理はないよねー」とつぶやきました。
この時ばかりは、普段の「清貧」を忘れていましたね。
そういえば「贅沢は素敵だ!※」とのギャグ標語があったよねと、思い出しましたね。
(※贅沢は敵だ:1940年に国民精神総動員運動で制定された戦時スローガン:そのポスターの落書きに「贅沢は(素)敵だ」があった)
朝食が終わって、後は海で遊ぶためにこの沖縄に来た一行なのですから、全員が喜々として青い海を堪能していましたよ。
おー、下記のフォトではコロちゃん一行の「5人の子どもたち+2人のママさん」が気持ちよさそうに、プカプカと海に浮いていますね。
2人のパパさんは、この両端あたりで見守っていたのでしょう。
えっ、「コロちゃんはどこにいるの?」ですか?
ここの浅い海に向かう途中に、ちょっと深いエリアがあって、コロちゃんはみんながいるところまで行けなかったのですよ。
だって、コロちゃんは泳げないんだもん。
(ó﹏ò。)シュン
3.「これは誰のチ○コなの?」
全員で海に入ると、子どもたちは「浮き輪」で完全防備をして、パシャパシャと大騒ぎを始めていました。
そのうちに「次男一家パパさん」と「すーくん(4歳)・たーくん(5歳)」が、大騒ぎをしています。
そこへコロちゃんが近づいて見ると、「次男一家パパさん」が大声で「大変だ―!」と叫んでいます。
次男一家家長様
大変だ―、すーくん(4歳)のチ○コが取れちゃったー!
大変だ―、たーくん(5歳)のチ○コが取れちゃったー!
「ちがう―!」byすーくん(4歳)&たーくん(5歳)
大声で、子どもたちが反論しています。コロちゃんが次男一家パパさんの手元を見ると、そこには「真っ黒なナマコ」が。
いやいや、みんなでおふざけをしているのを見るのも、コロちゃんは楽しかったですよ。
だけど、海の中とはいえ、人前で大声で「チ○コ、チ○コ」と連呼する「次男一家パパさん」。
あー、みっともない。親の顔が見てみたいもんですね。
あれっ、「親の顔」ってコロちゃんの顔でした。てへへ。
(*ノ>ᴗ<)テヘッ
なお、この「たーくん(5歳)・すーくん(4歳)」のチ○コ・・・じゃなくて、ナマコのフォトを下記に添付しておきますね。このブログをお読みの方も是非面白がってくださいね。
「ちょんまげ!」
ꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)あははは!
4.「コロちゃんの部屋はどこだっけ?」
上記のように「海水浴」と、その後の「室内プール」を遊びまくった一行でしたが、コロちゃんは先に部屋に戻るという「次男一家パパさん」と一緒に戻ることにしました。
「長男一家の面々」は、まだもう少し「室内プール」で遊ぶ様でした。
「次男一家」とコロちゃんは、ペタペタと長いホテルの通路をエレベーターに向かいます。
そのエレベーターの前で、ふと足下を見たコロちゃんは、ビーチサンダルを履いていないことに気が付きました。
どうやら「室内プール」のベンチの下に置き忘れて来たようです。コロちゃんは、エレベーターを待っていた「次男一家家長様」に声をかけました。
「ビーチサンダルをプールに忘れたから、先に戻っていてね」byコロちゃん
それで再びプールに戻って「ビーチサンダル」を履いたコロちゃんが、お部屋に戻ろうとエレベーターから、1歩出た時にコロちゃんは「はて?」と考えました。
σ( ̄^ ̄)はて?
確か8階は間違いがないよね。それとなんか・・7の数字が付いていたような・・気がするよ?
そうすると部屋番号は・・8070? 8007? 8700? どの部屋だったっけな?(正解は8070号室です)
確かエレベーターを降りてから直ぐ近くの部屋だったけど、ここら辺にはそんな番号はないよね?
「大変だ―! 部屋が分からないよー!」byコロちゃん
ε=ε=ε=\(;≧σ≦)/大変だァ~!!!
いやいや、落ち着け、落ち着け。
元の「室内プール」に戻れば、まだ「長男一家」が遊んでいるよね。取り合えず、一度「室内プール」に戻れば大丈夫だよね。
ポテポテとさっきまで遊んでいた「室内プール」に戻ったところ、ちょうど部屋に戻る準備中の「長男一家の面々」と無事合流出来ました。
あー、良かった。
ε-(´∀`*)ホッ
その頃部屋に戻っていた「次男一家家長様」は、いつまで経っても部屋に戻ってこないコロちゃんを心配して、「長男一家家長様」にメールを出していました。
次男一家家長様
コロちゃんがサンダル忘れたってプールに戻ってから、部屋に来ないんだけど。
いやいや、ご心配をおかけしました。今このホテルの「フロアマップ」を見てみると、3階~10階が「客室フロア」で、その階には部屋が106部屋もあったのですよ。更にエレベーターは2か所にありました。
コロちゃんは、そのフロア図が全く頭に入っていないで、この時まではみんなの後から付いていくだけだったのですよ。
いやいや、言い訳は止めましょう。コロちゃんは海水浴で体力を使い果たして「思考能力」が低下していたのだと思いますよ。
決して「認知症」じゃないですからね、・・・・多分。
ナィ(・д・ = ・д・)ナィ
だけど、コロちゃんが「屋内プール」に戻った時に、まだ「長男一家」がいて良かったですよ。
もしコロちゃんが「長男一家」と行き違っていたら、コロちゃんはずっとそのままホテルの中を彷徨っていたかも・・・。
ヒイィィ(゚ロ゚;三;゚ロ゚)ヒイィィ
5.「水平線に夕日が沈む」
部屋に戻ってお昼を済ませてからも、面々は「海水浴」や海をバックに記念写真を撮ったり、まったりと楽しんでいましたよ。
その内に、あっという間に時は過ぎ去り、今日の夕日が沈む様子をみんなで海岸べりで鑑賞しました。時間は午後7時半ごろでしたね。
子どもたちはおそろいの浴衣を着ていますから、可愛いのなんのって、コロちゃんが上手く言葉で表現することができないのが悔しいぐらいですよ。
下記のフォトに写っているのは、向かって左側から「コロちゃんの膝小僧・すーくん(4歳)・なーちゃん(9歳)・あーちゃん(2歳)・たーくん(5歳)・次男一家パパさん」です。
後ろでこのフォトを撮っていたのが「次男ヨメ様+抱っこ紐のゆーちゃん(0歳)」と「長男一家パパさん」の二人ですね。
なお、このフォトの一番左端にチラリと見えている「コロちゃんの膝小僧」の更に先には「長男一家ヨメ様」が座っていましたよ。
6.「夏の夜と言ったらやっぱり花火だね」
水平線にゆっくり太陽が沈むシーンを全員が鑑賞した後と言ったら、やはり「花火」でしょう。
売店で購入した花火を拡げて、みんなでどれから始めようかなと、ワラワラと子どもたちが拡げた花火の袋を見に集まってきました。
なんでも「すーくん(4歳)とあーちゃん(2歳)」は、これが初めての花火だそうでしたよ。
「すーくん(4歳)」は、「次男一家パパさん」の足の陰でおっかなびっくり花火を覗いて見ています。
コロちゃんは、大胆な「あーちゃん(2歳)」の手を取って、花火を楽しみましたよ。「あーちゃん(2歳)」は幼くとも好奇心は旺盛なようでしたね。
「花火」の最後の締めは、やっぱり「線香花火」ですね。
最初は小さな飛び出す火花が、少しづつ拡がっていき、大きくパチパチと弾けた後に、静かに寂しげに丸い火の玉となり、その後は黒くポトンと落ちて終わります。
この「線香花火」の燃え方は、「一人の人間の長い人生」のようにも思われて、そこはかとなく哀愁を感じるのはコロちゃんが年をとったからでしょうか。
「線香花火」の火が消えて、辺りが真っ暗になると、ようやく長い夏の一日が終わりました。
しかし、子ども連れの「長男一家・次男一家」の面々は、これから「子どもたちのお風呂と寝かしつけ」が始まるんですよね。
なかなか自由な時間は、持てないのが幼い子どもを抱えた「パパさん・ママさんたち」ですね。コロちゃんは、ご苦労様ですというのみですよ。
7.「コロちゃんとヨメ様たち」
昨日・今日と、コロちゃんは「長男一家・次男一家」とともに、この沖縄で楽しんでおり、2人のヨメ様たちもいろいろとコロちゃんに気遣いをしてくださっています。
コロちゃんはとてもありがたい事だと思っていますよ。
もともとコロちゃんは、「自立・自活」が自分の人生を貫くテーマだと考えてきました。それは2人の子どもたちに対しても同じです。
親と子と言えども、いずれ「自立・自活」すれば同等の位置になるのです。
ですから「長男一家」と「次男一家」とコロちゃんの距離感は、ある程度離れていた方が、お互いに「心地よい」と考えているんです。
このコロちゃんの価値観は、日本の文化・経済史の流れと無関係でありません。下記に書いてみますね。
今の若者たちが当たり前のものと感じている「家族観」は、いろいろ見てみると時代によって変遷しているのです。
➀「大家族だった時代の家族観」
現在に当たり前のものとなっている「夫婦と子どもの核家族」は、1970年代の高度成長によって生み出されたものなのです。
それ以前は「大家族の家族観」が成立していました。。
下記のグラフをご覧ください。内容は下に書き出します。
「独立行政法人 労働政策・研修機構 産業別就労者数の推移」より
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/timeseries/html/g0204.html
出典:独立行政法人 労働政策研究・研修機構 早わかりグラフで見る長期労働統計より(7月9日利用)
上記のグラフは「行政独立法人労働政策・研修機構」が発表している1951~2022年の「第1次~第3次産業就業者数の推移」です。
一番上から、下記の順番で並んでいます。
❶「白色:第3次産業(サービス業)」
❷「灰色:第2次産業(製造業)」
❸「黒色:第1次産業(農林・漁業)」
このグラフのバックデータを見ると、コロちゃんが生まれる少し前の1951年の「産業構造」は以下の通りでした。
◎「産業別就労者数:1951年:総計3622万人」
➀「第3次産業(サービス業):1137万人」
➁「第2次産業(製造業) :817万人」
➂「第1次産業(農林・漁業):1668万人」
一目見てもわかりますが、「➂第1次産業(農林・漁業):1668万人」が圧倒的に多いのです。そのほとんどが「農業に従事する大家族」でした。
農業と言っても、現在の機械化農業とは違います。「大家族」を総動員した大勢の人手で行なっていたのが、過去の農業だったのです。
この時代の農家の嫁さんは、一人の家族労働力として組み込まれています。家の支配は男性の「家長」が握っていました。
「個人の自立」や「男女平等」などは、まったく存在しない社会だったのです。
➁「核家族の成立と新たな家族観」
上記の「農業」が主産業だった時代から、1970年代の「高度成長期」を経て、都市部の「製造業」が発展していく中で、「団塊の世代」とその以降の世代が、続々と都市部に集まってきました。
そこで成立したのが「夫婦と子ども2人の核家族」です。
この時代を成立させた「就労者数」を見てみましょう。比較のために( )カッコ内に上記で見た1951年の就労者数を書いておきますね。
◎「産業別就労者数:1990年:総計6249万人」(1951年:3622万人)
➀「第3次産業(サービス業):3699万人:(1951年:1137万人)
➁「第2次産業(製造業):2099万人」(1951年:817万人)
➂「第1次産業(農林・漁業):451万人」(1951年:1668万人)
上記で見ると、1951年に「➂第1次産業(農業・漁業)」に1668万人もいた就労者が、1990年には451万人と1/4に減少しています。
逆に1951年に「➁第2次産業(製造業)」で817万人が、1990年には2099万人に2倍以上に激増しています。
この「第1次産業(主に農業)」の家族形態が、「大家族」でありその家族観がありました。そして、その「農業従事者数」が減少し続けたのが戦後の「高度成長の時代」でした。
また、逆に増え続けた「第2次産業(製造業)」の家族形態が「核家族」であり、「大家族の家族観」と違った「家族観」が形成されていったのです。
それでは、その二つの家族観はどのように違っていたのでしょうか。
➂「大家族と核家族の二つの家族観」
最初にコロちゃん自身は、戦後日本の高度成長に育った少年でしたから、過去の「農業」を主産業した時代に形成された「大家族の家族観」には「拒否感・嫌悪感しか感じません」と言っておきますね。
「大家族制度」の下では、家の中心は権威と権力と経済力を一手に握った「家長」に命令権がありました。
そして「親族共同体」があり、そこで重視されるのは「世間体」と言った体面でした。
その「大家族」に、外部から受け入れられる嫁の地位は低く、多くの農業に従事する家では一人の労働力として仕えることを強いられるものでした。
それは子どもも同じです。「人権」や「個としての個人」は無視されてきました。
要するに、「個人の自由や自主性」などを全て否定する「家族文化」だったのが、戦前から受け継がれた「大家族の家族観」だったと、コロちゃんは考えています。
「高度成長期」に、そこから脱出して都会の製造業に就労していったのが「団塊の世代(1947~1949年生まれ)」とその後の世代です。
彼ら彼女らは、都会で出会って結婚して「核家族」を形成していきました。その「核家族」の周囲は、皆同じような環境の若者たちばかりが集まることになりました。
そこには、「頼りになる大家族や親族共同体」はありませんでしたが、いちいち煩く行動を制約するような「ウザイ大家族や親族共同体」も無かったのです。
コロちゃんは、それらの「親族共同体や大家族の生活共同体」がないことに、不安を感じるよりも、はるかに大きな「解放感」を全身で感じていましたよ。
④「コロちゃんがヨメ様たちに望むのは適度な距離感」
ここまで長々と、戦後の産業の推移とそれに従事する家族の共同体の「家族観」を書いてみました。
その理由は、コロちゃんの「家族観」が、どのようなところから生まれてきたのかをハッキリと知ってもらいたかったからです。
コロちゃんは、田舎の「大家族共同体」や「親族共同体」の煩わしさを嫌って、東京圏に脱出してきた青年だったのです。
その後に今は亡き「妻」と出会って、二人の子どもとの核家族を形成してきたのです。
その時に考えたことは、幼い頃に育った地方都市の「大家族共同体」のような桎梏を絶対にコロちゃんは作ったりしないぞということでした。
だから、現在高齢になって年上になったからと言って、ピラミッドの頂点に君臨するなどはコロちゃんの柄ではないのです。いまさら「古い家族制度」に戻ることなどはまっぴらごめんですよ。
「家族の誰もがそれぞれ自立し個人の尊厳を侵さない」ことが、コロちゃんの望みなのですよ。
そんなわけで、最後にいろいろ語ってみましたが、二人のヨメ様たちとは今後もお互いに適度な距離と関係を保って、仲良くしていきましょうね。
7.「コロちゃんは民主主義が推しです」
「自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値を共有する」と言うと、岸田総理の日米関係でのまくら言葉ですが、この概念自体はコロちゃん自身も賛同していますよ。
ただし、現在のアメリカがこの「自由、民主主義、人権、法の支配」を守っているようには見えませんけどね。
上記での「自由、民主主義、人権」は、「家族共同体内」でも通用する概念だと、コロちゃんは考えていますよ。
妻も夫も、「家族共同体」の中では平等な立場で生活をともにするのは、この概念からも当たり前のことだと思われますね。
そういう意味では、コロちゃんはバリバリの戦後派であり「戦後民主主義の子ども」なのですよ。
最近は世界的に「民主主義」が揺らいでいます。
その反面「中国やロシア」の「権威主義国家」が台頭しているようにも見えますが、コロちゃんは「民主主義」の方がまだマシな制度だと考えていますよ。
「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが※」
(※ウィンストン・チャーチルの言葉:第2次世界大戦時のイギリスの首相)
コロちゃんは、上記のチャーチルの言葉に全面的に同意しますよ。残念なことに人類は古代ギリシャの昔から今までに「民主主義」よりマシな制度を見つけられなかったのです。
そうであるならば、私たちはもっとより良い制度を創り出すまでは、よりマシな民主主義制度で我慢しなければなりませんね。
それは「家族共同体」の中でも同じ事だとコロちゃんは考えていますよ。
今日のブログでは「めんそーれコロちゃん➁」の沖縄旅行記から始まって、最後にはコロちゃんの家族観にまで筆を滑らせました。
これらの「家族観・社会観」については、いろいろな意見もあることでしょう。コロちゃんは決して「自分だけが正しい」とは思っていませんよ。
しかし、人間は言葉にしなければ分からない動物だと、コロちゃんは考えています。
「俺の目を見ろ何にも言うな※」は、今では通用しませんものね。
(※兄弟仁義:1965年:歌:北島三郎:作詞:星野哲郎:作曲:北原じゅん)
このブログをお読みの皆様も、ご家族や親族・友人たちといろいろ社会的な関係を結んでいらっしゃるかと思いますが、このコロちゃんの考え方が少しでも参考にでもなれば嬉しいですよ。
「反面教師(※)」でも結構ですよ。
(※反面教師:反省の材料となるような人や事例を指す:1957年中国:毛沢東演説が初出)
コロちゃん一行の「めんそーれコロちゃん」は、明日も続きますのでお楽しみにしてくださいね。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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