おはようございます。今朝のコロちゃんは、朝からバタバタ忙しい思いをしています。
何が起こったのかというと、朝から「編集長&株主様のダメだし」が届いてしまったのですよ。
コロちゃんは、このブログの投稿を前日の内には原稿を仕上げて、「毎朝7:00に予約投稿」をしているのです。そうすれば、コロちゃんが朝からバタバタしなくて済みますからね。
今朝のコロちゃんは、ちょうどその朝7時にコーヒーを入れていたところでした。だから今朝の記事はもう「自動投稿」されていたわけですね。
その時に、突然「編集長&株主様」からの連絡メールが入りました。
編集長&株主様
コロ!今日の記事には、もっと
「思いとかエピソード」を入れろ!
あちゃー「ダメ出し」されちゃったよ。だけど、はやっ。まだ7時1分だよ、たった今投稿したばかりだよ、もう読んでるよ。
(x_x) アチャー
コロちゃんは、急いで今朝の記事の末尾に「エピソード」を追記して、編集長のご機嫌を伺ったのですが、こんどは「蛇足だ!」との一言です。またダメだって。
またまたコロちゃんは、記事の「エピソード」を削除して、「今日はこんなところでご勘弁下さい」と平身低頭をしましたよ。
「編集長&株主様」からは、「明日に期待するゾ!」と捨て台詞・・・げふんげふん・・お言葉を頂戴しましたよ。 まったくうるさ・・・げふんげふん・・。
…( ̄。 ̄;)ブツブツ
明日は頑張ろうと、心に誓ったコロちゃんでしたよ。
今日は「【読書考】日本の経済政策を読んで➀」をカキコキしますね。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「日本の経済政策(著:小林慶一郎:2024年:中公新書)と、バブル崩壊と不良債権処理の遅れ」
☆「不良債権処理の遅れにより銀行危機が起きたと、2000年代の長期停滞の理由は?」
☆「2000年以降の景気低迷の理由を初めて知ったよと、コロちゃんと失われた30年」
1.「日本の経済政策(著:小林慶一郎:2024年:中公新書)」
今日ご紹介するのは、「日本経済の失われた30年」を「経済学の視点」から総括した本です。内容は一般向けにやさしくひも解いていますが、それでも専門的で難しいと思いましね。
要するに、コロちゃんが読んで理解できているのは、おそらく本書の記載のごく1部かも知れないと思いましたよ。
だけど、コロちゃんが興味深い点は、1980年代末期の「バブル期」から現在までの30年以上の「日本経済」を鳥瞰するように解析・解説しているのですよ。
言ってみれば「失われた30年の全光景」を、素人のおじいちゃんのコロちゃんが読んでわかるように整理して書いてくれているものなのですよね。
最初に、コロちゃんが本書を読み終えた感想は、「経済学とは完成された理論の学問ではない」と言うことですね。
「バブル期」にしろ、「バブルの始末」にしろ、「その間・その後の経済政策」にしろ、今になって初めて「間違いだ」と指摘できますが、当時の「経済学者・政府」は誰一人分からなかったのですよ。
コロちゃんは「経済学」とは後から「説明を作る学問」だと思いましたよ。
それでも、人間は過去の経験から教訓を引き出す生き物ですから、似たような事象への対策として役に立てるしか、他に方法がないのでしょう。
だから「失われた30年」と言われるように、ここ30年以上の「日本経済」は失敗の連続なのですから、「経済学」にとってはその解明は興奮する題材なのでしょう。
コロちゃんの「素人の感想」は、このぐらいにして、本書の内容を見てみましょう。
2.「バブル崩壊と不良債権処理の遅れ」
本書は「1990年代のバブルと崩壊」から始まりますが、それは当然ですよね。コロちゃんは、この当時東京都内で仕事をしていましたから、リアルタイムで見てきましたよ。
「バブル期」の「銀座」の真夜中のラッシュアワーみたいな混雑と、「赤坂・六本木」の喧騒を。
凄かったですね、そしてこの時にはその「喧噪」がその後もずっと続くとみんな思っていましたよ。
この「バブルの崩壊」が、その後の「失われた30年」のスタートラインです。
本書は「バブルの後始末の不良債権処理に15年もかけたこと」が、最初の失敗だったと考察していますね。
「バブル期」は1987~1990年です。その「不良債権処理」が全て終わったのが「小泉内閣」の2005年と、確かに15年かかっています。
最終的な「不良債権の処理額は100兆円」と書いていますね。
2008年にアメリカで「リーマン危機」が起きた時には、わずか1年で処理を終えているそうです。
また北欧・英国でのバブル崩壊でも3~4年で処理を終えて、経済への影響も数年で経済成長へと回帰しているとしています。
この「日本」で「不良債権処理」が15年もかかった理由を、本書は詳しく書いていますが、理由はいくつもありますね。下に書きますね。
➀「みんな株価・土地価格が4~5年で戻ると思っていた」
この「みんな」には、「経済学者・政治家・企業経営者・銀行経営者・一般大衆」全部含まれます。当然コロちゃんも、数年で戻るだろうと考えていましたよ。
➁「不良債権の額を誰も知らなかった」
これには驚きましたよ。銀行の支店では、土地を担保にお金を貸していますが、「金利払い」に「追い貸し」をしていればいつまでも「不良債権」とはなりません。
「銀行の本店」でも支店から報告が無ければ分かりません。さらに「大蔵省(当時)」でも元々調べることはしていなかったというのですよ。
➂「銀行・企業の不良債権が日本経済に影響すると誰も考えていなかった」
コロちゃんは、「経済の本」を読むうちに「マクロ経済」と「ミクロ経済」と言う言葉を知りました。コロちゃんたちの生活で実感するのは「スーパーの商品価格」のような「ミクロ経済」ですね。
この「ミクロ経済」は、「大蔵省(現財務省)の管轄」なのですよ。
そして、「マクロ経済」は国全体の経済を対象として「日本銀行の管轄」となります。「金融システム」などですね。
そして当時考えられていたのは、「銀行・企業の不良債権」は「ミクロ経済」の問題(大蔵省の問題)」で、「マクロ経済」に影響するとは「経済学者」も考えていなかったというのですよ。
だからこの「不良債権の問題」は、「大蔵省と日銀」の縦割り行政の隙間に落ちてしまったようですね。
その結果起きたことは「不良債権の存在にうすうす感づいていた国民による経済活動の低下」です。「不良債権額」を調べて発表しないことが、経済活動を委縮させたとしていますね。
本書は、2~3年で「不良債権の処理」を終えていれば、その後の「日本経済」はそれ以前のレベルに回復できたと見ていますね。
3.「不良債権処理の遅れにより銀行危機が起きた」
上記の「不良債権」の先送りで1990年代は過ぎていきましたが、株価・土地価格の低下は続き、その為に「不良債権」は年々膨れ上がっています。
その結果起きたことが「1997~1999年の銀行危機」です。
「三洋証券」や「北海道拓殖銀行」が破綻し、当時3大証券会社の一角だった「山一証券」の廃業が起きています。
この時の「山一証券」の社長が、記者会見で「社員は悪くありません」と男泣きしたことは話題を集めましたね。
この「山一証券」が廃業した前日の夜に、コロちゃんはちょうど「山一証券ビル」の前を車で通っていて、深夜にも関わらずビル全館に照明がついていて驚いた記憶がありますよ。
これらの「銀行危機」は、全て「不良債権の処理の先送り」によって起きています。
「銀行経営者」にとっては、巨額の不良債権を一括処理するよりは、毎年企業収益の範囲内で少しづつ処理した方が「責任問題」にならずに済むという利点があります。
しかし、その「不良債権処理の遅れ」によって、「日本経済の低迷」だけでなくついには「銀行破綻」に行きついたということなのでしょう。
またこの時の「銀行」は、資金流動性の低下により「優良な企業」からも容赦なく「貸しはがし」を行なっており、その後に「日本企業が無借金経営」へ向かう要因を起こしています。
2000年代に入り「小泉内閣」が登場してやっと、「不良債権処理」に本腰を入れて取り組むようになり、2005年に「不良債権の処理終了」となっています。
しかし、その後も「日本経済の低迷」は続いています。
4.「2000年代の長期停滞の理由は?」
上記の「不良債権処理」は2005年に終わっています。しかし、その後の2000年代の「日本経済」の低迷は続いています。それはなぜか?
本書では、まず「人的資本の劣化」を挙げています。次に「企業」はリスクを回避して消極的な経営に終始したこと。それにより「企業間分業の萎縮」がおきたことをあげていますね。
この「人的資本の劣化」と「企業間分業の萎縮」の悪循環が起きたとしています。また「非正規雇用の増加」も「人的資本劣化」を進めたとも書いています。
著者は「現代からの視点」として、「1992年頃に強力に不良債権の処理を行なっていれば、バブルの後始末は94~95年頃に終了し、その後は通常の回復軌道に戻ったと思われる」と書いています。
コロちゃんは、なんとも「経済運営の難しさ」を感じましたよ。
だけど、当時は「不良債権」なんて「銀行と一部の企業だけの問題」と思われていましたからね。まさか、それが原因で「日本経済全体が失われた30年となる」なんて、誰も思っていませんでしたよ。
それに本書を読むと「経済学者」も誰も考えていなかったというのですから、「何をか言わんや」ですよ。
5.「2000年以降の景気低迷の理由を初めて知ったよ」
上記までが「本書」の内容の紹介です。このまま最後まで本書の内容の紹介を続けようと思いましたがここまでで、もう4000字を超えてしまいました。
そこで、ちょっと「中休み」してコロちゃんのここまでの「感想と意見」を入れてから、後半を明日書きますね。
上記の1980~1990年代の「バブル形成とバブル崩壊」は、後から振り返ってみれば「経済的事件」として分かりやすい例です。
「原因も理由」もハッキリしています。
もちろん「新聞・雑誌・書籍」で数多く取り上げられていますから、その経過と内容はコロちゃんでも理解できる内容でした。
一言で言うと「低金利環境における株式と土地価格の熱狂」ですね。経済の実態とはかけ離れた「熱狂(バブル)」でしたから「夢から覚めれば暴落は必然」でしたね。
しかし「2000年代以降の経済不振」は、諸説が乱れ飛んでいましたが、その「原因と理由」はハッキリしていないのですよ。
少なくもコロちゃんは知りませんでした。
2000年代の初頭では、まだ「少子高齢化」は世論では拡がってはいません。日本の人口がピークを付けたのは2008年でしたからね。
「賃金が上がらない理由」も、「中国から安い製品が入って来るからだ」とか、「医療・介護は公定価格だから」とか、諸説が沢山出ていましたよ。
そして、誰もがわからなかったからこそ、その後の「政策」には、みんなが「アベノミクス」に飛びついたのですよ。
「他に道はない」として。
明日の投稿では、本書の内容から、その「アベノミクス」からご紹介しますね。
コロちゃんは、2000年代以降の「日本経済の低迷の理由と原因」を「経済学者」がキチンと整理して発表しているのを本書で初めて読んだ思いですよ。
上記では「低迷の理由と原因」を、1990年代から2000年代初頭までは「不良債権の処理の遅れ」とし、その後は「人的資本の劣化(非正規雇用の拡大等)」を挙げています。
明日の投稿ではあと何点かの「低迷の理由と原因」が分かりますよ。
6.「コロちゃんと失われた30年」
「失われた30年」とは、1991年の「バブル崩壊」以降の30年間を言います。象徴的な言葉ですから、現在の2024年まで続いているとしても良いでしょう。
コロちゃんが、この「失われた30年」の出発点と現在を比較して記憶をたどると、出発点の「1990年頃の日本」では「一億総中流」の意識が社会に満ち満ちていたように覚えます。
コロちゃんは、当時30代半ばでしたが「普通の家族の普通の暮らし」が出来ることに、何一つ疑問を持っていませんでした。
その「普通の家族と普通の暮らし」とは、下記の「暮らし」です。
◎「1990年頃のコロちゃんが考えていた中流生活」
➀「結婚」
➁「妻は専業主婦」
➂「子どもは2人」
④「家をローンで持つ」
⑤「車は1台」
⑥「部屋にはクーラー」
どうでしょうか皆さん、上記の暮らしが「普通の庶民」の誰もが手が届く社会、それが「1990年の日本社会」だったのですよ。
もちろんコロちゃんは、当時の「中流生活」でもかなり下の部類でしたから、「家は東京圏から遠い地方都市」で「駅から遠い物件」でしたし、「生活はキュウキュウ」でしたよ。
それが、それから30年以上経った2024年の現在では、どう変わったでしょうか?
◎「2024年のコロちゃんの見る中流生活」
➀「結婚」?
➁「共働き」
➂「子どもは」?
④「家をローンで持つ」×
⑤「車は1台」?
⑥「部屋にはクーラー」〇
上記の「コロちゃんの見る現在の中流生活」が正しいかどうかは、皆さんにお任せします。
しかし、1990年の「一億総中流社会」を信じていた時代に比べると、「中流生活」自体がだいぶ下にずり落ちている感じをコロちゃんは持っていますよ。
特に「都市部で家を持つこと」は、普通の会社員では不可能と言っても良いのではないでしょうか。
このような現在の社会を見ていると、コロちゃんは「2000年代以降の日本の何が悪かったのか?」に強く興味を引かれるのです。
これがコロちゃんが、上記の本書「日本の経済政策」を真剣に読んでいた理由ですよ。
明日は、本書の後半部分から「アベノミクス以降」をご紹介しますね。「2000年代の日本」がいかにして「一億総中流社会」でなくなったのかを見てみましょうね。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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