おはようございます。
昨日からコロちゃんのブログは、「年末年始考」として、以前に1度発表した「少年Kの1960年代」シリーズを「リライト」して再び発表しています。
今日は「シリーズの第2作」です。コロちゃんが元気に走り回っていた、「少年Kの1960年代➁:映画は娯楽の王様」を覗いてみましょう。
コロちゃんが、「可愛らしい(多分)少年時代」だった「1960年代の日本」の雰囲気をどうぞお楽しみください。
0.「今日の記事のポイント」
コロちゃん
今日の記事は、下記のような内容になっていますよ。どうぞ最後まで楽しみながらお読みください。
☆「年末年始は、少年Kの1960年代を投稿しますと、1960年代という時代」
☆「映画館の1960年代と、1960年代の映画館入場料と諸物価を見る」
☆「キングコング対ゴジラの衝撃と、映画上映中に響き渡るお姉さんの声」
☆「お金の掛かる遊びは贅沢という少年Kの世界」
1.「年末年始は、少年Kの1960年代を投稿します」
この「年末年始」はいつもの「社会派記事」ではなく、コロちゃんが少年時代だった1960年代の様子を書お届けしています。
テーマは「少年Kの1960年代」です。
コロちゃんが子どものころは、歳末ともなると、どこも「人出」でいっぱいだったように記憶していますね。
その代わり「元旦」を過ぎると、1週間は「商店」はみんなお休みと言う時代でしたね。
少年Kの自宅でも、台所のかまどの上にお供えの「お餅と🍊」を飾り、三が日は「火を使わない」風習があったように覚えていますよ。
今では「元旦」でもコンビニは開店しているでしょうから、世の中はずいぶん変わりましたね。
今日の記事は、【年末年始考】「少年Kの1960年代➁映画は娯楽の王様」です。
なお、昨日の記事の【年末年始考】「少年Kの1960年代➀テレビの普及と購入」をまだお読みになっていない方は、下記のリンクからお読みください。
このシリーズは、どこから読んでも楽しいようにはなっていますが、最初の①からお読みくださることをお勧めしますよ。
2.「1960年代という時代」
昨日の【年末年始考】「少年Kの1960年代➀」では、1960年代の「テレビ」と「番組」などをお伝えしました。
そして、1960年代の「高度経済成長」なども見てきましたが、今日の「少年Kの1960年代➁」では「映画が娯楽の王様」だったこの時代を見て行きましょう。
まずはその前に、この1960年代の「文化風景」をちょっと覗いてみましょう。
皆さんは「ヒッピー族」を言う言葉を聞いたことがありますか?
この「ヒッピー族」は、1960年代のアメリカで巻き起こった「既存の社会制度」や「価値観」を否定した社会運動です。
日本にはやや遅れて1960年代後半に盛んになり、新宿駅の東口前の芝生ロータリーなどで多くのヒッピーが寝そべったりしていましたね。
コロちゃんは、1970年ごろに東京に上京してきましたけれど、その時にも新宿駅前の数人のヒッピーがたむろしていたのを見かけたことがありましたね。
この「脱社会的行動」をとる若者たちの運動は、その後も形を変えて長く続くことになりましたね。
また若い女性の「ミニスカート」が流行したのも1960年代です。
「ミニスカート」を最初に発明(?)したのは、イギリスのデザイナーのマリー・クワントが1959年に生み出したとされています。
ただ「日本」での大流行には、イギリスのモデル「ツィッギー」の来日(1967年)が切っ掛けとなっていますね。
この「ツィッギー(小枝)」は愛称です。
本名は「レズリー・ホーンビー」だそうですが、コロちゃんは今の今まで、「ツィッギー」が本名だと思っていました。
その愛称「ツィッギー(小枝)」どおりの細い足をミニスカートで歩く姿は、1960年代の日本の若い女性たちを魅了しました。
ただ「魅了した」のは、若い女性たちのみではなかったのです。それを知りたい方は、下記のエピソードをお読みください。
1969年に訪米した「佐藤栄作総理」に同行した妻の寛子夫人(当時62歳)が、ひざ上5㌢のミニスカートで羽田飛行場の飛行機のタラップで笑顔で手を振っていたそうですよ。
(@゚Д゚@;)アレマッ!
御年62歳のおばあちゃんですよね。マスコミが一斉に注目したことは言うまでもありません。
そしてこの時の「佐藤総理訪米」の目的は、当時のアメリカのニクソン大統領と「沖縄返還交渉」をまとめるためでした。
そうなんです。沖縄がアメリカ軍の軍政から日本に変換されるのは、この後の1972年です。
この「佐藤総理訪米」時点では、沖縄はまだ「アメリカ占領地」だったのですよ。
佐藤総理夫人(62歳)がかなり無理な「ミニスカート」を着用したのも、アメリカ世論を日本びいきにつけて「沖縄返還交渉」をスムーズにするためだったとするのは考えすぎでしょうか。
もう一つだけ、1960年代を象徴するお話しを書いておきましょう。
皆さんは「新井由実さん」が作詞作曲した「いちご白書をもう一度※」と言う曲をご存じでしょうか?
(※いちご白書をもう一度:1975年:作詞作曲:荒井由実:歌:バンバン)
この曲にある「いちご白書」は、1970年のアメリカ映画でその元ネタは1968年に「コロンビア大学」で実際に起こった学園紛争の手記をもとに制作されたそうですよ。
この「コロンビア大学」では、奇しくも2024年の春に、イスラエルによるガザ侵攻に抗議する座り込みをキャンパスで繰り広げて、学生100人が警察に検挙されています。
「表現の自由」でいろいろな主張を学生たちが発する伝統は、未だにこのコロンビア大学では健在のようですね。
ざっとコロちゃんが知っている1960年代をちょっと覗いてみました。それでは、次からは今日のテーマである「映画は娯楽の王様」を見てみましょう。
3.「映画館の1960年代」
皆さんは、最近「映画」を見たことはありますか? 恐らくほとんどの方は「映画」は見ているでしょう。
しかし「映画館に行ったことがありますか?」と聞かれれば、最近はあまり行っていないとお答えの方が大勢いらっしゃるかと思います。
しかし、1960年代では「映画」は「映画館」に行かなければ見られないものだったのです。そりゃそうですよね。ビデオもDVDも、ましてやネット視聴もない時代ですからね。
そして、他にあまり「娯楽」の種類もありませんでした。「ボーリング」も「カラオケ」も、始まりは1970年以降です。
当たり前のことですが「ネット※」も「スマホ※」もありません。
(※インターネットは日本では1984年開始:スマートフォンの始まりは1994年のIBMの「Simon」と言われる)
「登山」や「スキー」も限られた方しか遊ぶことはできませんでした。これらには、何しろ「道具を揃える」にも「技術を習得する」にもお金がかかりましからね。
そんなこんなで、庶民の手軽な娯楽として1960年代は「映画が全盛時代」を迎えていたのです。
下記をご覧ください。
◎「映画統計:入場者数」(100万人以下切り捨て)
➀「1955年:1億6000万人」
➁「1960年: 10億人」(ピーク)
➂「1970年:2億5000万人」
④「1980年:1億6000万人」
⑤「1990年:1億4000万人」
⑥「2000年:1億3000万人」
⑦「2010年:1億7000万人」
⑧「2020年: 1億人」
⑨「2023年:1億5000万人」
https://www.eiren.org/toukei/data.html
(出典:日本映画製作者連盟 日本映画産業統計より:12月30日利用)
上記の表は「日本映画製作者連盟」の「日本映画産業統計」の一部です。
コロちゃんがざっと見渡して見ると、上記の「映画産業」のピークは下記のようになっていました。
◎「映画統計:ピーク」
➀「映画館数:1960年:7457スクリーン」
➁「入場者数:1960年: 10億144万人」
上記のデータを見ると、1960年代が「映画館数・入場者数」のピークですね。
特に上記の表で目に付くのは「1960年の映画入場者数10億人」です。この「入場者数」は、未だに上回る年は在りません。歴代1位ですね。
2010年の「映画入場者数」が1億人ですから、なんと1960年は2010年の10倍の「観客動員数」だったわけですね。
1960年の日本の人口は9430万人ですから、1960年には国民1人あたりが10回以上「映画」を見たことになりますね。
映画は「1960年代」を通して「国民の娯楽No.1 」だったのです。
4.「1960年代の映画館入場料と諸物価を見る」
昨日のこのブログ「少年Kの1960年代➀テレビの普及と購入」で、1960年の「大卒初任給は1.3万円」で、今年2024年の「大卒初任給は22.6万円」ですから、だいたい17倍になりますとご紹介しました。
その時代のテレビのお値段と、現在の貨幣価値に換算した数字もご紹介しています。
下記にもう一度書きますね。
◎「テレビのお値段」
❶「カラーテレビ:1960年:52万円」⇒「現在の貨幣価値:約880万円」
❷「白黒テレビ:1960年:5.8万円」⇒「現在の貨幣価値:約99万円」
どうですか、なかなか庶民には手が届かなかったお値段とお分かりになるでしょうね。これが大量生産されると、どんどん価格が低下するのですから「資本主義」とはダイナミックなものですね。
そこで、本日のテーマ「映画館」の入場料を見てみましょう。
◎「映画代:1960年:119円」⇒「現在の貨幣価値:1825円(約2000円)」
なお、コロちゃんが最近の「映画館入場料」を調べましたところ、大手を中心にだいたい2000円前後になっていますね。
うーむ、これを見ると「1960年当時の119円」は、現在の約2000円とほぼ変わらなくなりますね。
( ̄へ ̄|||) ウーム
ただ1960年代当時の物価を見ると、納豆が15円、豆腐が18円となっていましたから、「映画館入場料」は、納豆8個or豆腐7個分となります。
現在では納豆3パックで90円くらいでしょうから、こちらの物価価格では「計720円」となってしまいますね。
この「720円(納豆価格)」だと、今の映画館入場料金2000円の半分以下となりますね。
これは現在の「納豆・豆腐が安い」のか、それとも現在の「映画入場料金が高い」のか、どちらかなのでしょう。
おそらく1960年頃は。「大衆が消費する材(納豆価格)」は安かったのだと思われますよ。
上記のように、1960年代の「映画入場料金」は100円程度(現在価値2000円程度)だったみたいです。
この時代の少年Kは、普段のお小遣いは5~10円でお買い物先は「駄菓子屋」でした。
たまにある「お祭り」の時も貰えるお小遣いはだいたい20円だったように記憶していますね。そのような少年Kの懐具合では、なかなか「映画館の入場料金100円(※)」はもらえません。
(※多分子ども料金で半額だったと思います)
しかし、その時にどうしても見たい「映画」が、少年Kの住んでいる田舎町の映画館で上映されたのです。
5.「キングコング対ゴジラの衝撃」
少年Kがどうしても見たかった映画とは、「キングコング対ゴジラ※」と言う怪獣映画でした。
(※キングコング対ゴジラ:1962年:監督:本田猪四郎:特撮監督:円谷英二:出演者:高島忠夫ほか)
この映画は、北極海で眠っていた「ゴジラ」が眠りから覚めて日本を目指して南下し、南の島で魔神としてあがめられていた「キングコング」が日本に運ばれて、富士山麓で戦うというストーリーでした。
最後は、闘いながら移動して共に海に沈み、キングコングは浮上して故郷の南の島に帰っていき、ゴジラはそのまま行方不明となるという、次の作品につなぎやすい結末となっていましたね。
この「ゴジラシリーズ」は、1954年の第1作以来、2023年の第30作まで数多くの作品を公開しています。
しかし、この少年Kが見に行った「キングコング対ゴジラ」は、ゴジラシリーズ中では歴代1位となる1120万人の観客動員となる大ヒット映画でした。
少年Kが見に行った年ですが、「ロードショー公開」は1962年ですが「地方の映画館」ではそれよりも後になることがこの時代には多かったですから、1964年頃だったと思われますね。
そこの「映画館」では、いつも2本立ての「映画」を上映していました。
その時に少年Kが1人で見に行ったことを考えると、多分この時の少年Kは小学校4・5年生だったように思われますね。
ちょうど、今のコロちゃんの長男一家の「なーちゃん(10歳)」と同じ年ごろだったかと思われますね。
6.「映画上映中に響き渡るお姉さんの声」
なぜ、少年Kが1人で映画を見に行ったことを憶えていたかと言うと、その時に少年Kは、「キングコング対ゴジラ」を1日に2回見ていたからです。
最初の1回は感動に震えながら興奮して見て、その後2本立ての別の映画を見て、その後も直ぐに帰らなかったのです。
当時の「映画館」では、入場者の入れ替えはしていなかったので、1日に何回でも見れたのですよ。
その日2回目の「キングコング対ゴジラ」を、少年Kが、じっくり味わって見ていた時に、いきなり後ろの開閉ドアが開きました。
真っ暗な館内に、ロビーの照明がさーっと広がる中で「従業員のお姉さん」の声が響き渡ります。
「少年Kさーん! お迎えの方がいらしてますから、正面玄関までお越しくださーい!」
そうなんです。映画に夢中になって興奮した少年Kは、その日2回目の「キングコング対ゴジラ」を見ていて、帰る時間をすっかり忘れてしまっていたのです。
家で少年Kの帰りを待っていた「かーちゃん」は、もう映画を見終わっている時間のはずなのに、いつまでも帰ってこない少年Kを、心配してわざわざ迎えに来てくれたのです。
「かーちゃん、面倒をかけたよね。忘れていてゴメンね」byコロちゃん
この「映画館内での呼び出し」のことはその後も長くコロちゃんの記憶に残っていましたが、その前後の様子は全く覚えていませんね。
このようにして1960年代の少年Kは、当時の娯楽の王様である「映画」を楽しんでいましたよ。
7.「お金の掛かる遊びは贅沢という少年Kの世界」
上記の少年Kの「1人で映画を見に行く大冒険」を読んで、なぜたかが50円~100円の費用を出せないのだろうと思われた方もいらっしゃると思います。
しかし、少年Kの1960年代では「子どもにはお金を使わせない」「子どもの遊びはお金を使うことはない」との意識が一般的(※)でした。
(※少年Kの周囲だけのことかもしれません)
今のコロちゃんの「金融知識」で考えると、この時代にはまだ社会に十分なお金が回っていなかったのでしょう。
要するに当時の「日本社会」には「マネタリーベース※が少なかった」のではないかと思われますね。
(※マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」)
社会に回ってるお金の量が少ないのですから、少年Kの様な貧しい子どもの手元にまではなかなか届かなかったと思いますよ。
確かに「この時代の日本」では、産業界にも十分な資金が流せなくて「日本興業銀行・日本債券信用銀行・日本長期信用銀行※」などが設立されています。
(※いずれの銀行も1990年代末の金融危機時に破綻・再編となる)
まあこのような見方は、当時の少年Kには別の世界の話しであり、ちょっとした遊びや、ちょっとした気づきに、一喜一憂しながら走り回っていたのが少年Kでしたよ。
そのような少年時代をおくった現在のコロちゃんには、「お金が無い・貧しい事」はちょっと不便かも知れませんが恥ずかしい事ではありません。
もしもの時には、かつての貧しかった少年Kにまた戻るだけのことです。
そしてそのような「貧しい生活」の中でも、たまに1本の映画が見られたことに、大きな喜びを感じることは出来たのです。
これはコロちゃんだけの意識かも知れませんけど、コロちゃんはこのような価値観を未だに引きずっていますね。
だから「何か一つでも楽しい事」があれば、「幸せな気分」は今でも感じることが出来ると思っていますよ。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に障りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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