朝、散歩を終え朝食をたべ、コーヒーを持って新聞を拡げます、いつもの静かな時間が流れます。
新聞をながめてると、日本はなかなか変われないなぁと思い浮かびました。
1.変わらない日本
多くの方が長い間「日本は変わるべきだ」と主張しています。
改革という言葉は1990年代からよく聞きました。そもそも改革とは現状を変えることですが、結局は、いまだに変わっていないんでしょうね。まだみんなが言い続けていますから。
誰しもが、今まで行ってきたルーティンを変えるのはいやですし、やりたくありません。
しかし、子どもが大きくなって服をSサイズから、Mサイズに換えるように、社会の制度もあり方も少しづつ変えないとならないのに、ちっとも変えないで困っているように見えるんですよね。
経済では、日野・三菱の不正。製造業の組織の劣化は、おそらく全国の他企業でも同じでしょう。コロちゃんは帝国陸軍の破綻を思い起こしました。日本型組織の劣化に思えてなりません。
社会では、拡大自殺型の犯罪が目に付きます。自暴自棄になる原因を社会のみに求めることは誤りかも知れませんが、歴史を振り返ると気になります。
なんでこんなに変わらないのかなーと思って、いろいろ見て回ると「個人が悪い」「制度が悪い」「文化が悪い」とさまざまいわれています。
2.「経路依存性」という概念
ただどれもが、なんかしっくりこない中で「経路依存性」という考え方を見つけました。
この理論は、もともとは経済学者が技術適応プロセスと産業進化を説明するために考えられたとされています。
その後、政治学や社会科学、一般的な社会現象にまで広く適用されて議論されているそうです。
よく知られている例としては、現在のパソコンの不合理なキーボード配列ですね。「習慣が存在する理由がなくなったとしても、習慣が継続することがある」。
なんか、日本の制度や社会が頭に浮かびませんか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E8%B7%AF%E4%BE%9D%E5%AD%98%E6%80%A7
- 経路依存性の一般的なタイプは形式学的痕跡である。
- 例えば、タイポグラフィにおいて、習慣が存在するための理由がなくなったとしても、その習慣が継続することがある。
- 例えば、アメリカのスペリングにおいて引用符(quotation)の中にピリオドを書くことなどである。
- 活字において、コンマやピリオドなどの文の終わりの句読点は、比較的小さくて繊細だった。単語が行の中または行間を移動する必要がある場合、完全な高さの引用符を外に置くと、より小さな金属の活字が損害から保護される。ピリオドが引用されるテキストに属していなくても、これは実行される。
出典:ウイキペディア(Wikipedia):フリー百科事典 「経路依存性」 最終更新 2022年5月22日 より
3.「ノルム」という概念
「ノルム」という考えもでてきているそうです。もとはフランス語の「規範」とか「基準」を指す言葉らしいですが、日銀内部での議論とか、経済学者の渡辺努氏が著書で主張されています。
パソコン用語の「デフォルト」と言い換えるとわかりやすいとされています。
経済で、物価や賃上げについて「だいたいこのくらいだね」という「ノルム」(社会規範)が共有されているから、いつまでもそのまま変えることができないというものです。
確かに日本では、なぜかはわからないけど変えられない、なぜかはわからないけど変わらないことが多すぎます。
その理由もまた、はっきりしない。
「経済合理性」でもなさそうだとなると、その理由はなんだろうと、みんながいろいろ探しているんだろうと思います。
4.変われない日本
誰が悪いというだけなら、手軽ですし、すっきりします。だけど、個人のせいにしても結局は何も変わりません。
コロちゃんは、原因を突き詰めてこそ、その根源に迫れると考えています。変わるためにはまず原因の自覚が必要と思えるからなんですけどね。
歴史を見ると、時代が限界を迎えると、戦争や災害、疫病で体制のリセットが強引に行われることがしばしば見受けられます。
これからの日本でそのようなことが起こらないことを心から祈るばかりです。
コロちゃんは、社会・経済・読書が好きなおじいさんです。
このブログはコロちゃんの完全な私見です。内容に間違いがあったらゴメンなさい。コロちゃんは豆腐メンタルですので、読んでお気に触りましたらご容赦お願いします(^_^.)
おしまい。
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